第4話 助言
私の知らない内に僅かな食事と仮眠をとったライナス様は、夜に蟲狩りへと向かっていた。
遠方ゆえ、おそらく2、3日は戻らないだろうと朝食の時アールが教えてくれた。
クエル国の蟲狩りは軍の所属だが、特殊な活動内容ゆえ軍とは別れて活動している。
複数の部隊で、ライナス様は第一部隊の隊長。
蟲の被害や出現情報が現れると、各部隊が赴き滅殺する。
蟲の数や種類によってはすぐ片付くこともあるが、数日かかることも多い。
時には大きな蟲の巣などに遭遇すると、複数の部隊で数ヶ月かけての駆除作業になることもある。
蟲狩りは戦に駆り出される軍人同様に家を不在にすることも多く、蟲との戦いで命を落とすことも多い。
クエル国では近年蟲による被害が増えているとアールは言っていた。
2日後、ライナス様は深夜に蟲狩りの任務より戻られていた。朝に挨拶に向かうと扉の前に立つ使用人から「旦那様はまだお休みでございます」とやんやりと断られた。
昼過ぎに馬のいななきがして、窓の外に目をやる。馬にまたがり、屋敷を後にするライナス様だった。
任務に向かわれたと近くにいた使用人が教えてくれた。
今日一日、顔を合わせてないな。
こうして輿入れしてからあっという間に10日が過ぎ、ライナス様と顔を合わせることなく、一人で食事を取るのが当たり前になっていた。
「おや、奥様こちらでしたか」
「アール。ええ今日もここで本を選んでいたの」
多忙かつ私を寄せ付けない旦那様。必然、当然一人の時間が長くなる。
その多くの時間をこの図書室で過ごしていた。
「ついついここに入り浸ってしまうわ」
「こちらは図書室で様々な本がございます。どうそご自由にお読みください」
図書室は壁一面、天井まで届くように本で埋め尽くされていた。
アールの言葉通り、部屋にある本は数も種類も豊富。恋愛小説から異国の語学まで揃っている。
その部屋の棚と棚の間に飾られていた大きな肖像画。
精悍で顎髭を生やした兵士が描かれていた。
じっと見つめているとアールが横に並ぶ。
「こちらは7代目の当主のブライド様でございます。蟲狩り部隊の基礎を築いた方と言われております」
屈強で誰よりも強い意志を感じさせる眉。すっとした鼻筋、太い首。緑色の瞳に銀色の髪。
初めて図書室に来た時からこの肖像画が気になっていた。
その佇まいから豪傑で明快な性格が伝わってくる。己の剣術に絶対の自信を持つ手練れだったろう。
ライナス様のご先祖様か。
ライナス様にもこの方の面影があるのかしら。
仮面の下の顔を思い描く。
「旦那様とお会いしなくなってかれこれ一週間は過ぎております」
いつもは無駄話をしないシイラから「奥様!よろしいでしょうか」と突然詰め寄られ、何かと思うとこの話題だった。
そうね、最後に顔を合わせたのは旦那様が朝出かけるところだった。
おはようございます、私の言葉に「ああ、おはよう」と一言。情のない挨拶を交わして、振り向くことなく足早に出かけていった。
「差し出がましいかと思いますが奥様、旦那様と顔を合わせ些細なことでも良いので言葉を交わしください」
言いたいことはわかっている。
「わかっているわ。でも旦那様はお忙しいし、何より私に情がないのよ」
「だからこそ会わなければいけないのです」
と食い下がらない。
「今しつこくしても疎まれるだけよ」
いいえと首を振る。
「自分を歓迎してない人と言葉を交わすより、一人でいる方が楽なのはわかります。今晩お会いになっても見向きもされないでしょう。厳しい言葉に冷たい視線、辛いことと存じます。でも会わなければなりません」
わかっている。私は嫁入りしたのだ。
妻としての役割を果たさなければいけない。
世継ぎなき結婚は解消されることもある。だとしても、あの方は私に露ほどにも興味がなく、またお飾りの正妻であることを望んでいるようだった。
そんな人に笑顔を振りまいても、追い出されるだけだろう。
「だとしても会わなければいけないのです」
?
どうしたのかしら、侍女であるシイラが主人にこんなにも強く意見を言うなんて。
「よろしいですか、顔を合わし言葉を交わすからこそ情が湧くのです。エリーナ様、私たちに必要なのは旦那様の情なのです」
愛はいらぬ。情けで良いというの?
確かに私の立場はとても弱く陽炎のようだった。誰も知り合いのいない異国に嫁ぎ、主人の寵愛もない。そして祖国の後ろ盾も何もない。
辛うじて正妻という肩書があるだけで、それも消えかけの焚き火みたいに、今すぐに新しい薪をくべないと炎が消えてしまいそうだった。
「エリーナ様、最初から諦めておいでではございませんか」
心を見透かしたような台詞にギュッと心臓が痛くなる。
「例え愛がなくても、情があればいざという時に守ってもらえます。エリーナ様が旦那様をどう思っていようとも、ライナス様はここの主人なのです。私たちの運命など彼の方の一言で決まるのです。ライナス様が主人だと心に刻むべきです」
後から思えばこの時のシイラが必死なのは当たり前だった。付き人と主人は運命共同体。
主人が厚遇されていれば、自分の待遇もよく、主人が失脚すれば共に流刑の地で貧困生活。下手をすれば共に処刑されてしまう。
シイラは遠い異国の地で自分の身を守るのに必死だったのである。
そんな真剣な彼女の言葉が頭を離れなかった。
その通りだった。
私は甘えていた。
ぞんざいな扱いをうけ、こちらが歩み寄っても冷たくあしらわれる。それであれば一人で自分の時間を過ごす。その方がずっと楽だ。
でもいつまでその生活を続けれられる?
今は従順な使用人たちもいずれ横柄な態度になるだろう。それに宮殿で幾度となく目にした、皇帝に忘れられた妃たちの末路。
宮殿ではよく見かける悲しい姿だった。
正妻の皇后以外の複数の側室たち。
寵愛がなければ、側室という立場であっても陛下と話すことも会うことさえない叶わない。寵妃の楽しそうな笑顔の陰で、寂しく長く続く無限の夜をひたすらに過ごすのだった。
後ろ盾も、運もなければ生涯陛下とは縁はない。
いずれ遠からず訪れる私の未来でもあった。
本心は別にこのまま朽ち果ててもいいと思っていた。
祖国では私はもう死んだようなもの。宮殿では死人のような扱いで、流刑先では死と隣り合わせの日々。
一度死んだ身、未来の幸せを神に祈る気も無い。
どちらでもよかった。流刑先で死ぬのも、異国の地で朽ち果てるのも。行く末は同じ。どうせ死ぬのならばせめて皇女の身分で・・・それだけの思いだった。
でも、私も目が覚めた。
拒絶、拒絶、罵倒、罵倒、無関心。
例えそれが続こうとも、旦那様に会い続けなければいけない。
わかってる。これから先、旦那様が私を寵愛することなんてないのは、初めてあった時からわかっている。でも、この命綱が切れないように可能な限り、旦那様の心に私が存在しなくてはいけない。
私が生き延びる、それはあの人たちへの慰めにもなるかもしれない。
ならば、生きよう。ここで。誇り高く———。
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