第3話 二人の夜

 一人の夕食が終わると、入浴をして身支度を整える。

 シルクのネグリジェを纏い部屋で待っていると扉をノックする音がした。すかさずシイラが取り次ぐと、私の腕を取り「では、参りましょう」

 どこへって?

 新婚夫婦の初夜だ。

 旦那様のところ以外行くところはない。

 床入り、だ。


 わかっている事とはいえ、やっぱり緊張する。

 侍女の案内で黒く重厚な扉の前に来る。扉の前にはアールがいた。

 アールが扉をノックする。

 中から返事がある。


「旦那様、奥様がいらっしゃいました」 


「入れ」


 相変わらず短い言葉。でも少しほっとした。

 どこかで追い返されるのではなんて心配していた。

 もちろんこの後、起こることはわかっている。

 経験がなく、それもほぼ初対面の男だ。

 実際顔を合わせた時間なんて1時間もないのでは。


 そんな相手とこれから体を重ねるのか。

 吐き捨てられた冷たい言葉。狼の仮面。

 緊張、恐怖、羞恥心。

 全てがぐるぐると頭を巡る。


「失礼致します」


 ライナス様の部屋へ、足を踏み入れる。

 広さは屋敷の主人だけあって、私の部屋よりもずっと広い。


「きたか」


 声の主はソファーに寝そべるように座っていた。

 

 ・・・・。

 

 この人、本気なの?

 流石にないだろうと甘く考えていた。

 結婚式の最中でさえ仮面を取らなかった男。

 

 びっくり。どっきり。

 狼の仮面をつけていた。寝巻きのガウン姿ゆえに、その異様さが際立っている。

 まるでおとぎ話の世界にでも迷い込んだ見たいね。

 

 付き添っていた侍女は下り、部屋を後にした。

 部屋には狼の仮面を被った旦那様と私の二人きり。

 サイドテーブルに置かれた赤ワインを一口飲むと「飲むか」


「いいえ、私は」

 

 断ってしまったけど、お酒の力を借りた方がよかったかしら。緊張でいつも以上に無口で無愛想になっているのが、自分でもわかる。


「遠路からの旅、ご苦労だったな。こんな辺境の地まで嫁入りとは、姫様も国の為に大変だな」


 くくくっと笑う。


「あの・・・・」

「あ〜どうした?」

「その・・・旦那様はいつも仮面を・・・」


 私の言葉にぴくりと反応する。


「気になるか?」


 威圧するような鋭い目に、体が硬直する。


「まあ、気にならないわけはないな。ハハハハ・・・・」


 ひとしきり笑った後、スッと真顔になる。もちろん仮面を被っているから実際の表情はわからない。

 だけど感じる。

 氷のように突き刺すような冷たい視線を。


「部屋へ戻れ」


 いけない。

 怒らせてしまった。おそらく触れてはいけない話題に触れてしまった。 

 慌てて立ち上がり、膝をつく。


「申し訳ございません。不愉快な思いをさせて・・・」

「違う」


 ダンッと音を立ててワイングラスを机に置く。


「最初からお前を抱く気などなかった」

「旦那様っ!」


「いいか、お前は俺の妻だ。先ほどの挙式も王への報告も済ました。紛れもない正妻だ。だから家では正妻として大きな顔をしていればいい。使用人も顎で使え。無礼な態度を取られたらアールに言って折檻させてもいい」


