第12話 蟲読み

 

 いつも通りの夜だった。


 夕食を済ませ、ライナス様を出迎えるために部屋へと向かう。

 丘で二人で過ごした時間。出迎えの時の会話。思い込みでなければ二人の距離が縮まった気がした。少なくともわずかでも旦那様の心に寄り添えた気がした。

 

 シイラといつも通り部屋の前で待っているとにわかに屋敷が騒がしくなる。


「奥様っ!アール様」

 

 若い侍女が息を切らせながら勢いよく廊下を走ってくる。

「なにごとじゃ」

 

 アールが侍女の方へ向かう。


「大変でございます。旦那様が負傷され、屋敷に戻ってくるとの伝令です」


 負傷?

 怪我をしたってこと?


「怪我の具合は?」

「はっきりとはわかりませんが、伝令蛍からは大怪我を負い屋敷に戻るとのことです」


「大怪我ですって?!」

「すぐに医者を呼べ」

「はいっ」


 アールの指示で侍女はきた道を引き返した。


 そんな、怪我だなんて。

 それも大怪我。

 血まみれで横たわる旦那様の姿が浮かぶ。

 怖い。


 体中の力が抜けて、その場にへたり込む。


「エリーナ様」


 シイラがそっと支える。


「怪我だなんて」


 忘れていた。蟲狩りはとても致死率が高いのだ。

 嫁いでも寡婦になる事が多いと敬遠されていた縁談なのだ。


 でも旦那様は連日の任務でもいつも無事に帰ってきていて。

 そして力強くて、いつも自信満々で。

 まるで死など縁がないかのようだった。

 でも違う。

 ライナス様とて一人の蟲狩りなのだ。


 慌ただしく使用人たちが清潔な布、アルコール度数の高い酒、沸かした湯を用意していると、表で大きな馬の蹄が聞こえた。


「旦那様だ」


 窓の外を見ていた使用人が叫び、玄関へ向かう。


「きゃああ」


 侍女の悲鳴が玄関から聞こえる、シイラと走って駆け寄る。

 馬車の荷台に乗せられていた旦那様の胸元は真っ赤な鮮血で染まっていた。

 思わず口元を手で覆う。叫び声を上げないために。


「急いでベットへ運ぶんだ」


 アールの指示で旦那様がベットに運ばれる。

 その後に続こうとしたがシイラが立ち止まっていた。


「何しているのシイラ。急いで行くわよ」


 その視線の先にあったのはライナス様が乗っていた荷台。

 そこはおびただしい血が水たまりのようになっていた。


「ひっ・・・」


 足元が震える。

 だめよ、こんなところで立ち止まっていては。


「行くわよシイラ」




 ベットの上に運び出されたライナス様の衣服をはぐ。

 これは、ひどい。

 

 衣服を脱がすと、胸元が大きくざっくりと斬られていた。その傷口からどくどくと血が溢れ出す。

 急いで消毒をして布を押し当て止血する。布が、押し当てた側から赤く染まる。

 想像以上に大きな傷だ。

 

