第9話 領地

「はーもう、生き延びろって、その前に助けに来てよね」


 ガンッ!!アールが入れてくれた紅茶のカップをテーブルに叩きつけるように勢いよく置いた。

 ちなみにティースペシャリストの資格も持っているようで、「蟲でさぞかし驚かれたでしょう。本日は心休まるロイヤルミルクティーに致しました」

 ごめんなさいねアール、その効果はないみたいだわ。


「無駄な命乞いって、嫌味っぽいわよね」

「旦那様は命乞いをする様なものがお嫌いなのでしょうかね」


「?どういう意味よシイラ」

「ほら、以前もおっしゃっていたでしょう、お出迎えを始めた頃に『命乞いか?』って」


 そーいえばそんな事を言っていた。

 ライナス様への愛ではなく、生き延びる為にすり寄った心を見透かし、命乞いとせせり笑った。


「常に命の危機に晒される兵士ともなると安易に命乞いしているのが腹立たしいのでしょうか」


 そーは言われても。私だって簡単に死ぬ気はない。


「やっぱり難しいわ。旦那様と寄り添っていきるなんて。掴みどころがないし、近づいてもすぐ手を振り払われるし。さっきも呆れられてしまったわ。振り出しよ」


 最近少しずつだけど、やっと距離が縮まったと思ってたのに。

 さっきの態度。

 やっぱり特別な感情はまだないようね。守ってあげたいって存在には遠いか。


「何度も申し上げておりますが、私たちは旦那様に縋るしかありません。ここを追い出されたら地べたを這いつくばるように飢えと貧しさに苦しむだけです」


 何か言い返そうとして言葉を飲み込む。

 意味のない言葉だった。

 頼れる相手もいない異国の地で屋敷を追い出されたら、私たちは飢えと貧困しかない。

 祖国の後ろ盾もなく、蟲が蠢く森や砂漠に捨てられるかもしれない。

 

 仕事・・・手に職というほどの技術もない。

 まあ、皇女としての最低限の芸事はできるが、だからといってそれで商売なんて話は別。そもそも店を持つほどの資金なんてない。

 輿入れした時の荷物を売ったとして、果たしてその商売が軌道に乗るか。

 下手をすれば気味の悪い親子ほど歳の離れた男の愛人になって養ってもらうしかない。


「愛し愛される夫婦になる必要はございません。ただ旦那様のお心の片隅ににお嬢様がいらっしゃればよいのです。旦那様と温情を育むまでは私達は薄氷を踏むような日々なのです」


 愛される女性になるのは難しい。

 でも情を通わせた相手ならなれるかもしれない。 

 




 こうしてクエル国に嫁いでから2ヶ月が経った頃。

 いつも通り食堂に入るとライナス様が席につき食事を取っていた。


 旦那様と朝食を共にするのはまさかの2回目。

 おかしいと思われるだろうが、ライナス様はこの時期深夜遅くまで任務にあたるので、朝は部屋で軽くすます事が多い。またこの一週間は遠征で、昨夜久しぶりに屋敷に戻ってきたのだった。その前は10日間の遠征だった。やっと戻ってきたと思ったら、すぐに1週間の遠征。


 噂には聞いてはいたが、軍人になるとこんなに屋敷を空けることが多いとはね。

 こりゃ軍人は離縁や不倫が多いわけだわ。


 思いがけない先客に入り口でぼんやりとしていると「いつまでそこでそうしている。座らんのか」

「あ、はい。旦那様、おはようございます」

「おはよう」


 席に着くと2人の使用人がテキパキと私の前に朝食を置いていく。

 ゆで卵とベーコン、ゆでた野菜、パンとコーヒーだった。

 相変わらず狼の仮面をつけたまま、器用に食事を口元へと運ぶ。


 その荒々しい見た目に反し、行儀良くフォークとナイフを使い食事をしていた。その姿に育ちの良さが見てとれる。

 こうして久しぶりに食事を共にするのだもの。何か話さなきゃ。   

 まあ緊張しているのは私だけでライナス様は私など全く気にもかけず、黙々と食事を続けていた。


「あの・・・今宵も蟲狩りですか」

「いや、非番だ」


 非番、この人に休みがあったのか。それに驚いていると心を読んだように「かなり久々だがな」


 そうよね、かれこれ一ヶ月は休んでないし、結婚式の前日だって任務に出ていたんだもの。

 仮面の下の顔はどうなっているのかしら。

 ひどい隈でやつれているのかしら。疲労で青白くなっていないだろうか。


「ライナス様、連日の任務でお疲れではございませんか」

「例年この時期はいつもこうだ。忙しいのには慣れている」


「そうですか」

「この程度で根を上げるような、やわな鍛え方はしていない」


 そういえば先日出かけた際も、ボロボロになって戻ってきたっけ。聞けば、一日部下たちと打ち合いの稽古をしていたと言っていた。

 体にもさぞかし傷が多いのだろう。

 ぼんやりとライナス様の仮面を見ていると。


「んっんっんーーごーほっほん」


 野太い咳払いが食堂に響く。何事かと思うと、隣に立つシイラが咳払いをしていた。

 あまりの声にライナス様も唖然としてシイラを見つめていると「失礼致しました。ちょっと喉を痛めてしまいまして」


「・・・そうか。大事にいたせ」

「お優しいお言葉、ありがとうございます。旦那様もお久しぶりの非番との事ですが、せっかくですのでエリーナ様とゆっくり昼食でもどうでしょうか。よければインイ国の料理でも私がご用意致します」


