第35話 信仰

 それから三日ほどが経った。

 今のところは何事もなく順調に進んでいる。

 魔力濃度は安定していて、魔物とも遭遇していない。

 同行人との関係も良好となれば、それ以上に望むことはないだろう。


「そういえば、君達はクレイストへ向かうんだったな」

「貴方はミスキーでしたか」

「ああ。今はそこに拠点を置いている。時折、どうしても代替できない素材があれば探しに出るくらいだ」


 ミスキーとクレイストは少し離れている。そろそろルクスとも別れることになるだろう。

 そこから彼は一人で戻ることになるが、その間のリスクについては彼も承知の上だ。そもそも私達が通りかかったこと自体、偶然なのだから。


「そろそろ次の野営地を探さないといけませんね」

「それなら、もう少し進んだ辺りに集落がある」

「集落ですか」


 ルクスは頷く。


「元はミスキーの住民だったんだが……訳あって外に出た人々が寄り添って暮らしている。俺もメルタに向かう時に場所を借りたから問題ないはずだ」

「なるほど」


 それなら、その集落とやらまで行った方がいいだろう。

 セキヤとヴィルトを見ると二人とも頷く。

 歩いている途中、ふと気になったことをルクスに尋ねてみることにした。


「そういえば……貴方、初めて会った時と雰囲気が違いませんか」

「そうか?」


 ルクスは口元に指を当てて考え込む。


「一応、これが素に近いんだ」

「それなら、なぜあんな喋り方を? 正直、あの粗野な喋り方は慣れていないように感じましたが」

「……君もそう思うか? 俺も薄々感じてはいたんだ。慣れないなと」


 ふうと息を吐いた彼は緩く首を振った。


「俺なりに距離を置こうとして、あの喋り方にしているんだが……君に言われて気がついたよ。いつの間にか君達に親しみを感じてしまったようだ」

「そうですか。楽な方でいいんじゃないですか」

「興味がなさそうに言うな、君は……」

「事実、その通りですから」


 一瞬顔を引き攣らせたルクスは、肩を落として笑った。


「まあ、その方が俺も気が楽だよ」

「それは何より」

「これでもよく喋ってる方なんだよね、ゼロは」


 口を挟んできたセキヤを軽く睨みつける。

 余計なことは言わなくていい。

 その念を受け取ってか、彼は肩をすくめて小さく笑った。

 ルクスも意外そうな顔をするんじゃない。


「見えた。あれがそうだ」


 それからまた少し歩いて森を抜けた先で、ルクスが指差した。

 頑丈そうな木の柵で囲われたそこは、集落と呼ぶにはしっかりし過ぎているようにも感じる。


「中々に立派ですね」

「そう思うだろ? ああ見えて人は少ないんだ」


 門に近づくと、門番は目を丸くして集落の中へと入っていった。

 すぐに出てきた門番は、片膝をついて首を垂れる。


「ようこそ、おいでくださいました」

「……すごい歓迎ですね。ここって、こうなんですか?」

「いや……俺の時はこうじゃなかったな」


 ルクスは困惑しながらも首を振る。

 これは一体どういう状況なのだろうか。


「お、おおお恐れながらお尋ねします! あ、ああ貴方様は神であらせられますでしょうかっ!?」


 門番は頭を下げたまま叫ぶように言う。

 神? 何を言っているんだろうか、この男は。


 セキヤを見る。困惑の表情で首を振る。

 ヴィルトを見る。恐れ多いといった様子で首をぶんぶんと振る。

 ルクスを見る。


「俺がそうだったら前の時点でこうなってる」


 それはそうだ。

 ……待て、これはもしや。


「私のことですか?」


 門番はこくこくと頷いた。

 なんということだろうか。己の美貌に自覚はあるが、まさか神と崇められるほどだとは。


 ……という冗談はさておき。

 なんとなく聞いてみたものの、本当に私がそう思われているとは。

 しかし、なぜ?


 思い当たるのは、この目くらいのものだが……それも、神というよりは亜人のそれだ。

 それとも亜人を神として扱う文化でもあるのだろうか?


