第2話 顔合わせ

 長い旅もようやく終わり、目的地へと着く。

 

 大きな石造りの屋敷に着くと、外には使用人と思われる人たちが並んで出迎えてくれた。

 庭は丁寧に手入れをされていて、季節の花々も植えられていた。


 冷血非道と言われる貴族の家にしては、可愛らしい。てっきり、薄暗く荒れ果てた庭を想像していたから。

 出迎えてくれている使用人たちもみな笑顔。想像していた家とはだいぶ違い、少し拍子抜けしてしまった。

 初老の口髭の男性がうやうやしく私を出迎えると、中へと招いた。彼はアールと名乗り、旦那様の執事長をしていると言っていた。


「エリーナ様、長旅でお疲れだったでしょう。ささ、早く中へお入りください。えーとこちらは・・・でかっ」


 隣に立つ侍女を見て、小声でアールが呟く。

 百戦錬磨と思われるベテラン執事が思わず口にしてしまうのだ。これは誰もが通る道なのだろう。私だって同じだった。


 第一印象———、でかっ。


「エリーナ様お付きの侍女、シイラでございます」


 うやうやしく下げた頭を上げる。その身長は私の頭二つ分は高い。

 おまけに肩幅もあり、でた頬骨に鋭い目、女性にしてはハスキーな声。凛々しく髪を頭の上で一つにまとめている。


「お付きの方ですか・・・護衛官とかではなく?」


「何かおっしゃいました?」


 シイラがギラリと瞳を光らせると慌てて「なんでもないです」と訂正した。

 宮殿の宮女というからには独身の女なのだろうが、どうみても女装した男に見えてしまう。

 厳しい宮中の規則だから、性別を偽ってなんてことは無理だろうけど。

 まあなんかの策略で可能性はゼロではないが、こんな皇女と共に辺境の地へ送られるなんてきっと何か事情があるのだろう。 



 応接間でお茶を飲んでいると、ザワザワと人の気配がした。

 アールは「失礼致します」と廊下に顔を出すなり、すぐに戻ってきて微笑んだ。


「旦那様です」


「ライナス様がいらしているの?」


「はい、急な呼び出しで今から任務に向かわれるようです。どうぞご挨拶を」


 この屋敷の主、つまり私の夫となる男。

 否が応でも頬がこおばり、体が硬くなる。

 それは即ち残りの人生の明暗がわかるからだ。これ以上ない幸運を賜るのか、一生地を這う人生なのか。


 旦那様と挨拶。


 背筋を伸ばす、努めて柔らかい表情を作ろうとした。

 笑わなきゃ。笑顔、笑顔。

 ————。


 体がこわばる。難しく考えなくていい。口角を上げるだけでいい。

 とにかく笑うの。笑うのよ。


 シイラに手を引かれて廊下へ出る。

 主人の支度をする為に、慌ただしく行き交う使用人。彼らにアールが冷静に指示を出していた。


「エリーナ様、旦那様がいらっしゃいました」


 カツカツカツ———。その存在感がそうさせているのか、廊下に足音が響き、彼が歩く一歩一歩がゆっくりとスローモーションのように見える。


 廊下の向こうから現れたのは、噂通り仮面をつけた男だった。


 白銀の狼の仮面。

 顔全体を覆っていて、辛うじて口もとだけは覆われていなかった。

 仮面の生々しさもあり、まるで狙いを定めた狼がこちらに向かってくるかのようだった。

 大柄ときいてはいたが、背丈は標準的な兵士と大差なさそう。しかし背筋がピンとのび、堂々としているので実物以上に大きく見せていた。 


 金色の瞳と目があう。孤高を貫くような瞳。


 射るような強い視線に、挑むような目で見つめ返してしまった。

 その視線を受け、ライナス様はにっと笑った。 


 魔物。


 一瞬、彼の後ろに多くの魔物が見えた気がした。その背に多くの魔物を従え歩く様は地獄の番人のようだった。


「お初にお目にかかります。私はエリーナ様お付きの侍女、シイラでございます。そしてこちらのご令嬢が・・・」


 澱みなく流れるようなシイラの挨拶ではっと我に帰る。

 シイラは仮面をつけた男の登場にも全く動揺してない。

 いけない。笑顔、笑顔。

 微笑みながらゆっくりと膝を曲げる。


「第三皇子の娘、エリーナでございます。ライナス様にご挨拶を」


