yasunariosamu

第1話 嵐

「今夜は嵐になりそうだから、早めに寝なさい。」


子供のぼくが、母に言われた。


「わかった。」


そう言って、食卓を離れる。こっそり、起きて本でも読もうと考えた。嵐の風や雨が屋根を叩く音を聞くのも楽しみだった。電気が、つかなくなったらこっそり蝋燭をつけてみようか。いや、それは、こないだ、見つかって、こっぴどく怒られたばかりだった。そういえば、読みかけの本が見当たらない。確か、昼間は居間で読んでいた。あそこに置きっぱなしか。


細い廊下を抜けて、居間に着く。


「本当に嵐になりそうだ。」


窓の外の魚たちが、随分と騒がしい。嵐が近づいてくるので、この外壁に囲まれた内にだいぶ集まってきてるみたいだ。いつもは、見られない頭にコブのある大きいやつや、平べったい虹色の魚が泳いでいる。いつもは群れない縞々の魚も、今日だけは群れているように見える。上の窓は、嵐の前の空を写している。雲が随分と低い。まだ、日暮でもないのに、随分と薄暗い。窓の景色は、上と下で水の上と水の中をきれいに分けていた。嵐が来る前だからか、その境目の動きが、激しい。幼い頃から同じだから、今更気にはならない。こないだ、外壁から来た友達は、「少し気持ち悪くなった。」て言ってたけど。


反対側に回る。外壁の切れ目が見える。天気がいい日は、切れ目の先に広がる外側の水面と薄い青い空が、まるでその切れ目から始まっているように見える。そこから、小さなヨットがひっきりなしに出入りする様子は、カモメが、楽しげに遊んでいるみたいだ。本物のカモメも実際にその周りで飛び交ってるから、カモメみたいだは何か変だけど。


視界の片隅を人影が横切った。いや、窓の外に人がいたような気がした。改めて、見直すと人魚が、岩の上でくつろいでいた。今日は雄しかいないみたいだ。上半身にがっしりついた筋肉を見てそう思った。嵐の前だから、雌の人魚たちは巣に避難しているのだろう。人魚たちの巣が、この内側のどこにあるかしらない。でも、かれらは、天気のいい日も悪い日も、内側に浮かんでいるような岩場の上でよく見かける。今日みたいに、天気がすごく悪そうな日は、雌たちは滅多に見ないけど。とすると、雄の人魚たちは、くつろいでいるんじゃなくて、嵐の様子を監視しているのかもしれない。


岩場の人魚たちの後ろには外壁が聳えている。外壁では、嵐で窓ガラスが割れたりしないよう、たくさんの人が、防護シャッターを下ろす作業をしている。ぼくの友達のお父さんもそう言う仕事をしているって聞いたことがある。今、内側をしてるってことは、外側の作業は終わったのだろう。いつも外側のシャッターから下ろすって、いっていた。ぼくの家は、内側にあるので、外のシャッターを下ろす作業をしている様子は見たことない。内よりも外の方が、風が強かったりしてて大変らしい。でも、『見晴らしは凄くいい』って、友達が言っていた。お父さんの仕事をちょっと手伝わせてもらったことがあるらしい。


ぼくは、外を見るのをやめた。ここへは、本を取りに来たんだった。部屋の形に沿って、丸い形の薄い黄色のソファ。とうさんが壁の色に合わせて選んだらしい。かあさんは、「掃除がしにくい」ってぼやいていたけど、生まれた時からこのソファだからあんまり気にならない。逆に、外壁にある友達の家に行った時、まっすぐなソファを見て、『ちょっと変だな』って思ったくらいだ。四角い部屋に四角い壁、四角いTVで、ビデオゲームをして遊んだ。ぼくのうちには、TVもゲームも置いていない。かあさんが、嫌いらしい。だから、家では、もっぱら本を読んでることにしている。


