第32話 魔消渦

 目を覚ますと、ベッドの上だった。

 メルタにある宿の天井だろうか。体を起こすと椅子に座っていたセキヤとヴィルトがこちらを向く。


「目を覚ましたんだね」

「……いつの間に宿に?」

「ゼロ、すごく疲れてたみたいだった。倒れたから、俺が運んだ」


 ヴィルトが目を伏せて言う。

 どうやら余程心配をかけてしまったらしい。

 少し痛む頭を押さえる。何かを忘れているような気がしてならない。


「そういうわけだからさ、今日はゆっくり休んで。朝になったら町を出よう」

「……肖像画は?」

「もう渡しておいたよ、だから大丈夫。それに神官の情報も貰ったよ。ミスキーに風の神官がいるんだって」

「そうですか……」


 窓の外は暗い。

 どれくらい眠っていたのだろうか。セキヤ達の口振りから察するに、丸一日経ったなんてことはなさそうだが。


「パンとスープがある。食べる?」

「ええ、頂きます」


 ヴィルトからパンとスープを受け取る。

 スープはほのかに温かい。


 ……一週間前にも長く寝過ぎて心配をかけたばかりだというのに。こんな調子ではまた迷惑をかけてしまうだろう。

 自分で思っていたよりも疲れが蓄積しているのだろうか。それとも、これも呪いの影響だったりするのか……?

