第36話 獲物

 今日も狩りの時間だ。

 窓の外は真っ暗、とても丁度いい時間。

 この格子付きの窓じゃ直接出入りできないけど、そこは仕方がない。

 それにしても……悪趣味だ。こんな窓を見て、ゼロが嫌な気持ちにならなきゃいいけど。

 ああ、でも格子付きの窓はそこまで嫌な思い出もなかったはずだから……大丈夫か。

 ナイフを袖に隠し、こっそりと部屋の外に出た。


(一階……よし、誰もいない)


 宿の鍵はかかっていなかった。

 不用心すぎやしないかとも思ったけど、この規模の集落なら必要ないのかな。

 こっそりと、ゆっくりと、外に出る。


 さて、ここからが一番の問題。

 誰を狙うか。

 流石に世話係を狙うわけにはいかない。

 きっと宿のどこかにはいるのだろうけど、まず真っ先に僕達の誰かが疑われる。

 端っこの方で暮らしているような……爪弾きにされているような者が好ましい。いるのかどうかは分からないけど。


 だから僕は、獲物を探しながら集落の端をひっそりと歩いていた。

 とはいえ、こんな夜中に出歩く者なんてそういないはず……そう思っていたんだけれども。


「て、天使さま……?」


 今、僕の目の前では一人の女の子が地面にへたり込んでいる。

 痩せ細った子供は胸の前で手を組み、ぷるぷると震えていた。

 見つけちゃったよ、出歩く者。こんな夜中なのに。しかも子供。

 僕が言うのもおかしな話だけど、やっぱりこの集落は不用心すぎやしないだろうか。

 まあ、普段は小さな集落でしかないから問題なかったんだろうけど。


「こんなとこで何してたの?」


 聞きながら、こっそりと袖からナイフを取り出す。

 子供。子供か。


(正直、やりづらいんだよね)


 子供にはどうしても純なイメージを抱いてしまう。

 これがいっそ悪人だったら、凄くやりやすいんだけど。

 でも、いつも言っている通り……百人も百一人も変わらない。

 今更善人ぶるつもりだってない。


「眠れなかったから、星を見ようって……思いました」


 たどたどしく答えた子供は、深く頭を下げた。


「リーファが、次の『にえ』なんですか」

「……贄?」


 贄。贄って、こんな小さな子供が使うような言葉じゃないと思うんだけど。

 それとも僕の認識が違うだけで、ここでは常識だったりするんだろうか。

 贄が常識の集落って……なんだ?


「どうぞ、天使さま」


 子供は頭を垂れたまま震えている。

 こうして受け入れられるタイプは初めてで、正直やりづらい。ただでさえ子供なのに、更にだ。

 とはいえ、僕らの渇きもそろそろ限界に近いだろうし……ここで殺さない選択肢なんてない。


「リーファの命で、みんなが幸せになれますように」

「……なれるよ、きっと」


 女の子の口を塞いで、ナイフを突き立てる。

 とても、らしくないことを言ってしまった。

 僕の立場には相応しくない言葉だ。

 それに、きっとこの言葉は嘘になる。

 こんないかにも怪しい集落が、幸せになれる未来なんて想像もできない。


(さて、どうしたものかな)


 できるだけ見つかりづらそうなところに埋めておくくらいしか出来ないだろう。

 それか、柵の外に投げておくか。

 幸い、こっちは門とは反対側。そう簡単に見つかることはない……と、思う。

 何度かナイフを突き立て、抉って、傷跡を偽装した。

 魔物か何かにやられたとでも思ってくれればいい。


(あーあ、妙な感じ)


 何人も何人も手にかけてきたのに、この渇きが潤されていく感覚は未だ慣れない。

 どうにも僕には向いていないんだろう……なんて、散々殺しておいて言う言葉でもないが。


 子供にしても軽い体を持ち上げて、柵の向こうに放り投げる。

 それなりに音は出たけど……眠りを妨げるほどではないはず。

 さて、帰ろう。


 来た道を戻りながら、ふと考える。

 きっとセキヤは僕が出てきていることを勘付いているだろう。

 今日邪魔されなかったのは、前のことがあったからなのかもしれない。

 これがゼロのためでもあるんだって、理解してくれたならそれでいい。

 いや、理解されていなくてもいいや。邪魔さえされなければ、それで。


 宿に近づいた時、扉が開いて咄嗟に身を隠した。

 中から出てきたのは、あのキュリオとかいう人気の神父だった。


 なんでこんなところに? それも、こんな真夜中に。

 一体何の用があったのだろうか。

 離れていく背を見送って、宿に入る。


 世話係のローザも起きていないようだし、本当に目的が見えない。

 部屋の扉を開けようとして、扉の下に一枚の紙が挟まっていることに気づいた。

 拾い上げて読んでみる。


『即座に離れるべきだ』


 そんな忠告めいた言葉が書かれていた。

 あの女の子の言葉といい、いくらなんでも不穏すぎやしないだろうか。

 一体この集落で何が起きるというのだろう。

 これは本当に、早めに離れた方がいいのかもしれない。


 僕は紙の裏に書き置きを残して、袖の中に入れた。

 変に勧めるような言葉を書くと邪推されかねないから、最低限の情報だけにしておこう。

 どうかゼロが間違った判断をしないことを祈る。


 ……でも、僕も気になって仕方がないんだよね。

 もし天使がヴェノーチェカの生き残りだっていうなら……放っておくのも、違う気がするし。


(ああもう、これ以上僕が気にしても仕方ないか。結局、考えるのはゼロなんだし)


