第6話 番犬?

 それからと言うもの、毎夜ライナス様の部屋の前で帰りを待つようになっていた。

 

 最初はぶつぶつ言っていたアールも説得は諦めたようで、何も言わなくなっていた。

 ライナス様も最初こそ驚いていたが今は「出迎えご苦労。では、花嫁は休め」と言うだけでだった。

 時に「飽きもせずに・・・」とセセリ笑う時さえあった。

 

 数時間待って、顔を合わせるのはほんの数秒。

 正直これで情が深まるとか愛情が芽生えるとは全く思えない。けど、わずかに起こった変化。


「ご苦労だった。もう休め」

 こちらを向き直り、私の目を見て言った。


「我が花嫁よ」


 今日初めてちゃんと言葉を交わした。





 お出迎えが続くようになり、アールに渡していた外套を私に手渡すようになった。

 もちろん、屋敷の女主人の私が受け取って洗濯して干して・・・なんてことはしない。部屋にあるクローゼットにしまうだけだ。


 わずか、本当にわずかな変化。

 でもそれは私にとって大きな一歩でもあった。


 クローゼットにしまうと、旦那様は軍の隊服を脱ぐ。それを侍女たちが手伝っていた。

 当然、狼の仮面はつけたまま。

 仮面は寝る時は外すのかしら、そんなことをぼんやりと考えていると「花嫁よ、もう休め」


「あ、はい。ではお休みなさいませ」


 いつも通り短い言葉を交わし、部屋を後にしようとした。


「もう明け方に近い。だいぶ疲れただろう。早く休め」


 労いの言葉。

 もちろん以前にもあった。でもこれは上部のやり取りではなく、ライナス様の言葉だった。


「お気遣い感謝致します」

「明日は公爵家へ行き一泊してから戻る。戻りは明後日だ。明日は出迎えは必要ない」


 突然の言葉に呆気にとられ、じっとライナス様を見ていた。

 まだ何かあるのか?そう言わんばかりに、すっと顔がこちらを向く。


「あ、えっと・・・わかりました・・・。その、お休みなさいませ」


 仮面の奥の目が私を見ていた。


 スケジュールを教えて下さった。

 単なる予定を伝えられただけ。でも初めてのことだった。

 ささいなことなのに、心が弾む。

 これが恋した相手の気遣いに胸があったかくなったのか、それともコツコツ積み重ねた事への達成感なのか、それはわからない。


 ただ、自身の部屋に戻る時、顔が緩んでいたのは確かだった。



 

 旦那様は多忙だ。

 家を空けている事も多く、特に夜間の蟲がりが続くと、昼間に睡眠を取る。

 同じ屋敷の中にいても、顔を合わせない日の方が多いくらいだ。


 これはシイラのアドバイスの通りね。

 ぼんやりしていたら、言葉もまともに交わさないまま何年も経っていたと思う。


 その時の私はどうだろう。

 情もない、名ばかりの正妻。

 旦那様に存在を忘れられていたかもしれない。

 いずれ愛人や側室を迎え、この立派な屋敷で息を押し殺すかのように生きていたのかもしれない。こんなにも多くの使用人や職人がいる屋敷で、深い孤独を抱えながら。





 緑が生い茂り、生命がみなぎる初夏。


「今の時期は特にお忙しいのでございます。もちろん蟲狩りの任務は一年中ございますが、夏は特に蟲の動きが活発になり昼だけでなく夜間も任務も増えております」


 ライナス様の連日の夜間任務。それを出迎える為の徹夜が続いた時、アールが説明してくれた。

 昨日の帰りは明け方で、ほとんどまともに眠れてなかった。


 目の下にクマを作る私に、眠気覚ましの濃いめのコーヒーを入れながらアールが説明してくれた。


「あ、こちらのコーヒーは私がブレンドした特製モーニングファンタジーフラッシュでございます。爽やかな香りと深い味わいを楽しめるコーヒーになっております」


 モーニングファンタジーフラッシュ。相変わらず独特のネーミング。長い。


「蟲狩りは昼夜もなく大変ね」

「はい、呼び出しはいつ来るかも分かりませんし、蟲の動きが活発な時期はパトロールは欠かせません。特に夜間の任務は特別な兵士にしかできません」


「特別?」

「よいですか、灯りの少ない夜に蟲と戦うと言うのは想像以上に難しいのです。並の蟲狩りではすぐにやられてします。その為夜間は熟練した蟲狩りがメインで行いますので、旦那様はとても忙しいのです」


 旦那様の帰りを待っている夜。静かで暗くて風の音さえ狼の鳴き声と間違えるような深い闇の中、あの方は命を削りながら任務にあたっているのか。部下の指揮をとり、市民を守り、最前線で身を置いていたのか。


 蟲という魔物と戦う為に。






 私は目の前にいる生物を指さして言った。


「これは何?」


 屋敷の隅に小さな小屋があった。

 そこは物置らしく、庭掃除をしたり、畑仕事をする使用人が時々出入りしていた。物置ということで興味もなく、今まで中に入ることはなかった。

 たまたまその近くを通り、何気なく物置の中をチラリと見ると、それがいた。


 ブランケットの上で舌を出してふがふがと寝息を立てている。

 その生き物を前に立ち尽くしていると、タライを持った使用人がやってきたを


「これは何?蟲?それとも豚?」


 豚という言葉に上機嫌だった生き物がギロリと鋭く睨む。既視感。あ、シイラの視線だ。

 私の問いに褐色肌の若い使用人の男は笑顔を見せた。


「あはは・・・奥様何をおっしゃいますか。これは単なる猫ですよ。猫」

「え?猫???」


 これが猫?

