入試日 浜内君の場合

明日が本番だというのに、浜内は全く勉強に集中出来なかった。

いつもはしない部屋の掃除を急にやりたくなったり、もう何度も読み返して飽きたはずの漫画を読み始めたくなったり、撮り溜めしていたドラマを見てしまったり、全く関係ない事に手を出してしまう。

このままでは第一希望の県立大越高校にも合格できないだろう。

そもそも、別に浜内は自分でこの大越高校を選んだわけではない。

単純に医者である父親の母校であるから受けるだけだ。

浜内の家は代々医者の家系で成り立っていた。

だから、母親の麻子は是が非でも息子を医者にしようとしているのだ。

浜内自体は医者になる気などもうとうない。

勉強も苦手だし、ホラーも苦手だから、人体の真実など知りたくもなかった。

それでも医者の妻として母親の麻子にはメンツがある。

浜内的には自分と違って優秀な姉がいるのだから、姉が家系を継げばいいと常々思っていた。

しかしそうは思っても試験は受けるのだし、このままではダメだと、浜内は自分を自分で引き締めることにした。

そして、思いついたのが水業だ。

この気温の低い日に、水をかぶって頭を冷やしたら少しは頭が冴えるのではないかと考えた。

早速、風呂場に行き、パンイチで水をかぶり、5分間外に出て頭を冷やした。

頭を冷やすどころか、身体全体を冷やし、浜内は翌日、39度以上の高熱を出した。




試験日にも関わらず、全く部屋から出てこない弟を見かねて、姉の栞恋かれんが弟の部屋の扉を蹴破った。

弟は布団の中で苦しそうにぜいぜい息をしながら、布団に包まっている。


大成たいせい起きなさい! あんた今日、大越の入試の日でしょうが!?」


苦しそうな弟に跨って、栞恋は胸倉を掴んで何度も揺さぶった。

しかし、弟は意識が朦朧としていて動けない。

そんなところに母親の麻子がやってきて、栞恋に指示を出す。


「栞恋、もういいわ。そのまま制服に着替えさせて頂戴。後は私が車で無理矢理運んでいくから」


栞恋はわかったと言って無理矢理弟を着替えさせ、鞄を持たせた。

そして、母の自慢の外車の後部座席に弟を投げ入れる。


「ありがとう、栞恋。ママは大成を送ってくるから、後はよろしくね」


麻子は栞恋にそう言って車を出し、大越高校へと向かった。

栞恋は玄関の前で手を振って見送っている。




学校の前に着くと、麻子は浜内を車から降ろして、校門の前に立たせた。

そして、フラフラの背中に喝を入れるように思い切り叩く。


「いい、大成! 必ず合格してらっしゃい。浜内家の男子は全員、大越を卒業して医大に合格しているの。わかってるかしら?」

「耳にタコができるくらい聞いてるから知ってるよ……。それより、今日、俺、すごく体調悪くて、熱があるみたいなんだけど……」


浜内は母の前で息を切らしながら言った。

麻子も自分の息子の様子を見て、確かに体調が悪そうなのは把握した。

しかし、自分にも風邪が移るのは危険だとハンカチで口を押えて、息子から距離を置く。


「恐らく風邪ね。試験が終わったら、すぐに迎えに来るから、今日1日は辛抱しなさい」


麻子はそう言って、車の乗り家へと帰っていった。

医者の家の割には病を軽んじている気がするのは彼だけだろうか。

しかし、今日が終われば何もかも終わると思い、浜内は必死に自分の力を振り絞って校門から校舎に向かって歩いた。

ふと目の前を見ると女子2人組の受験生が歩いていた。

そのうちの1人のスカートに枯れ草が付いている。

浜内はなんとなくそれを取って、その少女に声をかけた。


「あの、枯れ草ついて――」


その瞬間、浜内の頬に膝蹴りが入る。

その勢いで浜内は縦軸に身体を回転させ、地面に倒れた。


「どこ触っているのよ、変態!」


お礼を言われるどころか、罵声をくらわされて終わった。

その後は皆、彼を避けるようにして校舎に向かっていた。

彼はそこで意識を失い、その場で当分の間倒れていた。


「君大丈夫?」


浜内が数分間、意識を失っていると誰かが優しく声をかけてくる。

彼がゆっくりと目を開けると、そこには天使がいた。

天使は浜内を心配そうに見つめている。