 アールが傷口の少し上を襷掛けのようにして止血するも血が止まらない。

 だめだわ、全然血が止まらない。

 あの荷台の出血量からしてもこれ以上の出血は厳しい。命に関わる。


「医師は?医師はまだなの?」

「それがどうやら隣町に行っていて不在とのことです。今隣町に伝令蛍を送りすぐにこちらに向かうように伝えております」


「他に医者は街にはいないの?」

「医者はおりますが、ここまで大きな外科的処置ができるものはおりません」

「それじゃあ・・・」


 それじゃあ間に合わない。

 この出血じゃ隣町から戻ってくる頃には手遅れになっている。

 ライナス様の怪我は傷だけではなかった。


「旦那様の傷口がっ・・・・」

「これは・・・蟲の毒だっ」


 アールが真っ青な顔をして言う。

 ライナス様の傷口付近は不自然な緑色になっている。

 じわじわと緑色がライナス様の肌を侵食していく。


「ぐっ・・・うう・・・」


 ライナス様がうめく。毒が回る度に苦しそうにベッドの上で苦しそうに呼吸する。


「ライナス様っ・・・」


 宙を彷徨う手を両手で包み込む。

 荒い呼吸。

 傷と毒がライナス様の体を蝕む。

 さっきより顔色が悪くなっている。


「医師はまだかっ」


 アールの怒号が響く。

 ダメだ。

 いくら鍛え抜かれた肉体と強靭な精神を持つライナス様とて、このままだと命が危ない。

 待てない。


 これ以上はもう待てない。


「アール!!灰薬はある?」


 必死に止血をしていたアールが虚をつかれたように顔を上げる。


「灰薬でございますか・・・?」

「ええ、この屋敷にあるの?」


「はい、数は多くはございませんが地下の貯蔵庫に貯蓄はございます」

「灰薬を使う!今すぐそこへ連れてって!!!」


 アールの目は驚きで見開かれた。


 ———灰薬はいやく

 蟲の灰を薬として使用する物を灰薬という。

 灰薬と呼ばれてはいるが、灰だけでなく中には抜け殻や体液なども使用する。

 蟲の暴力的とも言える生命力はその亡骸が灰となっても失われることはなく、灰に含まれる様々な力を薬として利用した。


 一般の薬草や外科処置では手が施せない症状にも、その力を見せた。

 だが強すぎる効能、その入手の難しさゆえの希少さもあり、それを扱えるものは限られていた。


 灰薬を調合し、治療する者。


「まさか、奥様・・・」


 その者たちの名を。

蟲読みむしよみでいらっしゃいますか・・・」


 ———『蟲読みむしよみ』という。



 使用人たちにライナス様の看病を任せ、アールに案内されてシイラと一緒に地下へと向かう。

 灰役の扱いは厳しく管理されている。

 地下は食料貯蔵庫や洗濯ばになっているので、足を踏み入れたことはない。


 薄暗い階段を駆け降りた先に扉があった。


「ここね」


 開けようとしたが鍵がかかっている。


「灰薬は貴重品でもあり、取り扱いが難しい物ですのでこのように厳重に管理をしています」


 と言いながらアールは持ってきた鍵で開けようとするか、ガチャガチャするだけで一向に解錠できない。


「どうされたのですか、アールさん」


 シイラがアールの手元の覗き込む。


「ああああ、申し訳ございませんっ!!!!!」


 突如アールが頭を床に叩きつける勢いで謝り出す。


「以前の点検で鍵が壊れていたので修理をしようとしていたのですが、ライナス様とエリーナ様の婚姻が急遽決まり、その準備に追われ忘れておりましたっ。あぁアールなんたる不覚!!」

「嘘っ、じゃあ開かないの?」


「いいえご安心くださいませ。私は錠前師の資格も持っております。すぐに道具を取ってきて解錠致し・・・」


 バキッ!!


 エ、ナンノオト?

 突如薄暗い廊下に何かが壊れたような音が響く。


「おーっとすみません、ちょっと鍵を触れていたら壊れてしまいましたわ。おそらく錆びていたのでしょう」


 シイラが片手に鍵穴の部分を持っていた。今さっきまで頑丈に扉を守っていた鍵の破片が床に散らばっていた。


「え?この鍵は腕のいい職人に作らせた大砲でも壊れないはずの鍵なんだが・・・」


 唖然とした様子でアールが鍵を見ながらぶつぶつ言っている。


「ちょっと触れただけですのよ。まあ鍵が開いたのでよろしいじゃございませんか」


 そうだその通りだ。

 鍵が壊れたのか、シイラが破壊したのか、そんなことは今はどうでもいい。

 ライナス様のお命がかかっているのだ。


 急いで扉を開ける。部屋は大人三人が入ると窮屈で小さかった。棚には複数の小瓶が並べられていて、丁寧にラベルが貼られている。

 ここに欲している灰薬はあるだろうか。

 お願い、どうかあって。


「奥様、どうでしょうか」

「あった!!」


「ありました?」

「ええ、これと・・・」


 必死に小瓶の中から必要な灰薬を探す。

 思ったよりも品揃がよく、探していたものが見つかった。


「いいわ。急いで戻りましょう。一刻を争うわ」


 うんと頷いてアールとシイラが階段を駆け上がった。

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