 僕もゼロも、一度好奇心をくすぐられると中々止まれないからなあ。多少の危険は見過ごしてしまいそうだ。

 まあでも、きっとそう悪くはならないだろう。

 ベッドに潜って、目を瞑った。



 雨が屋根を叩く音が聞こえてくる。

 音を聞く限り、かなり強いらしい。目を開き窓の外を見てみれば、黒い雲が近辺の空を覆っていた。

 遠くは晴れているように見える。そう長くは続かないだろう。


「……ん?」


 腕に違和感を感じる。袖の中を探ると、一枚の紙が出てきた。

 離れるべきだという忠告の言葉だ。裏には見慣れた筆跡が残されている。


『十中八九、神父キュリオが残したもの。キーワードは天使と贄』


 明らかに彼からのメッセージだった。

 この紙をあの神父が残したということは分かる。分かるが、天使と贄とはどういうことだ?

 ここで信仰されている天使……おそらくヴェノーチェカの者が、贄にされる? あるいは、贄を必要としている?


 考えていると、ドアがノックされた。

 メモを袖に隠し、扉を開ける。

 澄ました顔のローザが立っていた。


「おはようございます。お食事の準備が出来ております」

「分かりました。すぐに向かいますよ」


 扉を閉め、メモを取り出す。

 ……どうしたものか。

 そもそも、これを書いたということは彼は昨日出てきていたということになる。

 一体何のために?

 しかし、これ以上考えても仕方ないだろう。

 メモの文面を覚え、千々に裂いてゴミ箱に捨てた。


 一階に降りると、他の三人はもう席についていた。


「おはよう、ゼロ」

「おはようございます」


 席につく。隣ではヴィルトがまだ少し眠たそうにしていた。


「……ゼロはよく眠れた?」

「ええ」


 頭もスッキリとしている。いい目覚めだった。

 机の上を見てみると、朝食は昨夜の物と比べると簡素だ。

 やはり、あの夕食は歓迎の意として特別豪華にしていたのだろうか?

 少し硬めのパンをちぎり、口に入れる。

 まあ、味はそう悪くない。これだけあれば十二分といったところだ。

 半分ほど食べ進めたところで、ローザが口を開いた。


「天使様の涙が降っていますので、皆様には祭典の日まで留まっていただくことになります」


 天使の涙? これはまた妙な言葉が出てきた。

 御伽話に出てくるようなことを、ここまで真面目な顔で言うとは。


「涙とは、この雨のことですか?」

「はい」


 ローザは頷く。


「天使様の涙は祭典の日まで降り続けます。皆様の旅にも影響が出るかと」


 セキヤと顔を見合わせる。

 彼女の言う通り、祭典の日とやらまで降り続けるのであれば待った方がいいのかもしれない。問題は、その祭典の日がいつなのかだ。

 あまり待ち続けることは避けたい。

 ただでさえ不穏な書き置きがあるのだ。長居はしたくないというのが正直な感想だった。


「そういえば前来た時、祭典に参加しなかったんだよ。中止になったとかで」

「その時もこの雨が?」

「ああ、ずっと降り続けていたな」


 天使の涙。贄。

 祭典の日まで止まない雨。

 ふと一つの仮説が浮かんだ。

 だが、だとするとルクスの言動と合わない。


「……あの時は少し騒動がありましたから、あまり口外なさらない方がよろしいかと」

「ん? なんでだ?」


 パンをちぎっていたルクスは手を止めてローザを見た。


「詳細は控えますが、一連の騒動で迷惑を被った信者達が多く……」

「なるほど。分かった、言わないようにするよ」


 ローザは軽くお辞儀をすると、じっと私を見つめた。


「それから、教祖様が貴方とお会いしたいそうです」

「私ですか?」

「はい。貴方とだけお会いしたいそうですので、午後にお時間を頂けますでしょうか」


 おそらく集落のトップ……か、二番手であろう教祖とやらが、私一人に会いたいと。

 明らかに怪しい。

 やはり、私が天使と間違われたことと関係があるのだろうか。


「申し訳ありませんが、教祖様の命令ですので……」


 私が答えるより先に釘を刺されてしまった。

 拒否権はないということなのだろう。


「ちょっと待って、強制なの? それはちょっと横暴じゃない?」

「申し訳ありません」

「……まあ、君が悪いってわけじゃないけど」


 深く頭を下げたローザに勢いを削がれたセキヤは、それ以上の言葉を出せなくなった。


「どういった内容で会いたいと?」

「私には伝えられておりません。ただ、会いたいと」


 さて、どうしたものか。

 この際、今すぐここを出てもいいのだろうが……天使がヴェノーチェカの生き残りである可能性があるなら、会わなくてはいけない気がする。

 それに、祭典についてもそれとなく聞いてみようか。


「分かりました」


 頷くと、セキヤが神妙な顔で私を見た。


「ゼロ、いいの?」

「ええ。私としても気になることがありますので」

「そっか……ゼロが、そう言うなら」


 でも、気をつけて。

 セキヤの眼差しから、そう言われているような気がした。


「ありがとうございます」


 ローザはホッとした様子で頭を下げた。

 よほど教祖とやらが恐ろしいのだろうか。


 スープを一口飲んで、窓を見る。

 雨は相変わらず強く、ザアザアと音を立てている。

 これだけの雨だ。情報収集と行きたいところだが……外に出ては怪しまれるだろう。

 この宿でゆっくりしていることしかできないか。

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