第10話 青年の姿

 店の外からも賑やかな客の声が聞こえる。なかなか繁盛しているお店のようだわ。

 それはいいにしても、店の外観からしても大衆酒場のようだ。

 領主が食事をするにしてはいささか庶民じみている。

 

 などど思っているとライナス様は慣れたように店に入って行く。もちろんエスコートも何もありはしないので、おいてかれないようにその後ろを早足でついていく。

 店内は思ったより広く昼だというのに、仕事が早く終わったのか男や妙齢のご婦人方も酒を飲み、伴侶や主人の愚痴をつまみに大声で笑っていた。

 隣の男がばんばんとテーブルを叩きながら大声で笑う。

 その喧騒に呆気に取られていると、カウンターの奥にいた店主がこちらに気づき「ライナス様。さて、本日は何にいたしましょう」

 

 店主に指示された女の店員が私たちを席に案内しオーダーを尋ねる。おそらく店の中で1番いい席と思われる広めのテーブルの奥まった席だが、それでも十分に店員の声が時折かき消されるほど賑わいでいた。


「赤ワインとスープにソーセージ、後は肉料理を」

「はいかしこまりました。お連れのご婦人にデザートは?」


 ライナス様が私を見る。


「あ、私は別に・・・」

「ピーチパイは?うちのは絶品ですよ」

「じゃあそれを」


 ライナス様がそう答える。

 これって私のためにピーチパイを頼んでくれたってことかしら。まあ、ただめんどくさくて店員のおすすめを頼んだだけかもしれないけど。

 落ち着きなく店内を見渡していたからだろう。


「珍しいか、こういう店は」

「えっはい」

「まあ、高貴な皇女の身分で下々の店になど行くわけもないか。落ち着かんだろう」


 クククッと笑う。

 それきり会話は途切れてしまった。相変わらず世間話というか、雑談をするような関係にまだなれない。

 ちょっとした会話ばかりで、一向にライナス様がどういう人物なのか見てこない。


 何に喜び、悲しんで、熱く燃えて、心の支えにしているのか。

 曇り空のように、ぼんやりとしていて見えてこない。

 まあ、それは私にも原因があるのだけれど。


 ライナス様がこちらに関心を持たない、歩み寄らない。

 仕方がない、だってそう宣言していたし。

 それだけではないのだ。私もまた、己の保身のためにライナス様に近づいているだけなのだ。

 だから私たちにはいつまでも距離があり、近づかないのだ。

 だったが。

 最近はどうだろうか。

 私は少し知りたいと思う様になっていた。

 この人をもっと知りたい、近づきたいと思う様になってきていた。


 店員がワインを用意した。

 赤ワインか、こちらの人はよく飲むのよね。時には水代わりに飲むって聞いてびっくりしてしまった。

 おまけにこのワイン、グラスじゃなくって木でできたマグカップに豪快に入っている。

 