 だがっ!!そう言うなり、すくっと立ち上がる。


「それだけだ。俺たちの関係はそれだけだ。それ以上はいらん。言っただろう、我が素顔を見れるのは真の妻だけだと」


 目の前で跪く私を愉快そうに見下ろす。


「素顔が見たければ、真の妻となれ。まあ無理だろうがな」


 真の妻って。正妻になった私と何が違うの。

 片頬で笑うと「わかったらさっさと部屋へ戻れ」


 戻れと言われても。はいそうですか、と下がれるわけなんてない。

 初夜を拒否されるとは、大きな意味がある。


「旦那様」


 すがる私の目に無視してアールを呼ぶ。


「花嫁を部屋に案内しろ」

「だ、旦那様・・・しかし」


「いいから連れて行け!!!ぐずぐずするな!!!」


 あまりの迫力にアールは何を言っても無駄だと理解して、侍女に私を連れて行くように指示を出した。


「アール・・・」


 私の呼びかけに、アールは静かに目を伏せる。

 今はご辛抱ください、そう言っているようだった。

 侍女に手を引かれてよろよろと部屋をでた。

 その背中ではアールとライナス様のやり取りが聞こえた。


「ふん、構わん。婚礼の儀式は終わったのだ。それで十分だろう。あの者は政略結婚で連れてこられただけの女。俺を愛しているわけでもない。それと床を共にしろだ?無理な話だ!!」


 気づけばベットに入っていた。

 赤ワイン飲んでおけばよかった。そうしたら少しは眠くなっていたかもしれない。


 目の前に並ぶ出来立ての朝食に全く食欲がわかず手をつけないでいた。


「昨夜の出来事、エリーナ様にご不快な思いをさせて誠に申し訳ございません」


 主人に代わってアールがまたもや床に頭をつける勢いでペコペコと謝る。

 この人も苦労が絶えないな。


「奥様、昨夜のことは一部の使用人しか知りません。また彼らにもきつくきつーく口止めを致しました。もしその事で無礼な態度を取るものがおりましたら、すぐに教えてくださいませ。私アールが厳しく注意を致します」


 初夜に送り返された花嫁となれば使用人から軽く見られることもあるだろう。

 だからアールも昨夜のライナス様もその点について触れていた。


 !!??


「美味しい・・・」


 何気なく口に運んだコーヒーだが、びっくりするほど美味しかった。

 すっきりとした味わいで変な苦味がない。


「どうでございましょう。お口に合いましたでしょーか」


 横でアールがニコニコとしている。まるで飼い主に褒めてもらいたい犬みたいに。


「ええ、とても美味しくて飲みやすいわ」


「そうでございましょう。こちら東部のドナリド地方産のコーヒー豆を使用しております。変な雑味がなくすっきりと飲みやすいのが特徴で寝起きの朝にぴったりのコーヒーでございます。私アールが一杯一杯丹精こめて入れております」


「へえ、すごいわね」

「ちなみにですが、午後には複数の産地の豆をブレンドしたアールハッピータイムスペシャルをお出ししております」

「ハッピータイムスペシャル?」

「ハッピータイムスペシャルは深い味わいと強い香りが特徴で、少し眠気を感じた時にはぴったりのコーヒーになっています。お茶菓子などとの相性もバッチリでございます」


「す、すごいわね」

「恐れ入ります、バリスタの資格を持っておりますので、ご希望のコーヒーがあれば何なりとお申し付けください」


 流石名家の執事ともなれば、様々なことに精通しているみたいね。

 そのコーヒーのおかげが、全く食欲がなかったのに胃が空腹を訴えだした。ふんわりと焼かれた丸いパンに手を伸ばす。


 うん、やはり美味しい。

 昨日も食べたけど、このお屋敷のパンって本当に美味しい。いい小麦を使っているのかしら。

 まあ、パンだけじゃなく食事の質が高い。宮殿の食事にも引けを取らないレベルの高さ。

 気づけばあっという間にペロリと平らげていた。


「うふふ、食欲なかったはずなのに全部食べてしまったわ」

「お口にあったようで何よりでございます。我々も食事の質はそこれへんの貴族に負けないと自負しております」


「そのようね」

「旦那様の指示なのでございます。食事においては金に糸目はつけず、いい物を選べと。蟲狩りは体が資本です。その為にはバランスが取れ、栄養価の高い食事が必要です。ですから、我が屋敷では旬のフルーツや上質な調味料や新鮮な野菜や肉を取り寄せております」


 調味料一つにしても妥協はしておりませんと、えへんと胸を張っていた。




 

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