ついに自分は天国に来たのかと思った。

しかも、最初に声をかけてくれる天使がこんなに可愛い天使なら本望だと思ったが、天使の服装を見るとズボンだった。

男子の制服のズボンだ。

まだここでは死ねないと浜内はかっと目を見開く。

彼はまた優しく浜内に声をかける。


「係の人を呼んでこようか?」


それは困ると思った。

確かに今、係員を連れて来てもらったら、このままタンカーで運ばれて保健室でぬくぬく眠れるかもしれないが、試験は受けられない。

それは試験を辞退したのと同じことだ。

そんなことになれば家に帰って母親にどんな顔をすればいいのかと思った。

確実に母親の指示で姉からのレインメーカーとシャーマンスープレックスを食らわせられると確信した。

少年も想像した浜内の血走った顔を見て、ぎょっとしている。

ここで生きて帰られても後で死ぬ。


「い……いやだ……。ここで止められたら……試験……受けられない……」


浜内は必死で抵抗した。

それを察してくれたのか、少年も係員を呼ぶのを辞めてくれた。


「立てる?」


少年はそう言って、浜内の腕を持ち上げ、肩を貸してくれた。

それによって辛うじて起き上がることが出来る。

ぜいぜい言いながら、浜内は必死で校舎まで歩いた。

途中で係員の男性が浜内に声をかけようとしたが、浜内はそんな男性を目で殺した。

男性にはその目の奥から『助けてくれるな』という呪いのような声が聞こえた気がした。

少年はそのまま、浜内の指定の教室の席まで運んでいく。

殆どの生徒が浜内のことを無視する中、彼は本当に優しかった。

浜内が席に着くと、彼は再び浜内に声をかける。


「本当に大丈夫? 君、死んだりしない?」


心配する言葉と一緒になんだか物騒な質問もしてきた気がしたが、浜内は気にしないことにした。

浜内は、お礼の言葉が出ず、必死に笑顔を作り、親指を立てた。

そして、ただ彼が教室を出て行くのを黙って見送っていた。


正直、試験を受けた時の記憶はほとんどない。

配られた問題用紙の内容もよく見えず、ただひたすら知っている言葉を解答用紙の枠に書き込んでいたような気がする。

そうしていくうちに試験は終わっていた。

浜内がほとんど人のいなくなった教室でへばっていた時、再びあの少年が話しかけてきた。


「大丈夫?」


浜内は少年を少しでも安心させようと顔を机に乗せたまま、拳を天井にかざしてあの名台詞を言った。


「我が生涯に一片の悔いなし」

「君の人生、高校受験で終わらせて本当に悔いないの?」


少年はその意味を理解できず、首をかしげて不見当違いな質問してきた。

すると浜内は涙が溢れた顔を上げて必死に訴える。


「なわけないでしょ!! 視界がぼんやりして問題も良く読めないし、とにかく思いつく単語ひたすら回答欄に埋めたよ! 悔いだらけだよ、俺の人生!!」


完全に浜内の勢いにのまれ、少年は怯んでいた。


「まあまあ、ひとまず試験は終わったんだし、後は結果を待つしかないよ」


少年は浜内を慰めるようにそう優しく声をかけた。

そして、今にも倒れそうな浜内の為に彼は再び肩を貸して、教室を出て行った。

2人が校門の前まで来ると車の前で麻子が仁王立ちしていた。

それを見た瞬間、浜内の顔は真っ青になる。

麻子はヒールの音をカツカツ鳴らしながら足早に近づいて来て、そのまま浜内の頬に豪快に平手打ちをする。

浜内はその勢いで今朝と同じように道の端まで回転しながら飛ばされた。

少年はその光景を唖然と見ている。


「このバカ息子!! 大事な受験の日に風邪を引く馬鹿がどこにいますか!?」


今それを言わなきゃダメかと浜内は倒れながら思っていた。

そして、麻子は乱暴に浜内の腕を掴んで、車の方へ引きずって行く。


「医者の息子が風邪を引くなんて恥ずかしい! 家に帰るまでにその根性、この母が叩き直してあげます!!」


麻子はそう叫んで、浜内を車に詰め込んだ。

浜内は車の後部席で自分の人生が終わったのだと達観するのであった。

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