「私は神ではありませんよ」

「し、失礼いたしました! では、やはり天使様ということでしょうか……!」


 神の次は天使ときたか。

 様子を見る限りでは本気で言っているようだが、何をもってそう判断したのか。


「天使でもありません」

「えっ? でも、そんなはずは……」


 顔を上げた門番は豆鉄砲をくらったような顔をしていた。

 そもそも、彼は私が近づいてすぐに神だと判断したのだろう。だとすれば、瞳孔だなんて細かいところまで見えはしないはずだ。

 より大きな範囲……たとえば髪色だとか、魔力だとか。そういったところで判断したのだろうか?


 尋ねてみようとした時、門の向こうから一人の女が出てきた。

 白いストールをかけた短い金髪の女だ。胸の前で手を組んだ彼女は、青い目を柔らかく細めている。


「ようこそ、天使様の御許へ。歓迎します、旅のお方」


 目を閉じて軽く頭を下げた彼女は、にっこりと微笑んだ。


「私はハイリ・ユスティと申します。この度、案内を任されました」


 門番はハイリに頭を下げる。

 この集落の中でも上の人なのだろうか。

 門番は戸惑った様子で私とハイリを交互に見る。


「あ、あの、本当に旅の人なのでしょうか……!?」

「ええ、本当ですよ。ですから、落ち着いて役目を果たしなさい」


 軽く片手を上げたハイリに宥められ、門番は深く呼吸した。


「さあ、こちらへどうぞ。宿へご案内いたします」


 ハイリの後に続き、集落に入る。

 それにしても……天使の御許とは、また大層な名を付けたものだ。

 柵の内側には、白い壁と黄色い屋根の建物が立ち並んでいる。

 道行く人全てが私を見た途端に膝をついて両手を胸の前で組み始める。

 どうにも落ち着かない。


 通常、こういった集落は死と隣り合わせだ。

 町の近くであれば神官の恩恵を受けられる。しかし、こんな町と町の間にあるような所ではそうもいかない。

 しかも、見たところ住民達はほとんどが痩せていて、服もツギハギが多い。ハイリの服はそんなことはないが、彼女も他の住民程ではないにしろ痩せている。


 ふと黒い服を着た住民が視界の端に映った。資料で見たことがある。かつて、神を深く信仰する神父が着ていた祭服とよく似ていた。

 あちらは痩せているようには見えない。こんな小さな集落でも、住民に格差があるのだろうか。

 それでも、彼らには少し心の余裕があるように見受けられる。


「不思議ですよね。初めてここに来られる方は皆そういう顔をされます」


 ハイリはくすりと笑う。


「ここは天使様の御許。天使様によって安全が確保されている土地です」

「天使?」

「ええ。ですので、他の町と同様に人々は安心して暮らすことができます。いえ、他の町以上かもしれませんね」


 天使。悪魔のように、そういった種族がいるのだろうか。


「……先程の門番は、なぜ私を神だと?」

「それは貴方の姿が天使様とよく似ていたからですよ」

「はあ。天使と似ている、ですか」


 それはまた不思議な話だ。

 私の姿……正確には私の持つ色彩。一部が水色に染まった銀髪、赤い瞳というのはヴェノーチェカ家の血を引く証でもある。

 そんな私と似ているというのなら、その天使とやらはヴェノーチェカ家の生き残りなのかもしれない。


(しかし、ヴェノーチェカは私と兄様以外は滅んでいるはず……正式な一族ではないということか?)