 そう言いながらチラチラを私に視線を送る。

 あ、そうね。これはいいチャンスだわ。

 旦那様と過ごし仲を深めるにはちょうどいい。


 が、そんな順調にいくわけもなく、ライナス様が口元をナプキンで拭いながら「悪いが蟲狩りの任務が非番というだけだ。領主や隊長としての執務が残っている」

 こちらを一瞥もせず食器を片すように指示を出す。


 あ。

 グッと手のひらを握る。

 何か言おうとしたけど結局何も言えなかった。


 少しづつ距離が縮まったと思っていたのは、私の思い過ごしのようだった。

 出会ったばかりの時のような重く冷たい空気が流れる。

 この方は私に時間を割くきなどないのだ。結局名ばかりの妻のままなのだ。


「あーら、それでしたらちょうどいいではございませんか。旦那様、ぜひ奥様を街に散策にお連れしてくださいませ」


 シイラがポンと手を叩きながら明るく言う。

 ちょっと何を言っているの? 

 そんなの無理に決まっている。だって今やんわりと断られたばかりじゃない。


「ちょっとシイラ・・・あなた何を」

「なぜ俺が花嫁を散策に?」


「はい、奥様は領主の妻でございます。領主を見るのも大事な役割かと。それにかねがねエリーナ様は領地や領民を見て回りたいとおっしゃっておりました」

「それなら誰か使用人が案内すればいいだろう」


 吐き捨てるようなライナス様の言葉にもシイラは負けずに続ける。


「いえ、いけませんわ。領主とはいえ、外出するのに何かあってはいけませんは。そこらへんの使用人というわけにはまいりません」

「では、お前が共に行けばいいだろう。インイ国からの侍女だ。花嫁もさぞかし信頼をしているだろう」


 ライナス様がめんどくさそうに履き捨てた時。


「あーたた・・・」


 シイラの声が大きく響く。


「あーたたたた・・・・いやですわ。何だか急にお腹が・・・。昨夜の痛みかけの果実にあたったのかもしません。エリーナ様のお供をしたいのは山々ですが、どうやら難しいですわ」


 絶対演技だろう。

 いくらなんでもわざとらしいわよ、シイラ。誰だってわかるくらいに、大袈裟にお腹を抑えて俯いた。

 だが本人はお構いなしであーいやですわ、困りました、なんて言っている。


「で、ではアール。アールお前が付き添え。アールなら問題ないだろう」


 突然指名されポカンとしていたアールだが、すぐさま鋭いシイラの視線に気づく。

 まさしく鬼の形相だ。


「あーーー申し訳ございません。私も昨夜のリンゴにあたってしまったのかもしれません。腹が痛んで付き添いは厳しそうでございます、旦那様、大丈夫だろうと過信した私の責任です。どうぞこのアールに罰をお与えくださ・・・」

「あーわかったわかった!よい。よい、俺が花嫁を街へ連れて行けばいいのだな。わかった」


 え。

 思わずシイラと顔を見合わせる。

 旦那様が私を街へ案内してくれるの?


「だが、午前中は溜まった書類に目を通さねばならん。午後に街へと出発するぞ。準備しておくがいい」


 それだけ言うと、さっさと食堂から出て行こうとした。

 その背に「はい、承知しました」そう返事するのが精一杯だった。




 午後、アールが部屋に来ると旦那様のところまで案内してくれた。

 お腹が痛いだの、あんな大根芝居をしたくせにシイラもアールも元気に案内しくれた。

 連れられた先には、馬の鼻を撫でている旦那様がいた。

 私がキョロキョロと周囲を見ていると、「驚いたか?」

 相変わらずこちらを見ずに言葉を話す。


「街へはこの馬で行く。街の散策と聞いて立派な馬車でも用意してくれていると思ったか。残念だったな」


 口元が意地悪く笑っている。


「いえ、こちらで十分でございます」

「ふんっ、どうだか」


「インイ国でも何度か馬には乗ったことがございます」

「そうか、乗馬は良家の子女のたしなみか?」


 ライナス様がこっちに来いと手を振る。


「さっさと行くぞ。ここに足をかけて、これを握れ」


 手綱を私に握らせて、鞍に足をかけるように指示を出す。

 乗ったことはあるけど、実は小さい頃の話。それに台座もあったし、こんな雑な感じじゃなかったわ。

 それにしても立派な馬。インイなら皇族に献上されるような馬だわ。

 うまく乗れるかしら?


