第33話 問い

 ヴィルトと共に木々の隙間を抜ける。

 まったくもって不運だ。まさか魔消渦の次は魔物の群れだなんて。

 だが、幸いにもゼロとセキヤが受け持ってくれた。俺達は逃げることだけを考えよう。


 少し開けた場所に出た。

 ここまで来れば大丈夫だろうか? あの魔物の翼が羽ばたく音も遠い。

 胸に手を当て、呼吸を整える。

 なんだか少しぼうっとする。手が震えていることに気づいた。これは……魔力酔いか?

 彼らはこの付近の魔力が濃いと言っていた。もしや、より濃い場所に来てしまったのではないだろうか。


「大丈夫? 気分悪い?」


 ヴィルトに顔を覗き込まれる。

 口元が隠れているものの、俺を心から心配していることが目だけで分かった。


「あ、ああ。少し魔力に当てられたらしい。君は大丈夫か?」

「俺は大丈夫」


 頷いたヴィルトの姿が二重に見える。

 これは思った以上にまずい。

 なぜ彼が大丈夫なのかは分からないが、ここは人が長くいて良い場所じゃないようだ。


「……離れよう。ここは魔力が濃すぎるかもしれない」


 吐き気までしてきた。立っているのもやっとだ。

 傾きかけた体を支えられる。


「治療する」


 彼の声も遠く聞こえ始めた。

 治療する? 彼は医者か何かなのだろうか。

 薬を使うにしても、すぐに効き目が現れるものではない。


 ヴィルトは俺の体に手をかざした。

 その手から、青い光の粒子が溢れる。

 幻想的な光をぼんやりと眺めていると、俺と彼の体に光が吸い込まれていった。

 急激に意識が鮮明になる。吐き気も治り、視界も正常だ。

 手を握って開いてを繰り返してみる。手の震えもなくなっていた。


「……これで、大丈夫」


 ヴィルトは微笑んだが、顔色が悪く見える。

 やはり彼自身も無理をしていたのではないだろうか。

 それに、こんな強力な魔法……いや、魔法ではないのか?

 彼が食事を摂っている時に見えたもの。見間違えでなければ……あの黒い模様には見覚えがある。

 どちらにせよ、こんな高等な術をあっさりと俺にかけてくれたことに少し困惑している。隠したいもの……ではないのだろうか。


「いいのか? 俺なんかに使って」

「……いい。それよりも、体の方が……大事」

「そう、か」


 彼のような人が一緒にいるというのなら、彼らもそう悪い人ではないのだろう。

 それよりも今は彼の体調が心配だ。


「君も顔色が悪い。その力は君自身には使えないのか?」

「これは……っ」


 ヴィルト君は突然身を屈めると、マフラーを引き下げた。

 びちゃびちゃと地面に吐瀉物が撒かれる。


「ヴィルト君!」


 彼の背をさする。

 ぜえぜえと息を荒げた彼の口元には、やはり見覚えのある黒い模様が刻まれていた。


「やはり君も魔力酔いを起こしているじゃないか」

「大、丈夫……」


 ヴィルト君は何度もえずきながら首を振る。

 大丈夫なわけがあるか。

 魔力酔いに効く薬を調合するにも、ここに長居すれば俺もまた影響を受けるだろう。


 ふと、それが目に入る。

 ヴィルト君のそばにある植物が不自然に枯れていた。

 魔力が濃い場所の植物が魔物化するというのは知っているが、枯れたという事例は聞いたことがない。

 別の要因によるものかもしれないが……何にしても、迅速にここを離れるべきだ。


「ヴィルト君、立てるか? ここを離れよう」


 ヴィルト君はすんなりと立ち上がった。

 一度吐いたことで緩和された……? いや、だとしても嘔吐する程の状態からここまで綺麗に立ち上がれるものだろうか。

 いや、今はそれを気にしている場合じゃない。動けるならそれでいい、今すぐにここを離れなければ。


 ……離れるとは言ったが、どちらに向かえばいいのだろうか。

 向かった先が魔力溜まりの中心部だったなんてことになれば目も当てられない。

 だが、迷っている場合でもない。一か八か、賭けるか……?


