入試日 結城さんの場合

「馨! お前、いい加減起きろ!!」


勝が勢いよく結城の部屋の襖を開けた。

結城は敷布団の上で布団に包まりながら唸っていた。


「……寒い。あと、10分……」

「10分じゃねぇよ! 今日は入試の日だろう」


勝は必死になって、結城の布団をもぎ取ろうとしたが結城は決してそれを手放そうとはしなかった。


「なら、入試はパスで……」

「なわけいくか! お前、俺と約束しただろう。高校までは行くって」


父親のその言葉で、半開きの瞳で結城は布団から顔を覗かせる。

本当はすごく行きたくない。

布団からも出たくない。

高校なんて興味はなかった。

しかし、以前から父親とは高校卒業まではすると約束してしまった。

家業を継ぐにしても、勉学は必要だ。

それにこの小さな居酒屋ではいつまで食べていけるかもわからない。

結城は諦めて、布団の中から上半身を出した。

おんぼろアパートの部屋の中は非常に寒い。

結城は自分の腕を自分で摩るように体を温めた。

吐く息は白く濁っている。

そんな結城に勝は制服のセーラー服とダッフルコートを投げつけた。

結城はそのままそれらを顔で受け止める。


「で、鞄はどこだよ!」


勝は散らかった結城の部屋から通学鞄を探していた。

そして、洗濯物の中に埋まった通学鞄を見つけると、それを持ちあげた。

やけに重たかった。


「おいおい、馨。お前、毎日鞄の中に何入れてんだよ!」


勝はそう言って鞄を開けて、ひっくり返して中の物を床にぶちまけた。

中にはありとあらゆるものが無造作に突っ込まれている。

中には保護者用渡されたプリントなどもくしゃくしゃになって詰め込まれていた。

それを見つけた勝はそのプリントを掴んで、結城に叫ぶ。


「お前、こういうのちゃんと見せねぇから、いつも俺が担任に怒られるんだろう! 提出物はちゃんと見せろよ!!」


勝が怒鳴り散らしている間に、結城は布団の中でもぞもぞ着替え始めた。

外に出ると寒いので出来ることは全て布団の中でしているのだ。

しかも、頭はまだ半分寝ているので、勝の話は聞いていない。


「ちょっと、おい。筆箱はどこだ? 受験票とか失くしてないよなぁ」


床に散らかったよくわからない産物を掻き漁りながら、筆箱を探す。

すると、ダッフルコートを着た結城がやっと布団から出て来て勝に答える。


「筆箱なんてないよ。だって使わないし」

「使わないってお前……。そんな中学生なんかいるのかよ!?」


自分の娘ながら何を考えているのか全く理解できなかった。

勝はため息をつきながら、机の上に転がっている鉛筆と消しゴムを握りしめて鞄に突っ込む。


「で、受験票はどこだ?」

「どこだって、親父がお前はすぐ失くすから神棚にでも飾っとけって言ったんだろう?」


そうだったと勝は頭を叩いた。

受験票が届いたその日に、勝が失くさないようにと神棚に置いたのだ。

結城に渡したら、絶対にその辺に投げて紛失すると思ったからだ。

時間が経っていたから、勝自身すっかり忘れていた。

勝は急いで神棚に向かい、受験票を取る。

その状態で、そのまま神様に馨の受験がうまくいくように神頼みした。

本人は勝とは違って全く気にしていない様子だったが。

結城は顔を洗うと、父親から受験票を渡されて家を出た。

そして、そのまま欠伸をしながらのんびりと歩いて行く。


結城がこの県立大越高等学校を受験すると決めたのは徒歩圏内にあるからという、それだけの理由だ。

そもそも中学3年の最初頃までは、高校受験すらする気がなかった。

しかし、中学の三者面談の後、勝に頼まれたのだ。

高校卒業まではしてくれと。

今どき、中卒では職に就けない。

結城自身卒業後は実家を手伝うつもりでいたが、その家業も決して繁盛しているわけでもなく、いつ潰れてもおかしくない。

そんな時、結城が中卒では次の職も見つからないと懸念した結果だった。

結城も職種に文句をつけるつもりはなかったが、昔母親がやっていた水商売だけは避けたかったので、父親の言うことを聞くことにしたのだ。


結城が目的地に到着したのは開始、10分前だった。

校門前には殆ど生徒はおらず、係員の大人たちが結城を見つけて受験会場に向かうようにせかした。

しかし、どんなに結城をせかそうが結城が急ぐことはまずない。

いつものマイペースで靴を脱ぎ、いつもの調子で階段を上り、目的の教室に入った。

教室に入る時、勢い余って思い切りドアを開けてしまった。

教室に入った瞬間、教室の中にいる生徒たちが唖然としてこちらを見ている姿が見えた。

目の前にいる試験監督の教師も何かがみがみと怒っているようだったが、結城は気にせず、ひとまず目の前の空いていた席に座った。

そして、鞄から鉛筆1本と消しゴムを取り出す。

と言うより、鞄にはそれしか入っていなかった。

結城が準備できた段階で合図のチャイムが鳴り、試験が始まる。

結城はさらりと問題内容を確認して、そそくさと問題を解いて行った。

彼女の頭の中にあるのはこれを早く終わらせて寝たいという願望だけだ。

テストのいいところは、終わった奴は寝ていても文句を言われないということだ。

たまに無理矢理叩き起こしてきて、見直しはしたのかと偉そうにいう教師もいたが、結城が毎度ほぼ満点を出すのでもう文句を言う教師はいなくなっていた。

この日もいつものテスト同様、素早く問題を解いて、出来るだけ睡眠時間を確保した。

最後のテストが終わると、結城は素早く立ち上がり教室を出る。

結城にとって試験が終わったら、もうこの教室も学校にも用はないのだ。

早く帰って、父親の仕事を手伝わないといけない。

結城が靴を履こうとした時、後ろから誰かに声をかけられた。

それは眼鏡をかけた、いかにもがり勉君と言うような地味な少年だった。


「お前、テスト開始から15分で寝てたけど、全部解いたのかよ?」


なんで自分がこの見ず知らずの少年の質問に答えなければならないのか理解できなかったが、めんどくさかったので一言で答えた。


「解いた」


目の前の少年は信じられないと言った顔をしていたが、結城には興味もなかったのでそのまま校舎を出ようとした。

その時、少年は立ち去ろうとした結城に大声で呼び止める。


「ちょっと待てよ。お前の名前、名前を教えろ」


命令口調にむっとした結城が少年に向かって振り向いた。


「なんでてめぇにいちいち名前、教えなくちゃなんねぇんだよ?」


朝も早く、結城は今、非常に機嫌が悪かった。

その威嚇するような態度と発言に少年は一瞬怯んだが、諦めなかった。


「お前は俺のライバルになるかもしれない奴だからだよ。俺は福井。福井康平こうへいだ! だからお前も名乗れ」


ライバルになるとか意味のわからないことを言っていると思った。

そもそもこっちは名前なんて聞いてないし、興味もなかったが、このままでは引いてくれそうになかったので答える。


「結城馨。別に覚えなくていい!」


結城はそう言って校舎を出て行った。

そして、そのまま父親の働く居酒屋へと向かった。

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