 これ本当に赤ワイン?ブドウジュースだったりして。

 恐る恐るマグカップを手に取ると。


「花嫁」


 顔を上げるとライナス様がマグカップを片手に持ち、軽く掲げて乾杯の仕草をした。

 私もそれに合わせて、マグカップを掲げた。

 ライナス様は頷くと飲み始める。

 こんなところで飲んでいるけれど、育ちの良さがところどころに見え隠れする。

 やっぱり掴みどころがない人だわ。


「いただきます」


 ワインは屋敷で飲むのに比べると、フルーティーて軽い口当たりだった。

 そうしているうちに食事が届き、テーブル一杯に並べられた。

 盛り付けなんて概念のない豪快に皿に盛られた食事たち。見た目だけなら屋敷の食事とは比べ物にならないけど、ほかほかと湯気を出しいい匂いを放つ食事は食欲をそそった。


「遠慮なく食うといい」

「ありがとうございます」


 食事はどれも美味しく、ピーチパイも宣言通りの味だった。

 食事を楽しんでいると、店主がやってきて挨拶をする。


「ライナス様、本日はお越しいただきありがとうございます」

「今日も繁盛しているようだな」


「はい、お陰様で忙しくさせてもらっています」

「あの・・・奥様で?」


 遠慮がちに尋ねる。


「ああ」

「奥様、初めまして。店主のゲイルと申します。こんなむさ苦しいところへわざわざお越しいただきありがとうございます」

「いえ、むさ苦しいなんて」

「随分と騒がしくてうるさかったのでは?こんな店ではなくもっと静かなところでお食事をされたら良いのに」


「ここは酒だけでなく食事が絶品なのだ」

「ははは、領主様にそう言っていただけると何よりでございます」


 先ほどの女の店員がこちらにくる。


「お二人様、ワインのおかわりは?」

「いや、これ以上飲むと馬から落ちてしまうかもしれない」

「ははは、何言ってらっしゃるんだい、蟲狩りの団長様がワインの一杯でそうなるもんか」


「こらこら、領主様になんて口の聞き方だ、お前」

「店主、ここには花嫁に町を見せるのと視察で来ているのだ。普段の様子を見せてもらわないと領民お生活がわからないではないか」


「それにしたって、もっと気を使わないか」

「それより店主、もう行くのでお勘定を」


 滅相もございませんと両手を振る。


「領主様からお代金などいただけません。日頃からお世話になっておりますので」

「いや、領主だからとただ飯はいかんだろ。それに今日は二人分だ」


「本当に結構ですから」

「そう言うな。お前の収入が減って店が潰れれば税収が減ってしまい、俺が困るのだぞ」


 そうして、店主はうやうやしくライナス様から硬貨を受け取った。

 店の外まで見送りに来た店主が何度も頭を下げる。


「ライナス様、ぜひまたいらしてください」


 無言で頷くと、馬を走らせ屋敷へと戻った。

 帰り路、馬上から町の人々へ想いを馳せる。

 みんな生き生きとして悲壮感は感じられなかった。ライナス様へ駆け寄ってくる時の仕草、表情。そこに畏怖の念は感じられなかった。笑顔の下の強張った表情も、不自然なほどの低姿勢もなかった。領主と領民の良好な関係が見て取れた。

 

 


「頼んだぞ」

「はい」


 馬を使用人に預ける。少し下がり先を行くライナス様に続く。

 ずっと遠くに感じていたライナス様が今は近くに感じる。まさに今歩いているこの距離。

 手を伸ばせばすぐに触れられる、後一歩近づけばライナス様に寄り添える、それくらい互いの心は近くにあるようだった。


「ライナス様、今日はありがとうございました」

 ライナス様の返事はない。けれど、私は浮かれていて気にもならない。

 そうだ、今夜一緒にディナーはどうだろうか。シイラがお菓子作りが得意だと言っていたっけ。彼女に教えてもらって食後に手作りデザートを出してはどうかしら。喜んでくれるんじゃないかしら。

 自然と声が弾む。顔がにやける。さっとライナス様の横に並ぶ。


「あの、よければ今夜・・・」

「無理だ」


 間髪入れずに返事があった。


「え・・・」


 まだ何も言っていないのに。

 自然と足が遅くなる。私のペースなど気にも留めずそのままの速度でライナス様は歩く。


「何の誘いだか知らんが、答えはNOだ」

「あ・・・その・・・」


「今日こなさねばならぬ事が多々あるのでな。無駄な時間を使った。もう話しかけるな」

「すみません」


 謝罪の言葉がライナス様に届いたのかはわからない。

 自分ではわかるくらいに声が震え、語尾が擦れていた。

 足が止まった。

 だけどライナス様は一度も速度を落とす事なく、歩き去って行った。


 結局距離など縮んでいなかった。

 確かに二人で出歩き、様々な話をした。

 けれど楽しんでいたのは私だけで、彼はただ頼まれ事をこなしていたに過ぎなかった。それ以上のことはしない。

 この二日間、散策に行っていた時のようにまた楽しく時を過ごせたら、そう願って私は努めて気にしてないかの振る舞い、ライナス様に声をかけた。 


 けれど態度はそっけなく、出迎えた夜も一度も目を合わせずに「下がってよい」と言った。

 何をしても無駄だろう。諦めて話をやめた。

 振り出しどころか、一度気持ちが舞い上がった分大きくマイナスに感じる。


 そもそも私が間違っていた。仲良くなろうなんて思わなくてよかったのよ。

 シイラの言う通り、情を感じる程度に親しくあればよかった。

 心を通わせようなんて、思い上がってはダメだった。

 

 翌日、午後「今日は天気がよろしいので、風を感じてみては」とアールに勧められ、彼の入れてくれたコーヒーを片手に窓辺に座り読書を楽しんでいた。

 少し難しい書物だったから、コーヒーで頭が冴えていく。

 

 庭に見慣れた姿を見つけた。

 あれは・・・旦那様??

 庭をお供も連れず一人で歩いていた。庭をぷらぷらと散歩するわけでもなく、スタスタと歩いていた。

 どこへ行くのかしら。正門や馬小屋でもない、裏門の方へ向かっていた。

 

 裏門?