 もしヴェノーチェカ家の誰かが隠し子を作っていたとしたら、ありえない話ではない。

 そもそも天使とやらの姿を見てさえいないのだから、考えるにはまだ早いのかもしれないが。

 一目見てみるべきだろうか。


「皆さんには誤解であることを説明しておきますから、ご安心くださいね」

「そうですか」


 勘違いから妙なことに巻き込まれても困る。

 明日には出発したいところなのだ。

 だから、正直その配慮はありがたい。


 ふと、大勢の人が視界に入る。

 二十人はいるだろうか。ずらりと長い列をなしている。


「あれは?」

「あの方達は、悩みを相談しに来た人々ですよ」


 列の先頭を見てみると、黒い祭服を着た黒髪の男が話を聞いているようだった。身長は高いが、痩せているように見える。

 他の祭服を着た者達は健康そうに見えたが、彼は違うらしい。

 先頭に並んでいた女は、手を胸の前で組んで頭を下げる。


「キュリオ様は神父様方の中でも最も慕われている方だそうです。あの列もその表れだとか」

「はあ……それはまた大変そうですね」


 毎日毎日、あれだけの人の相手をさせられるのだろうか。

 今も一人、また一人と列に並んでいる。

 キュリオは何かが入った袋を一人一人に渡していた。人々は深く頭を下げ、ありがたがっている様子だ。


「天使様の奇跡は安易に求めてはいけませんから、日々の悩み事は神父様方と……近頃は私も尽力させていただいています。自分で言うのは少し恥ずかしいですが、聖女と呼び慕ってくださる方もいるんですよ」


 にこりと微笑んだハイリは、その役目を好意的に受け止めているのだろう。

 あの人数を何の見返りも無しに……考えるだけで鳥肌が立ちそうだ。


「ここの信仰は、全て天使……様に向けられてるの?」


 セキヤの問いかけに、ハイリは頷く。


「天使様の奇跡によって安全が確保されていますから、そうするべきだと皆考えています」

「へえ……神じゃなくて?」

「ここを直接的に守ってくださっているのは天使様ですから」


 昨今、信仰というものはそれ自体が珍しいものとなっている。

 神官というシステムさえも、今は信仰を伴わない。

 だというのに、よくここまで信仰を集めているものだ。

 ハイリが足を止め、振り返る。


「こちらが宿です」


 集落の中でも中々に目立つ、白壁に赤い屋根の二階建てだ。

 新築だろうか? 他の建物と比べてかなり綺麗なように見える。


「立派ですね」

「旅の方をおもてなしするための施設ですから。一階は食堂と浴室、二階に皆様の部屋を用意しております」


 中に入ると、一人の少女が待っていた。

 長いワイン色の髪と緑の目をもつ彼女は、深くお辞儀をする。


「お待ちしていました、旅のお方。私はローザと申します」


 少し緊張しているのだろうか。固い声で自己紹介をした彼女は、ピンと背筋を伸ばす。


「ここからは彼女が世話係としてつきます。私は教祖様に貴方がたの来訪を告げてきますね」


 ハイリは頭を下げると去っていった。

 ローザは手のひらで階段を指す。


「では、こちらへどうぞ。お部屋へ案内いたします」


 ローザの後に続いて階段を上がる。

 窓から真っ白な建物が見えた。この宿と比べてもより立派な佇まいだ。

 おそらく、あそこに天使とやらが住んでいるのだろう。


「君、母親の名前がサルビアだったりしないか?」


 廊下を歩く途中、ふいにルクスが尋ねる。

 ローザは一瞬足を止めたが、何もなかったかのように歩き続けた。


「母をご存知で?」

「前にここに来た時、世話係としてついていた人が君に似ていたんだ。娘がいると言っていたから、君のことかと思って」


 ローザはこくりと頷く。


「そうですね。サルビアは私の母です」

「やっぱり。世話になったから、改めてお礼を言いたいのだけど」

「母は今、忙しいので。それは難しいかと思います」


 ルクスは残念そうに眉を下げた。


「そうか。なら、感謝しているとだけ伝えてくれないだろうか? 俺はルクス。あの時の薬師だと言えば伝わるはずだ」


 ルクスを横目に見たローザは目を伏せて薄く笑う。


「ええ。母に会った時、お伝えしておきます」


 廊下の一番奥まで進むと、ローザは扉を開けた。


「一室ずつ、どうぞ」


 見たところ一人用だが、部屋はそれなりの広さだ。

 寝る場所には困らないだろう。


「私達三人はまとめて一室で結構ですよ」

「申し訳ありませんが、一室ずつお使いいただけませんでしょうか」


 ローザは困ったような顔で頭を下げた。

 彼女には彼女の事情があるのだろう。


「君達はいつも同じ部屋で過ごしているのか?」


 ルクスは片眉を上げる。

 まとまっていた方が万が一の時に対応できるのだから仕方がない。

 ……いや、私達がパノプティスの治安を前提にしすぎているのだろうか?