「大丈夫か!?」


 セキヤの声が聞こえた。

 ガサガサと木々が揺れ、向こうから二人が姿を現す。


「俺は大丈夫だ。ヴィルト君が魔法で治してくれた。ただ、ヴィルト君は吐いてしまった。酷い魔力酔いだろう。ここは魔力が特段濃いようだから離れようとしていたところだ」


 話を聞いたセキヤは頷いて辺りを見渡す。

 辺りの魔力濃度を見ているのだろうか。

 ああ、俺にもその素質があれば。目に魔力を集めてみても、何も景色が変わらない。

 彼にはどういった風に映っているのだろうか。


「あっちの方に行こう。薄くなってる」

「分かった」


 セキヤが指差す方向へ四人で向かう。

 暫く歩いている内に、また少しばかり頭がぼんやりとし始めた。

 彼らは大丈夫なのだろうか。


 川を見つけ、それに沿ってもう暫く歩いたところでセキヤが立ち止まった。


「この辺りが一番安定してる。ここで一旦休もう」


 そう言ったセキヤの顔色も良いとは言えない。

 ゼロは……分からない。見た限りでは問題ないように見えるが、そもそも彼は感情さえ分かりづらい。実際のところどうなのか、さっぱりだ。


「魔力酔いに効く薬を作る。少し待っていてくれ」


 リュックを下ろし、道具を取り出す。

 あまり設備も揃っていない。簡単なものになるが、効力は申し分ない。問題はないだろう。

 俺が準備をしている間に、ゼロ達はヴィルト君の調子を見ていた。


「ヴィルト、大丈夫ですか?」

「無理してない?」

「大丈夫。問題はない」

「なら、いいのですが」


 会話が聞こえてくる。

 ここまで歩いてくる間、ヴィルト君の調子は問題なさそうに見えた。

 まるで魔力の影響を何も受けていなかったかのように。

 見た限り、今の彼は薬を飲む必要もなさそうだ。


「セキヤも大丈夫? 少し、調子悪そう」

「俺は大丈夫。薬飲んで少し休めば良くなるよ。ヴィルトこそ休んで」


 仲がいいな。いいことだ。

 道中出会ったのが彼らで良かった。


 密封容器から取り出したマギア草の若芽を擦り潰しながら考える。

 ゼロ・ヴェノーチェカ……クリシスからの情報と合わせた限り、彼がした話は本当なのだろう。

 そもそも俺はヴェノーチェカ家にゼロという名の者がいたことを初めて知った。彼が家と関わりないというのも頷ける。


 となれば、気になるのは彼の兄の方だ。

 俺の仇でもあるあの男。彼がどのヴェノーチェカなのかは分からないが、歳を考えると候補はそう多くないだろう。

 もしかしたら、彼の兄こそが……そう考えたところで、若芽を擦り潰し終えた。

 少量の水を加え、まとめる。

 マギア草の若芽は周囲の魔力を多く吸い取る。

 この特性を利用した簡易的な薬だ。

 出来上がった薬を持っていく。


「薬ができたぞ。マギア草の若芽を擦り潰したものだ」

「ありがとうございます」


 やはり警戒されているのだろうか。ゼロは俺が作った薬をじっと見つめた。それも、わざわざ両目で。

 ……そもそも最初に不誠実な態度をとったのはこちらだ。これも仕方がないことだろう。

 目の前で一つ飲んで見せる。これの効き目は今まで旅してきた中で何度も実証済みだ。


「俺が見たところ、薬が必要なのはセキヤだけだ」

「……どうぞ」


 どうやら俺の薬は彼の目に適ったらしい。

 薬を受け取ったセキヤは躊躇いなく薬を飲み込んだ。

 水で流し込んだ彼は、少し渋い顔をしている。

 マギア草は独特の苦味があるから仕方ない。


「暫く安静にしているといい。薬の効きも良くなる」

「わかった。ありがとうね」

「礼を言うのは俺の方だ。君達に感謝するよ」


 胸に手を当て、頭を下げる。

 彼らがいなければ俺は無事に戻れていたか怪しい。

 彼らとの出会いは間違いなく幸運だったと言える。


 それに……ヴィルト君。彼はかなり好ましい人物だ。

 少し話を聞いてみたい。

 彼から見た、ゼロ・ヴェノーチェカのこと。そして、あの黒い模様のこと。

 そう思った時には声が出ていた。


「ヴィルト君、少し君と話をしてみたい」

「俺と?」

「ああ。二人だけで」


 ……流石に良くなかっただろうか。

 ヴィルト君はただ不思議がっているだけだが、他二人からの視線が痛い。


「ただ話をしたいだけだ。妙なことはしないと約束しよう」

「……遠くから見ていますので。営業をかけるのはやめてくださいね」


 ゼロが釘を刺してくる。

 営業? 何のことだ。

 まさか彼は俺が開発している薬のことを……いや、もし仮にそうだとしても、俺にはヴィルト君が終わりを求めているようには見えない。

 一体どういうことだ?


「彼は純情なんです。弄ぶようなことは……」

「待て、言っておくが俺は同意なくそういったことはしない」

「だから営業をかけるなと言っているんですよ」

「そもそも俺はそういった商売はしていない!」


 思わず語気を強めてしまった。

 すると、ゼロはほんの少し眉を上げる。

 非常に分かりにくい。それは意外だと思っている顔でいいのか?