 本当に??デカ過ぎない??普通の猫の3倍はあると思う。

 なかなかのわがままボディ。


 猫は丸々としていて、見るからにずっしりとした図体をしている。太り過ぎてお腹が出ているせいなのか、手足が妙に短い。白い毛並みにところどころ茶色い縞模様が入っている。

 緑色の瞳でふてぶてしくこちらを一瞥した後、すぐに自分の世界へと戻っていった。


「おい風呂の時間だぞ」


 男が用意したタライに水を入れると、猫は慣れた様子でちゃぽんと浸かる。

 そして石鹸を男から受け取ると、自分でモコモコと体を洗い始めたではないか。


 ほっぺたは両手でくるくると、次にお腹もぐりぐりとマッサージするかのように洗う。片手を上げながら脇の下まで丁寧に洗っている。

 当然、背中なんて肉が邪魔して届くわけもない。すると近くにあった棒を使って、器用にゴシゴシ洗っている。


「ぶみー」とひと鳴き。


 わかってる、わかってると苦笑しながら使用人が猫にジョウロで水をかける。

 気持ち良さげにうっとりとして水浴びを楽しんでいた。その姿は優雅な貴婦人にさえ見える。


 体が洗い終わると、濡れた体をタオルで拭いてもらい、ヨタヨタと元いたブランケットの上に収まった。


「ちょっとこの豚ちゃん・・・じゃなかった猫は何なの?」

「カロリーナですか?」

「え?カロリーナって言うのこの子。似合わなっ・・・」

またもや感じる鋭い視線。


 ぶみ。


 こちらをチラ見しながら猫が鳴く。


「何でもないわ。可愛い名前ね」


 その言葉を聞くとにやりとして、また眠りの世界へと戻っていった。

 人間の言葉理解してるのか。


「最初はデブっちょだから、ブー子って呼んだんですよ。でもそれで呼んでも絶対振り向かなくて。試しにいろんな名前で呼んだんです。そしたらカロリーナって名前にだけ反応したんで、それでカロリーナって名前になりました」


 お気に入りの名前だったのね。


「カロリーナは綺麗好きなんですよ。二日に一度はこうして水浴びしてます」


 水浴びさせないと、させろさせろってねだってきてうるさいんですよと苦笑する。

 名前といい、綺麗好きなところといい、なかなか意識高い系の猫のようだった。


「ところで、どうして猫がここにいるの?誰か飼っているの?え、まさか食用・・・」

「まさか。飼ってるんですよ」


 いくら肉づきよくても猫は食いませんよと笑っている。


「旦那様が飼っているんです」


「え??ライナス様が」


 あまりにも意外な言葉に大きな声が出てしまい、慌てて口で覆う。

 でも意外すぎる。

 あのライナス様がペットを飼うなんて。

 それもこのわがままボディの猫なんて。もっとこう狩猟用の大型犬とか、スリムでつんとした猫なら分けるけど、このカロリーナ?!


 俄かには信じがたい・・・と訝しがっていると、「あ、ペットじゃないですよ」

 え?やっぱり食用?


「番犬です」


 ペットも信じがたいが、番犬なんてもっと信じ難い。

 向いてないと思うんですけど。


「向こうの小屋のゴン太見ました?」

「ゴン太って、あのおじさんみたいな犬?」

「そうです、そうですおっさん犬。あ、ちなみにあれでも一応犬じゃなくて狼です」

 先日いびきが聞こえるのでてっきり使用人が昼寝でもしてるのかと小屋を覗くとそこにいたのは昼寝した犬だった。

 

 お腹にタオルをかけて大の字でいびきをかいていた。

 ぐおーん、ぐおーん、ふがっ!

 一瞬起きたかと思うと、大きな欠伸一つしてまた眠りに入った。

 

 あれもなかなか太っていたわね。


「あのゴン太とこいつは旦那様が拾ってきたんです」


 蟲狩りの最中、共に親兄弟を蟲に殺され鳴いていた赤ん坊だったゴン太とカロリーナを旦那様が家へと連れて帰ってきたそうだ。


 そんなことをなさるんだ。ライナス様の意外な一面を聞いて、不思議な気持ちになった。

 自分や蟲以外には興味なんてなさそうなのに。

 

「でもあの二匹は本当に番犬なの」


 どー見てもいざと言う時も寝てそうですけど。


「正確には違います」


 あ、やっぱり。


「番犬じゃないです。番狼ばんろう番猫ばんねこです」


 どっちでもいいから、そういうの。

 カロリーナは石鹸の匂いをさせながら、ふがふが言っている。ここでの生活を謳歌しているようだった。

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