 思えば、メルタでもダム・エミールでも何の問題も起きていなかった。


「どうかお願いいたします」


 ローザは一向に頭を上げない。

 指定通りの接客をしないと叱られでもするのだろうか。


「分かったよ、俺達も一室ずつで大丈夫」


 セキヤがひらりと手を振る。

 ローザは頭を上げ、ほっと息をついた。


「ありがとうございます。私は一階にいますので、何かあればお呼びください。些細なことでも構いません」


 ローザはもう一度深く頭を下げて、静かに廊下を戻っていった。


「良かったんですか?」


 尋ねると、セキヤは仕方ないとばかりに笑って肩をすくめた。


「あの子がなんだか可哀想だったから、つい。それに一晩だけだし、万が一何かあっても俺達なら大丈夫かなって」

「……まあ、貴方がそう言うなら」


 何か考えがあってのことかと思えば、彼のお人好しが発揮されただけだったらしい。

 彼の言う通り一晩だけではあるし、私も身構えすぎかとは思っていた。

 折角の好意だ、ゆっくり休ませてもらうことにしよう。


 浴室は上質で、食事も集落としてはかなり豪勢なものだった。

 特に、四人で分けても余りそうな程の大きなチキンは見るだけでも腹が満たされそうなくらいだった。

 客人をもてなすためだけに丸々一羽の鳥を使えるほど、この集落は潤っているのだろうか……?

 ふと、ここに来るまでに見た住人の痩せた姿が浮かぶ。ちらりと見たローザもかなり痩せている。きっと潤っているのは一部の住人だけなのだろう。


「今日、宿に来るまでに住民達の相談を受けている神父を見ました」

「キュリオ様ですか?」


 食い気味にローザが言葉を被せた。

 気付いたらしい彼女は、ハッとして頭を下げる。


「失礼いたしました」

「いえ、構いませんよ。彼を知っているのですね」

「勿論です。彼ほど素晴らしい方はそういません」


 ハイリが言っていた通り、キュリオは最も慕われているらしい。

 そういえば、彼は人々に何かが入った袋を渡していた。

 あれは何だったのだろうか。


「並んでいた人々に袋を渡していましたが、あれは?」

「袋……おそらく、キュリオ様が分け与えている物資ですね。食料だったり、布だったり……様々です」


 ふと、彼の姿を思い出す。

 他の黒い祭服の者達と違い、彼の頬は痩せていた。


「キュリオ様は自身の食料をも分け与えてくれます。私も何度か相談に乗ってもらったことがあって……感謝してもしきれません」

「善人なのですね」

「すごい……」


 声がした方を見ると、ヴィルトが目を輝かせていた。

 ……彼が相談受付を始めないよう、後で釘を刺しておいた方がいいかもしれない。


「ヴィルトはもう充分良い人だから。真似しなくていいからね」


 と思ったが、先にセキヤが釘を刺した。


「ところで、部屋はなぜあのような窓に?」

「万が一魔物が入り込んだとき、窓から侵入されないようにするための処置です」

「ここは天使に守られているのでしょう? 必要ないのでは?」


 ローザは困ったように微笑むと、頭を下げた。


「こちらの施設は、天使様が降臨される前に建てられたそうですので……私には分かりかねます。申し訳ありません」


 そう言われては何も言い返せない。

 食事を終え、部屋に戻る。

 腕を組んで窓を眺めた。

 格子が嵌められた窓を。


(やはり妙……でしかないな、これは)


 ローザは天使が降臨する前に建てられたと言うが、そう昔に建てられたものには思えない。

 それとも、天使の降臨とやらはごく最近のことなのだろうか?


 以前一度訪れたというルクスは特に疑問に思っていないようだった。

 そういうもの……なのだろうか。


 なんだか今日は疲れた気がする。もう眠ることにしよう。

 万が一があっても、誰かが二階に来た時点で分かる。何も問題はないだろう。

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