ぼくの家は、あんまり広くないし、内壁が湾曲しているから、本棚とかもない。本は、外壁にある図書館で借りることにしている。貸出カードに僕の名前が書かれるのが、妙に楽しい時期もあったけど、クラスの嫌いな女の子に、名前があったことを指摘されてから、とうさんやかあさんの名前で借りるようになった。時々、妹の名前も使う。図書館で借りる本は、いろんな人が借りるからだろう、頑丈な作りになっている。子供としては、随分重い。


ソファーの間にそれはあった。赤黒色の皮の表紙。半分くらいまで読んで、挟んだ栞。図書カードはない。ぼくに貸し出した、証拠として、図書館に保管されている。それを持って寝室に行く。ぼくの部屋は、妹とおもやいだ。ベットは友達に「カプセルベットだ」って羨ましがられた。友達の家のベットは、四角い部屋の片隅にパイプで作ったベットが二階建てになっていた。ぼくとしては、広々ととして、すぐに上と下を行き来できるそのベットが、うらやましかったのだけど。


屋根を雨があたる音がし始めた。降り始めたらしい。ベットの窓から見える、窓の外の水面が泡立ち始める。雨粒が落ちるたびに弾けて、小さな水柱を立てる。海の中の魚達は、右往左往。慌ただしい。いつのまにか、岩場の上の雄の人魚達はいなくなってしまった。ほんとにいつもはどこにいるのだろう。下のカプセルの妹は、早々にいなくなってしまった。嵐が来る時は、怖がってるふりをして、とうさんやかあさんのベットの方に潜り込む。いつものことだ。ぼくは、もう大きいので、そんなことはしない。流石に、雷が落ち始めた時はどうしようかと考えたけど。


屋根の上の雨音はだんだん大きくなる。はじめは、耳障りだったその音も、慣れてくるとちょっと楽しい音楽のように聞こえてくるから不思議だ。半分海に浸かっているこの家からは、海面に落ちる雨音も聞こえる。それらの雨音は、外壁に反射して、雨のオーケストラだ。ちょっと激し目の。もう日暮れの時刻だ。だんだんと、闇が深くなってきて、まるで、音の湖の中で、漂っているような感じだ。身体なんかない、ぼくも一つの音として一緒に。


窓のカーテンを下ろす。ふっと電気が消えた。停電かな?カーテンを上げた。外壁の灯も消えている。真っ暗の海のなかで、窓の外の魚達が、泳いだ後がうっすらと青く光るのが見えるようになる。プランクトンが、魚にあたって青く光るんだって、とうさんに教えてもらった。何で光るのかも聞いたんだけど、すぐに忘れてしまったので、今は知らない。大きめの青い光が、向こうを横切る。人魚達かな?そう思ったけど、はっきりとはみえない。外壁にある避雷針に、雷が落ちる。まるで、光る龍が、遊びに来ているようだ。少し遅れて、大きな音がする。その時ばかりは、少し背筋が伸びる。妹は、とおさん達にしがみついて、丸くなっているに違いない。


「大丈夫?」


かあさんが、灯をもって、ベットの入り口に来た。


「大丈夫。」


ぼくは答える。もう怖がってばかりもいられない。ぼくは大きいし男の子だから。まあ、でもついでだから、トイレに行っておくことにした。帰りにもう一度、一緒に寝るか誘われたけど、自分のベットに戻ることにした。明日の朝、友達に話す時に、かあさんと一緒に寝たなんていうわけにはいかない。


暗闇で、雨の音を聞きながら目を瞑る。雨の音の海で、漂っている感じになった。時折、風の音が、通り過ぎる。しばらく、そのままでいると、音は遠くへさっていき、さらに深い闇に体は沈んでいく。静かな、本当に静かな闇の中に。しばらくして、窓から差し込む灯りで目が覚めた。朝日が昇っている。嵐は去ったらしい。岩場の上では、雌の人魚達が、楽しそうにお話をしていた。僕は、ベットから這い出て、顔を洗いに洗面所にいった。

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