文化委員 速水君の場合

速水が彼女、時東陽南子ときとうひなこ出会ったのは、1年の春期講習の時である。

陽南子は3つ先の駅にある女子高の生徒で、とても可愛らしかった。

女の子らしいというか、ふんわりとしたイメージがある。

入った当初から彼女は校内の注目の的だった。

速水も彼女を見た瞬間、一目惚れしたらしく、塾に来るたびに彼女の姿を探すようになった。

そして、同じ女子高に通う女子から情報を引き出し、彼女が今フリーだということを知った。

速水はそれを聞くと、早速、陽南子に告白。

あっさりとOKしてもらった。

速水は晴れて陽南子とお付き合いができるようになったのだ。

そして、放課後や休日に何度かデートを重ねた。

メッセージのやり取りは、毎日、朝晩欠かさず行っている。

速水の恋愛のノウハウは妹が買ってくる少女漫画からだった。

女子の思い描く理想の彼氏像を学ぶためだ。

速水の趣味といえば、漫画鑑賞である。

部活もその時はまっていた漫画で部活を決めた。

だから今はバレー部だが、中学の時はバスケ部だった。

速水にとって自分が得意かどうかは問題ではないのだ。

その時に気持ちが盛り上がれるかどうか、それだけだ。

だから、今の漫画の展開を見ながら練習内容に取り入れたりする。

わけのわからない必殺技みたいな言葉を発しながら、サーブやレシーブを行うこともあった。

部活のメンバーはもうすっかりそんな彼に慣れてしまい、突っ込むことはない。


そして、今年の文化祭、速水は流れで演劇の王子役に選ばれた。

相手が女子でないことは残念だが、ここは彼女に格好いいところを見せられるチャンスだ。

そう思って、今日も妹の部屋の扉を豪快に開ける。


「よぉ、妹! 素敵な王子様が出る、少女漫画を貸したまえ!」


もうすっかり成り切った速水が妹に言い放つ。

妹はものすごく迷惑そうな顔で兄を見つめていた。


「なんでもいいけどさぁ、ノックぐらいして入ってよ!」

「俺とお前の仲じゃないか! お前に漫画の面白さを享受したのは誰だと思ってるんだよ」

「それ、もう何百回も言われた」


妹はため息をつきながら、ベッドから降りて漫画の並ぶ本棚に向かった。

妹は兄の影響もあって、同じように漫画好きになっていた。

兄は少年漫画、妹は少女漫画を買いそろえ、お互いに貸し借りしていた。

更に妹に限っては、漫画好きが高じて自分で漫画を描くほどだ。

しかも、それがそれなりに様になっているようで、コミケではそこそこ名の知れた作家らしい。

それに比べて兄は漫画を読むたびに勝手に評論会を行うだけで、何の足しにもなっていなかった。

妹はそれっぽい漫画を取り出し、兄に渡す。


「私のお勧めはこれだけど、今度は何に使うの?」

「文化祭の演劇。俺、王子役に決まったからよ」

「お兄ちゃんが王子様!?」


妹はありえないわぁと怪訝な表情を見せる。

兄としてはそんな顔をされるのは納得いかない。


「お前にはわからないだろうが、これでも俺は校内ではイケメンで通ってるんだぞ! 中学の頃からそれなりにモテたしな、馬鹿にすんな!」

「とは言っても、イケメンに関してはお兄ちゃんより優秀な生徒がたくさんいるんでしょ? 噂で聞いたことがあるよ。成瀬君と桜井君。私も大越高校受験しようかなぁ」


妹は現在中学2年生。

来年は受験生になる。

成績は兄ほどではないが、悪くはない。

今のところは陽南子と同じ女子高に通うつもりだったが、大越にイケメンが集まるというなら受験してもいいと思った。


「お前が入学するころには成瀬も桜井も卒業してるだろう? それにお前の成績で入れるほど大越は甘くないぞ」

「私にはまだ1年あるし、わかんないじゃん。それにお兄ちゃんが入ったんだよ。私だってやる気を出せば入れるよ!」


妹は自信満々に答える。

それに対して速水はむっとした。

調子のいいことばかり言っている妹だが、案外そういうことを平気でやってのけてしまう要領の良さを持っている。


「まあ、私は今年の文化祭行かないけどさ、頑張ってよ。彼女も来るんでしょ?」


妹には何もかもお見通しだった。

速水はうっと体が固まる。


「あの彼女、絶対、面食いだよね。お兄ちゃんも気を付けた方がいいよ。文化祭に行って、成瀬君や桜井君見たら、取られちゃうかもよぉ。まあ、精々演劇を頑張って、彼女の心を掴むことだね」


妹はにやけ顔で兄を部屋から追い出し、再びベッドに戻った。

速水は持たされた漫画を見つめながら、少なからず不安は感じていた。

妹に彼女の事を面食いだって言われたのは気に食わないが、速水が告白したとき、速水と陽南子はそこまで関りを持っていなかった。

それなのに1発OKってことはそういうことなのかもしれない。

それなら、尚の事、速水は勉強してイケメン以上の価値を付けないといけない。

女性の理想の男性になって彼女のハートをつかみ続ける。

そう覚悟を決めていた。


しかし、その文化祭の当日、速水は大失敗することになる。

彼女を当日誘ったのはいい。

演劇もそこそこうまくいっていて、格好いい王子様を演じられる自信もあった。

彼女と待ち合わせをしてすぐに桜井に会ったのは誤算だったが、特に彼女との関りは少なかったし、問題はないと思った。

成瀬も同じ劇には出るが、お姫様の格好をしている男子に惚れることはないだろうと思っていた。

そして、校内を半分回ったあたりで、突然腹に激痛が走った。

トイレに駆け込んだ後、動けなくなった速水はそのまま保健室に運ばれる。

クラスメイトの何人かが心配して速水の様子を見に来る者もいた。

大事な主演の劇なのにこんなところで辞退するのは非常に無念だ。

しかも、彼女にはこんなに格好悪いところを見せてしまっている。

腹が痛がってばかりで彼女に気を使ってあげることもできない。

代わりに速水以外の男子生徒が彼女に気を使っていたようだが、速水にはその相手が誰だったのかわからなかった。

更に速水が目を覚ます頃には彼女の姿は見えず、一瞬帰ったのかと思ったが、30分後には戻ってきてくれた。

だから、安心していたのだが、やはり事はうまくはいかない。

文化祭が終わった後、数日後、彼女からメールが届いた。

『好きな人が出来たので別れてください。勝手な理由でごめんね』

彼女からのメールは以下の通りだった。

その後、何度か考え直してほしいと頼んだメールを送ったが、返信はなく、電話をかけても出てくれなかった。

完全にフラれてしまったのだ。

その日は、ひたすら布団の中で泣いた。

翌日には目をはらして登校し、友人の何人かに大丈夫かと声をかけられる。

最終的には浜内や成瀬たちの前で泣き言まで言ってしまって、すごく情けなかったけど、自分の青春と努力がこうあっさり終わってしまったのが悲しかったのだ。

妹から言わせれば、あっさりOKされた付き合いなんて、別れるときにもあっさり終わるものだよとどこか大人びた発言をされたが、確かにそんなものなのかもしてない。

速水は泣きながらも、この悲しみを今度行われる球技大会にぶつけることに決めた。

そして、本棚の前に立つと必要な漫画を選び、床に並べ読み始める。

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