 裏門は滅多に使われない。裏は森で、主に害獣駆除をする際に、使用人が出入りする時に使用するくらいだ。後は、たまに森の中のキノコや、野草を取るくらい。

 ご多忙な旦那様自ら、害獣駆除などするわけないし。

 

 なぜかその後ろ姿が気に入ってしまった。

 急いで部屋を飛び出して、裏門へ向かう。

 使用人に驚かれるくらいのスピードで階段を降りた。

 

 裏門にはすでに旦那様の姿が見つからず、門をそっと開いて辺りを見渡す。

 いた。

 ライナス様が森の中を一人歩いていた。

 一体どこへ向かわれるのかしら。

 

 どうしよう。

 一瞬悩んだ後、ついていくことに決めた。

 蟲狩りのライナス様のことだ、無闇に近づけば尾行がすぐにバレてしまう。

 抜き足差し足、息を押し殺して森を進む。

 慌てて出てきたもんだから、ハイヒールを履いていて少々歩きにくい。

 ライナス様どこまで行かれるのかしら、あんまり遠くまでいかないといいんだけど。

 

 慣れた様子でずんずんと進むライナス様に必死についていく。

 鬱蒼としていた森が終わった。光が見える。

 明るく開けた場所につき、ライナス様の足が止まる。

 腕を組んで、景色を眺めていた。

 ここって・・・。


「花嫁よ、ここにきて一緒に見ないか」


 ぎくっ。

 恐る恐る森から出る。こちら振り返る様子はなく、背中からは怒りの空気は感じない。


「ライナス様」


 そっと隣に並ぶ。


「気づいていました?」


 一度も振り返ることもなく歩いていたからバレてないって思っていたけれど。

 バレバレか。

 ふっと笑う。  


「闇夜の中音も立てずに近づいてくる蟲と戦っているのだ。人間の足音など歌い踊る音楽隊のようにはっきりと聞こえるものだ」

「そうですね」


 この人は本物だ。本物の蟲狩りなのだ。

 丘の上からは街が一望できた。ライナス様の治める街だ。


「ここからは街全体がよく見える」

「綺麗・・・」

「ああ、美しい街だ」


 文句なく美しい街だった。赤茶色の煉瓦造りの街。

 街を流れる川や、青々とした緑、そして人々の街が見事に調和している。

 砂つぶのように小さな人々が懸命に歩き、生命力のみなぎる街だ。


「輝いています」

「輝いている、か」


 狼の仮面はずっと街の方を向いている。


「花嫁も知っているだろうが、ここは俺が治める街だ。平和で美しい街、生き生きと毎日を懸命に生きる者たちの生活は俺の手のひらの上にある。時に重く、時に暖かく、痛みを伴いながら俺の手の上にある。それを忘れぬためにここへ来るのだ」

「重責ですね」


「それが領主だ。特権もあり義務もある」

「軽くなりませんか」

「あ?」

「私もこの領主の妻です。二人で持てば少しは軽くなりませんか」


 形式上でも、私はライナス様の妻だ。妻である以上、私もまたここの領主なのだ。

 ライナス様、そう言って明るくもてなしてくれた人々。 

 彼らの生活を守るために彼が背負っている責務を私も持てば軽くならないだろうか。


「ハハハハッ・・・・」


 ライナス様の高笑い。


「共に持つか。いらぬお世話だ」


 そうか。

 しゅんと気持ちが沈む。また余計なことをしてしまった。


「俺は蟲狩りの隊長だ。これくらい一人で持てなくてどうする」


 ああ、この人は強いのだ。私の助けなんていらないのだ。

 ただ・・・とライナス様は言葉を繋げる。


「もし一人で持てなくなったその時は、お前が支えてくれ。この街の人々を守ってくれ」


 ライナス様の方を見る。

 その視線は相変わらず一途に街を見つめていた。

 誰の寄せ付けずに戦うだけではなかった。この方は青雲の志を持った人なのだ。


「本当に綺麗な街ですね」

「ああ・・・とても美しい」


 そう言って初めてこちらを見た。

 顔は微笑んでいた。


 不思議なことに若い男と重なった。

 一瞬見えたその姿は若い男だった。

 ライナス様の年齢やあの肖像画の男性よりもずっと若い、青年の姿と重なる。

 誰?

 今のは誰なの?



 しばらく街を二人で並んで眺めていた。

 やがて日が沈み、街を朱色に染め始めた。


「帰るぞ」

「はい」

「違う、お前に言ったのではない」


 私じゃない?他に誰が・・・と思っていると。


「そこにいるんだろう、アール」


 ええ!アール??

 慌てて森の方を見るとアールさんが森の中から馬を連れて出てきた。


「アール!」

「旦那様、奥様お迎えにあがりました」


「ふんっ、俺の執事は優秀なのでな。行くことを告げてなくてもいつも迎えにやってくるのだ」

伝令蛍でんれいぼたるがきました」


 伝令蛍でんれいぼたる

 蟲の一種で主に軍人が使う連絡手段だ。

 蛍の光の瞬きを使った信号で伝令を伝える。

 手紙では間に合わない急ぎの伝令に使用される。


「任務か?」

「はい、応援要請でございます」

「では急いで帰らねばな」


 アールが馬をライナス様に引き渡す。


「花嫁よ」

 

 ライナス様がこちらに手を伸ばす。そこに手を重ねる。

 温もりが伝わってきた。

 馬の後ろに乗った。

 森の中を器用に馬を進める。

 少しだけ彼という人がわかった気がした。

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