第5話 出迎え

 どれくらいの時間が経ったのだろうか。

 シイラは大丈夫だろうか。


「へいき?」と尋ねると少し眠そうな顔をしてはいたが、「もちろんです。私のことはどうかお気になさらず、ご自身のことだけお考えください」

 そんなやり取りを少し離れたところで、ハラハラした表情でアールが見つめたいた。小さいため息をついて。


 今日からライナス様のお帰りを部屋の前で待つことにしたのだった。

 ライナス様は蟲狩りであり、隊長であり、領主でもある。

 多忙ゆえに家を不在にすることも多く、数日家を不在にすることも珍しくないようだった。

 シイラに説得されて顔を合わせようとしても、ライナス様は気がつくと出かけていて、いつの間にか戻っている生活。


 ライナス様は気まぐれで出かけることもあるようで、一通りにスケジュールを把握しているアールでさえ、その行動の全てを把握しているわけではないようだった。

 特に今宵のように蟲狩りに出向いた日は、帰りはいつになるかは検討もつかないよう。


 だからこそ、出迎えのタイミングを逃さないためにも旦那様の部屋の前で待つことにした。

 見送りも考えたけど、私も一応この屋敷の主人なので日中は目を配る必要もある。


 アールは当初ここで旦那様の帰りを待つと言うと驚き焦り、何とか私を部屋に戻そうとしたけれど意思が固いと見ると諦めたように近くで待機していた。

 まあアールとしてはどうせお姫様の思いつきだ、1、2時間も経てば疲れて部屋に戻るだろうとたかを括っていたのかもしれない。

 

 残念ながら私はそこら辺のお姫様とは違う。

 流刑の身で、水汲みから薪集めまで肉体労働をしていたのだ。雨風凌げる家の中で何時間も立つことくらい何でもないのよ。

 

 やがて、屋敷がわずかに騒がしくなる。

 振り返ると旦那様が使用人を従えて廊下の向こうからこちらに向かっていた。


「旦那様っ」


 ライナス様は仮面越しでもわかるように、夜中に出迎えた私に驚いているようだった。

 歩みさえ止めなかったが、困惑しているのがわかる。


「おかえりなさいませ、ライナス様」

「おいアール何事だ。屋敷何かあったのか」 


 当然ながら私ではなくアールへ尋ねる。


「いえ、何もございません。平穏そのものでございます」

「ではなぜこの者が・・・・」


 すかさず答える。


「ただの出迎えの挨拶でございます。何日もちゃんと顔を合わせておりませんでしたので、今宵はご挨拶をと思い待っておりました」


アールへ向けられていた視線が、こちらに向く。


「おい、本当にそれだけか?」

「はい。ただ挨拶と旦那様の無事のご帰宅を確認したかっただけです」

「くくくっ、そうかそうか、俺の出迎えをな・・・」


 旦那様は茶色の外套を外す。受け取ろうと手を差し出した。

 が、外套は私ではなくアールに渡された。宙に放り出された空の私の手。


「命乞いか」


 命乞い?なんのことかしら。


「ふん面白い。無駄かどうかはやってみないとわかからな。せいぜい励め」


 くくくっと笑うと手で下がれと合図する。突き放され、傷つく女の涙を期待しているかのようだった。

 おあいにくさま。ライナス様の期待には応じられません。


「いいえ、命乞いではございません」


 こちらにひらひらと振っていた手がぴたりと止まる。


「真の妻となり、ライナス様のご尊顔を拝するためです」


 そう言い切った。

 懐にもぐり込むような甘さはいらない。この人に甘さやまあるっこい癒しは不要。

 強さだ。

 強く凛々しく、クイット顎をあげて歩くような女。

 睨まれれば睨み返すような女。

 上目遣いでもしたら、蹴り飛ばされそうだ。


「ハハハハッ。よい」


 深夜の屋敷に響く笑い声。


「よいぞ。勇ましい、それでこそ我が花嫁だ」


 それだけ言うと、再度下がれと合図を送る。

 しばらくその場に留まっていたが、アールの「お下がりください」という視線を感じて部屋を後にした。


 鏡を前にして微笑んでみる。

 だめだ。

 あの方の言うとおり、張りぼての笑顔だ。


 私は笑わない。

 ライナス様も笑わない。

 笑顔を見せるが、それは嗤うだけ。

 喜、ではない。

 せせり笑う。嘲笑う。高笑う。

 笑わぬ男は誰よりも敏感に人の感情を読み取る。


 人の不幸は蜜の味。

 そう言われれば大抵の人間は「そんなことはない」と否定するだろう。

 道徳的に人道的に間違っているから。


 だけど本心ではみな大なり小なり、自分以外の他人の苦労話をどこか楽しんでいる。それは争い難い本能に近い。


 ライナス様はそれがさぞかしうまいのだろう。私が戸惑う様子を、甘く甘美な味を楽しむかのように味わっている。



 それでもこの人と情を通わせなければならない。

 情を通わせ、心に留まり、ふとした瞬間に私を思い出すような、そんな関係にならなくてはいけない。

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