 慣れない手つきで手綱を握り、鞍に足をかけようとした。

 どっさ。

 気づけはあっという間に馬の上にいた。

 ライナス様が私を押して乗せてくれたのだ。乗せてくれたと言えば聞こえはいいが、実際はロバに小麦袋を乗せるかのように乗せられただけなんだけど。


 その後、ライナス様が身軽に馬にまたがり、私の後ろに座る。

 ライナス様と背中が触れ合う。距離は近かったが甘い雰囲気になる間も無く「ぼんやりしてるな、馬の首に手を回していろ」と鋭く一言。

「あ、はい」


 馬はいつでも準備OKと言わんばかりに、足を動かしその場で足踏みをする。

 二人で馬に乗る姿をアールとシイラが意味ありげな顔でニコニコと笑っている。


「気色悪い顔で笑うな」


 全く、とため息をついている。


「では行ってくる。留守を頼んだぞ」

「はい、旦那様」

「お気をつけて」


 ライナス様が手綱を強く握ると、馬は待ってました!とばかりに風のように疾走した。

 きゃあ。

 すごいスピード。ちゃんと捕まってないと振り落とされちゃうわ。


 でも・・・すごかったな。

 馬に乗せてくれる時、まるで荷物のようではあったけど本当に軽々と私を持ち上げてしまった。

 その時の力と鍛え抜かれた筋肉。

 連日凶暴な蟲と戦う蟲狩りとは、こうも逞しきものなのだろうか。


 私を包み込むように手綱を握る両手も、筋肉の一つ一つが徹底的に鍛え抜かれているかのように硬く力強い。

 すごい人ね、本当に。


 

 街に着いた。インイの都に比べれば小さいが、地方都市の街にしては人も多く賑わっていた。

 道も整備されていて町人たちや荷車が行き交い、活気が溢れている。


「ライナス様」


 街に入るなり、町民たちがこちらを向いて頭を下げる。

 どうやらみんなこの狼の仮面の男が、自分たちの主人であると知っているようだ。

 まあ、こんな仮面被ってたら、一発でわかるわよね。


「ここが市場だ。街で1番活気のあるところだな。朝だけでなく夕方まで多くの人で賑わっている」


 両サイドにずらりと小さな店が並ぶ通りを優雅に馬で歩く。

 果実、花、野菜だけでなく、肉や服、絵画なども売っている。

 その時、馬の前に一人の少年が現れた。


「ライナス様」

「なんだ、少年」

「へへへ、父さんがこれをライナス様にって」


 そう言いながら、手のひらの布を開いてイチゴを差し出した。

 ライナス様に促され、少年からイチゴを受け取る。

 後ろを向くと、果実売りの店主がこちらに頭を下げていた。


「主人、あの少年の親か」

「はい。私の倅でございます。少しですが、今朝とれたばかりのイチゴです、よければお召し上がり下さい」


 ライナス様は無言で私の手からイチゴを一つ掴むと口に放り込んだ。


「お前も食うといい」

「はい。いただきます」


 1番赤いイチゴを選んだ。見るからに美味しそう。


「美味しい!!」

「ああ、いい味だ」

「喜んで頂けて何よりです」

「ありがとう。今お代を・・・」


 ポケットに入れていた財布を取り出そうとすると、店主が慌てて制す。


「お代なんて滅相もない。ただ領主様への感謝の気持ちです」

「ですが・・・ただとはいきませんわ」

「いえいえ、本当に結構です。それよりライナス様、こちらのご婦人は先日結婚された奥様でいらっしゃいますか?」


 気づけば少年が父の横にいて、興味津々と言った様子でこちらを見ていた。

 ライナス様、なんていうのかしら。

 まさか、お飾りの形式上の妻、とかなんとか言ったりしないわよね?

 はらはらしていると「ああ、そうだ」とサラリと言った。


「あ、やっぱり奥様でしたか。どうぞこれからもライナス様と一緒にこの街をお守りくださいませ」


 深々と頭を下げた。

 残りは全部食べていいと言うので、イチゴを食べながら街を散策する。


 子供達が遊ぶ広場、図書館、そして私たちが式をあげた街外れの教会。

 どこも綺麗に整備されていて、皆が街を大切にしようとしているのが伝わってくる。

 最後に案内されたのが町の大通りだった。


 ここは人々の家だけでなく、飲食店などが立ち並び市場に負けないくらい賑やかな場所だった。

 そこでも多くの人が私たちに気づくと頭を下げた。


「昼飯を食ってないだろう。どこかで済まそう」


 先ほどからお腹が減っていた。イチゴを食べたけど、それでは足りないわ。

 パカパカとゆったり馬を進めていると、一つの店の前で馬を止める。


「降りるぞ」

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