 どちらにせよ、今日はセキヤの言う通り休んで回復に努めることにしよう。



 翌朝。私達は必要な物資を買い足して、門の前に立っていた。

 あと、フード付きのケープも買った。

 今から向かうクレイスト方面は寒い地域だ。

 今が夏だとはいえ、クレイストでは雪が降っていてもおかしくない。

 おまけにヴェノーチェカ家の者である私は、顔を出しづらい。

 その結果のフード付きケープだ。

 元々暑いメルタでは、これが限界だった。流石にコートは売っていないようだ。


 クレイストへ向かう道は遠い。

 メルタとパノプティスの間程ではないにしろ、道はある程度整備されている。

 ここから暫くは南へ進み、途中から道に沿って東へと向かうだけだ。


「ここからクレイストまで遠いですよね」

「うん。順調に行っても一週間どころじゃ着かないと思うよ」

「結構かかるのか……」


 ヴィルトは想像するだけで疲れたような顔をしている。

 そもそもヴィルトは故郷からパノプティスまで真っ直ぐ来たらしい。南の方には疎いのだろう。


「ヴィルトってあっちの方面は行ったことないもんね」

「行かないという選択肢はないことですし、出発しましょうか」


 頷く二人と共に道を歩く。

 夕方になれば、少しヴィルトの稽古もして。

 順調かと思えた旅路は、早々に潰えることとなった。


 四日ほど歩いたとき。くんっと髪を引かれるような感覚がして立ち止まる。


「妙な感覚がします。これは魔物というより……」

「ちょっと待って、見てみるよ」

「私も見ます」


 じっと道の先を見つめたセキヤは、うわっと声を上げた。

 私も目に魔力を集中させ、道の先を見つめる。

 様々な色の魔力が混じり合う中で、明らかに色の薄い空間が目の前に広がっている。

 それはじわじわと範囲を拡大しながら、ゆっくりと周囲の魔力を巻き込むように回転していた。


「魔消渦だ」

「魔消渦ですね」


 セキヤと声が重なる。

 しかし、まさかここで遭遇するとは。それも、おそらく生じてからあまり経っていないものに。

 魔消渦が発生している地帯は、急激に魔力が薄まる。

 その名の通り、魔力を消しながら拡大していく渦だ。

 大抵は時間の経過で消え去るため、近づかないことさえ考えていればいい。


「これは……迂回するしかないね」

「仕方ありません。もう少し西の方から行きますか」


 東側は山に塞がれている。

 余裕をもって通るなら、西側へ逸れるしかない。


「ここに渦が?」

「近寄らないようにしてくださいね。もし中心に引きずり込まれたら……」

「引きずり込まれたら?」


 魔力が極限まで薄まった中心点。もしそこに人間が巻き込まれたなら……


「破裂します」

「えっ」

「破裂するんです。体が」


 ヴィルトは言葉を失った。

 カタカタと震えながら、私達を引っ張って外側へと寄る。

 実際には多少近づいたところで、いきなり引きずり込まれるなんてことはない。

 急激に拡大しなければ……の話だが。


「はは、もう少し遠回りで行こうか」

「笑っている場合じゃない。は、破裂……」

「……これくらい離れていれば大丈夫ですよ。定期的に確認もしますから」


 ヴィルトの背に手を置く。

 思ったよりも怖がらせてしまったようだ。

 だが、軽く見てもいけないことは事実。これくらいで丁度いいのかもしれない。


「あれ? あそこにいるの、酒場にいた人じゃない?」


 セキヤが指差す先を見ると、ルクスがいた。

 大きなリュックを背負った彼は魔消渦がある方を警戒しながら進んでいるように見える。


「どうする? あれ、かなりギリギリの所にいるよ」

「助けるべき」


 ヴィルトは間髪入れずに答えた。

 まあ、それで問題ないだろう。

 ここで見殺しにするのも気が引ける。


「ルクス」


 声をかけると、彼はバッと振り向いた。


「……君か」

「そこ、かなり際ですよ。もう少しこちら側を歩いた方がいいかと」

「忠告感謝するよ。正直、どうしようかと思っていたところだ」


 ルクスはかなり消耗しているように見える。

 あれだけ近くを歩き続けていたのなら無理もない。


「貴方、少し休んだ方がいいですよ」

「はは……君からもそう見えるか」


 ルクスは額に滲む汗を拭い、力なく笑った。

 少し離れた川の側で石に腰掛ける。

 ヴィルトがコップに水を注ぎ、ルクスに渡した。

 ルクスは水を飲み干すと、息を吐く。


「ありがとう。おかげで助かったよ」


 暫く休憩すると、彼の顔色も幾分か良くなった。

 立ち上がったセキヤは、辺りをぐるっと見渡してからルクスを見下ろす。


「俺達はもう行くけど、どうするの?」

「……俺は魔力を見分けることが苦手なんだ。途中まで同行させてもらえるか?」

「構いませんよ」


 ヴィルトも頷く。

 ここで断る理由もなかった。


 暫く歩いたが、道中はほとんど無言だった。

 たまに辺りの魔力濃度を確認したセキヤが進む方向を指示するくらいだ。

 妙な気まずさが充満している……気がする。

 今までずっとこの三人で進んできたわけだ。違和感を覚えるのも仕方ないことだろう。


 ぐるりと迂回して元の道に戻った後も無言が続く。

 沈黙が破られたのは、野営の時だった。


「同行させてもらった礼だ。数は少ないが……」

「どうも」


 ルクスはリュックから取り出した干し肉を差し出す。

 受け取った干し肉は今日のスープに入れることにした。

 食事の準備も済ませ、火を囲んで座る。


「そういえば自己紹介をしていなかったな。俺はルクス・リアストという」

「リアスト家……クレイスト出身ね」


 セキヤが反応する。

 ルクスは目を瞬かせ、セキヤを見た。


「知っているのか?」

「まあね。俺はセキヤ・レグラス……知ってるかな」

「レグラスの御令息だったのか。勿論知っているさ」


 普段はあまり気にしていなかったが、セキヤも名家の出だ。

 その彼が知っているなら、実際にルクスの家も有名だったのだろう。


「本当に名家の出だったのですね、貴方」

「ああ、そっか。ゼロは知らないか。リアスト家っていうと、医療の最先端を走ってた一家だよ。俺の父さんも一度診てもらったことがあったらしい」


 なるほど、セキヤの父親が。

 スープを飲みながらルクスをちらりと見る。

 うん。まあ、そうだ。悪い人ではないのだろう、きっと。


 ふと、ヴィルトが居心地悪そうにしていることに気づいた。

 スープを見つめていた彼は、すっと目を逸らしてマフラーを引き上げた。


「俺以外、有名な人ばかり」

「……今となっては過去の栄光だ。気にすることはない」


 ルクスはゆっくりと首を振った。


「そう、か? 俺はヴィルト・メンシス。よろしく」


 軽く頭を下げたヴィルトに、ルクスも頭を下げ返した。


「それにしても、メルタまで長い道のりだっただろうに。よく無事だったね」

「今までは運が良かっただけだな。まさかここで魔消渦に遭遇するとは思わなかった」


 ルクスはパンをちぎりながら言う。


「今も運が良いと思いますけどね。私達が来なければどうするつもりだったんですか?」

「……境目を探りながら進もうと思っていた」

「危険すぎます。分からないわけでもないでしょう?」


 ルクスは目を逸らした。自分でも分かっているらしい。

 ただ、他に方法がなかったのだろう。魔力を見分けることが苦手だと言っていた。

 自分の体調から、魔消渦の境を探っていたのかもしれない。


「ま、今日はよく休んでよ。見張りは俺がするからさ」

「ありがとう。この礼も、いつか必ず」

「いいって。旅は道連れって言うだろ? それにもう干し肉も貰ったし充分だよ」


 食べ終えたセキヤが頬杖をつく。


 今日も、パチパチと火の粉が上がる音を聞きながら眠りについた。



 二日後には周囲の魔力濃度が通常レベルにまで戻った。

 かと思いきや、今度は魔力濃度が濃くなったらしい。

 見てみると、辺り一面が風の魔力に覆われている。


「これはついてないね」

「ですね」

「なんだ、また何かあったのか?」


 ルクスとヴィルトはこの光景が見えていないからか、キョトンとしている。


「今度は風の魔力が濃くなっています」

「……不運だ」


 肩を落としたルクスをヴィルトが気にかけている。

 運が良いのか悪いのか……まあ、今回に関しては間違いなく悪いのだろう。


 暫く歩いていると、無数の気配を感じた。


「来ます」


 袖からナイフを取り出し、体を低くする。

 セキヤも銃を取り出し、構えた。

 私達の様子を見て、ルクスとヴィルトも警戒する。


 木々が揺れ、羽ばたく音と共にソレが姿を現した。

 全身が鮮やかな緑に染まった、巨大な鳥の群れだ。


「これはまた大勢来ましたね……ッ」


 急降下で襲い来る鳥の嘴を避け、翼を断ち切る。

 けたたましい鳴き声をあげた鳥達が、息を整える間も与えないとばかりに飛びかかった。


「ああもう、素早いなぁっ」


 セキヤも応戦しているが、避けることに精一杯で照準が合っていない。

 私達だけに向いている今はいいが、ヴィルト達に向いたら危ないだろう。


「ヴィルト、ルクス、貴方達は隠れていてくださいっ」


 二匹目の体を切り裂きながら言う。

 頷いた二人は、こっそりとこの場を抜け出し、木々の向こうへと身を隠した。


「……さて、思い切りやりましょうか」


 数はあと二十といったところか。

 私達なら問題なく倒せるだろう。

 セキヤと共に、怪鳥を睨みつけた。

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