「そうでしたか。失礼しました。てっきり同業者かと」


 ……ああ、なるほど。そういうことか。

 似た者だからと感じるものがあったのだろう。それか観察眼がある……あるいは単に勘が鋭いのか。


「とにかく俺はただ純粋に話がしたいだけだ。構わないか?」

「ヴィルト、貴方が決めてください」


 ヴィルト君は数度瞬きをした後、頷いた。

 それを見た二人は川の方へと歩いていく。話が聞こえないだろう距離まで離れた彼らだったが、その視線は絶えず俺に注がれていた。


「あまり時間を取らせるのも良くないだろうから、手短にいこう。君から見たゼロ・ヴェノーチェカはどういった人間なのかを尋ねたい」

「俺から見たゼロ?」


 首を傾げた彼に頷く。


「どういう人間か……そう、だな」


 空を見上げた彼は少し手を遊ばせた。

 言葉を探しているのだろう。


「一言で言うなら、放っておけない人だ」

「放っておけない? それはどういった意味で?」

「その、俺からはあまり詳しく言えない。ただ……」


 ヴィルト君は目を逸らし、マフラーを引き上げる。


「ただ、ゼロと初めて会った時、そう思った。ぼんやりと歩いていた彼を見て、放っておいたらいけない人だって……そう思ったんだ」

「君達はどれくらいの年月を共に過ごしたんだ?」

「そうだな。大体……五年くらいか」


 五年。五年か。

 それだけ共にいれば、多少の問題点は浮き彫りになってくるのではないだろうか。

 あのヴェノーチェカだ。何も問題がない……ということはないだろう。


「共にいて、問題があると思ったことは?」

「問題……」


 ヴィルト君はマフラーに手をかけたまま、暫しの間黙り込む。

 何かを言い渋っている? やはり何か問題があるのか?


「ゼロはいい人だ。少なくとも……俺にとっては」


 ヴィルト君は呟いた。


「たしかに、問題はある。でも……俺は一緒にいたいと、そう思っている」

「……そうか」


 それきり、彼は口をつぐんだ。

 きっとこれ以上彼についての話を聞くことはできないだろう。


 少なくともヴィルト君自身はそう悪い人ではないように見える。むしろ善人の部類だろう。

 俺の考えすぎなのだろうか? ヴェノーチェカは何かと裏が多い一族だったが……全員が全員そうだと決めつけてしまうのは早計だったろうか。


 だとしても、素直に受け入れることは難しい。

 ただ、あの一族だからと色眼鏡で見ることはやめるべきなのだろう。


「もう一つ、聞いてもいいだろうか」

「何だ?」

「君は悪魔と契約したことがあるか?」


 ヴィルト君の目が見開かれる。

 少し、意地悪だっただろうか。

 これでは答えを言っているようなものだ。


「どうして、それを」

「……これを見たら、分かってもらえると思う」


 俺の首元は黒いハイネックのインナーで隠されている。

 襟に指をかけ、ぐいっと引っ張った。


 そこには高く頭を上げた蛇のような模様が刻まれている。


「それは……」

「君のそれと、同じものだろう?」


 ヴィルト君は目を泳がせ、こくりと頷いた。


「まさか他の契約者と会うとは思っていなかったから。君の治癒能力は、契約の産物か?」


 彼は黙ったまま俺を見ている。

 少し踏み込みすぎただろうか。


「すまない、答えたくなければそれでいい。ただ同じ契約者として気になっただけだ」

「……貴方の言う通り、俺の治癒は契約によって得たものだ」

「やはりそうか……ああ、ちなみに俺はある薬の材料を教えてもらった。ただそれだけの契約だ」

「ある薬?」


 どうやらヴィルト君は少し興味を惹かれたらしい。

 全貌を教えることはできないが、軽くならいいだろう。


「自らの全てを終わらせたい人々にとって、救いとなる薬だよ」

「救い……そうか」


 彼はいまいちよく分かっていないようだったが、良い物として認識したらしい。

 あれは救いの薬だ。俺はそう信じている。


 さて、これ以上時間をかけると何を言われるか分かったものじゃない。

 視線で合図を送ると、彼らが戻ってきた。

 彼らがどういった人間なのか、俺の目で確かめる必要がある。

 薄々分かっている。ただ俺の中で整理がついていないだけなんじゃないかと。


「この後、少し話しませんか」


 近づいてきたゼロは相変わらず無表情だ。その真意は読み取れない。


「今日は私が見張りをすることになりましたから。勿論、眠りたいのであればそうしていただいて結構です」


 俺としても彼という人間を見極めるいい機会だ。

 断る理由はなかった。

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