 多分、2秒。長くても4秒。その程度。

 ライナス様は黙っていた。

 きっと知らぬ間に息を止めていたのだろう。この一瞬がとても長く感じた。


「私が屋敷の主、ライナス・スペードだ。長旅ご苦労であった」


 丁寧な言葉だったが、抑揚の無い口調。そこにはどんな感情も見えない。

 言い終わるなり、もう用は済んだと言わんばかりに使用人から手袋を受け取り背を向ける。

 ハグも握手もない、ときめきのない顔合せ。


「取ってつけたような笑顔だな」


 背中を向けたままのライナス様が言った。冷たい背中だった。


「張りぼての不自然な笑顔だ。見るに値もしないな」


 それだけ言うと、私の方を見ることもなくスタスタと使用人と共に玄関の方へと歩き去っていった。

 呆気に取られているとアールが慌てて何かを言いながらその背を追いかけていく。

 力強い足音が遠ざかっていくのがわかった。




 ———張りぼての不自然な笑顔だ。見るに値もしないな


 婚約者との初対面の挨拶がこれとは。

 とんだ変わり者だわ。

 政略結婚では愛はなくとも、礼節を尽くしてくれる相手なら当たりだと言われている。

 それでいえば、大外れなのかしら。

 

 あの後、血相を変えたアールが床に頭を打ちつける勢いで主の非礼を詫びていた。


「もももも申し訳ございません。大変ご不快な思いをさせてしまいました。あれは決してライナス様の本心ではございません。ライナス様は少し人付き合いが苦手なところがございまして、ついつい照れ隠しに言ってしまっただけでございます。とわいえ、あのようなご無礼を簡単に許して頂けるとは思っておりません。全てはこの執事長の私の不徳の致すところ。どうぞ私に罰を・・・」


 なんてアールは言っていたけれど。

 あれは本心だろう。


 あの方は私の内面を見抜いていたのだ。仮面の下の鋭い瞳は本物だ。

 笑顔なんてハリボテ。つくりもの。

 私はもう何ヶ月も笑っていなかった。笑顔を作ることが難しくなるほどに。


 


 翌日は朝から結婚式だった。

 本来は中一日をあけて、挙式の予定だったが長雨による悪路の影響で到着が一日ずれてしまった。日付は王室が選んだ吉日であり、変更は難しい。強行日程だったがそのまま行われることとなった。


 インイでは花嫁は鮮やかな婚礼衣装に豪華な宝石を身に纏い、女の人生で最も美しく着飾るのが伝統だったが、こちらでは真っ白な婚礼衣装だった。宝石なども控えめでインイとは対照的だ。

 白い衣装は純潔を表したり、あなた色に染まりますという意味を持つとか。

 

 また衣装だけでなく、式もまた国が違えば異なる。

 太鼓や楽器の音、多くの親族が集まり、時には爆竹を鳴らすような賑やかで派手な結婚式が多いインイ。それとは対照的にクエルでは司祭に夫婦の誓いを立てるだけの式だった。立ち合いの親族も大勢の招待客もない簡素なものだった。

 

 まあ挙式の豪華さなどはどうでもいい。

 まさかとは思ったけども、ライナス様はその式さえも仮面をつけたままだったのだ。

 日常生活はまだ理解できるが、挙式でさえも素顔を晒さないとはね。

 

 神聖な儀式の場だ。仮面を外すようにやんわりと促す司祭に彼は高笑いを浮かべた。


「ふん。俺の素顔を見ようと思うか。素顔が拝めるのは真の妻だけぞ。おぬしが見たければ、力づくでくるがいい。ただしその時は魑魅魍魎、魔がうごめく蟲の世界に飛び込む覚悟でこいっ!!!」


 驚いた司祭は「滅相もない」と言ってそのまま式を進めた。

 誰だってそうだ。異様な仮面をつけた屈強な男にそう言われてNOが言える人なんてそういない。

 全く色気も浪漫もない結婚式が終わった。


 それにしても、ここまでに偏屈な変わり者だったとは。

 多くの女性が縁談を受けなかったのも理解できるわ。

 式も仮面をつけたままとなると・・・・。

 つまりあれね。

 素顔を拝見できるのはあの時だけというわけね。

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