第22話 水の神官

 村に戻ってきた私達は、早速オルドの家を訪ねていた。

 しかしノックしても出てこない。

 もしや普段から居留守をしているのだろうか。


「私達です」


 もう一度ノックをすると、ドタバタと音がして扉が開いた。

 いつにもましてヨレヨレの姿の彼は、眼鏡が半分ズレている。


「も、もう……!?」

「何か不都合でもありましたか?」

「い、いえっ! そういうわけではありません! ただ驚いただけで……」


 明らかに昨日よりも怯えられている。

 目を泳がせた彼は眼鏡をかけなおして、おそるおそる尋ねてくる。


「あの、もしかしてですけど……もう解決したとかじゃ、ない……ですよね?」

「えーっと、それについてなんだけど……形見のペンダントってこれだよね?」


 セキヤの視線を受け、ペンダントを取り出して見せる。

 ペンダントを見たオルドは目を丸くさせた。


「そ、それです! ほ、本当に、あの巨大なイカを……!?」


 オルドはますます怖がってしまった。

 ……どうやら私達があの巨大イカを倒したことに恐れ慄いているらしい。


「ええ、倒しましたよ。これで神官に会えますよね?」

「は、はい。おそらく……」

「おそらく、ですか」


 オルドは肩をびくりと跳ねさせた。


「すっ、すみません! こ、こればかりは僕にも分からないので、その……っ」

「……責めているわけではありませんよ」

「ゼロ、もう少しにこやかに……」


 セキヤに耳打ちされる。

 仕方ない。ため息をついて、にっこりと微笑んだ。


「先程はすみません。怒っているわけではないので、気にしないでくださいね?」

「ひっ」


 オルドはすっかり青ざめて後退りした。

 その目は恐怖で潤んでいる。


「……ますます怯えられたのですが」

「あー、はは……ほら、変わりようが凄いからさ。はは……」


 じとりとセキヤを見ると、彼は頭に手を当てて苦笑した。

 まあいい。これ以上ここで時間を潰すわけにもいかない。


「いいですよ。案内さえしてもらえれば」

「わ、わかりました。それでは、少々お待ちを……」


 オルドは一度家に戻ると、大きな肩掛けカバンと板を持ってきた。

 あの板は……布で包まれているが、キャンバスだろうか?


「すぐ仕事にかかれるようにと用意していたんです。あ、案内するので、ついてきてください」


 オルドの案内で連れて行かれたのは、海上に設けられた祭壇だった。

 長く続く桟橋の奥。石で作られた台座は広く、砂浜よりもずっと白い。

 日光を受けた海面がキラキラと輝き、その底はとても深い。


「こ、ここです。いつも神官様とお会いする時は、ここに捧げ物をします……」

「捧げ物ですか」

「はっ、はい。その、今回はペンダントで問題ないと思います……」


 数段の階段の先を見てみると、石で作られた机の上に大きな皿が置かれている。貝殻を模したそれが、捧げ物を置くための物なのだろう。

 ペンダントを貝殻の皿に置き、階段を降りる。

 オルドは一歩前に出ると、片膝をついた。胸の前で両手を組み、目を閉じる。

 それを見たヴィルトも同じように片膝をつき、両手を組んだ。

 私とセキヤが真似をするよりも先に、海面が持ち上がる。

 反射的に身構えた私の肩に手が置かれた。隣を見ると、セキヤが穏やかな顔で首を振る。


 水が跳ねる音と共に、その姿が現れる。

 一言で表すなら、人魚。それが最も相応しいだろう。

 脚の代わりに魚の尾をもつ、青髪の女だ。腰まであるロングウェーブの髪は、毛先に向かうにつれて鮮やかな水色、そしてエメラルドグリーンに染まっている。

 腰に巻かれた一枚の布を留める青色の魔宝石が、光を受けてキラリと輝く。

 耳があるべき位置についた一対のエラがぱたりと羽ばたくように動き、緑色の目が私達を捉えた。その視線はすぐにオルドへと逸れていく。


「いらっしゃい、オルド君。貴方がここに来るなんて珍しいわね。久しぶりに会えて嬉しいわ」


 祭壇をテーブル代わりに顎の下で手を組んだ彼女は、オルドを見つめて微笑んだ。


「ぼ、僕もです。その……神官様」

「ライラでいいのよ、オルド君。貴方は夫のお友達だったんだもの、堅苦しいのはキライよ」

「そ……そう、ですね」


 ライラは貝殻の皿に乗ったペンダントを見ると、頬に手を当てて目を丸くした。


「あら、このペンダント……貴方が見つけてくれたの?」

「い、いえ。その、持ってきたのは彼らです」

「そうだったの……」


 ライラはようやく私達を見た。にこりと笑った彼女は、ペンダントを皿から拾い上げる。


「旅人さんかしら? ありがとう。このペンダントは夫の形見なの。大事なペンダントで……あら?」


 ペンダントのロケットを開けたライラは、驚いた後……眉を下げた。


「ごめんなさい、オルド君。貴方に描いてもらった、私と夫の姿絵が……ダメになってしまったわ」

「え……」


 あの巨大イカに奪われている間に破損してしまったのだろうか。

 ふとオルドを見ると、その様子がおかしいことに気付く。

 酷く青ざめた彼は、組んだ手をカタカタと震わせていた。目も揺れている。

 オルドは手を組んだまま、深く頭を下げた。


「も、申し訳ありません……」

「そんな、謝らなくていいのよ。謝るのは私の方だわ……せっかく描いてもらったのに、私がちゃんとしていないからこうなってしまったんだもの……」


 オルドはだらだらと汗をかいている。

 彼が口を開こうとしたところで、セキヤが片手を上げた。


「あのー、神官様。大切なお話中に失礼ですが、俺達……」

「あら、ごめんなさいね。私ったら、ついうっかり……」


 ライラは肩をすくめ、緩やかに首を振る。


「私に会いに来たということは、何か用があってのことなのよね?」

「ええ。火の神官から、貴方の姿絵を持ってくるよう頼まれました」

「レイザから? そうだったのね。ここまで来るのは疲れたでしょう?」

「いえ、それほどは。私達は私達で別の目的もありましたから」


 さて、本題だ。

 これでもし断られたら……いや、それはその時に考えることにしよう。


「別の目的?」

「貴方が持つ魔宝石の魔力を分けていただきたいのです」


 魔力を収めるためのペンダントを取り出す。

 ライラはペンダントをじっと見つめ、頷いた。


「この魔力は……レイザのものね。そういうことなら分かったわ。形見を取り返してもらったのに、それくらい応えなければ神官として失格だものね」


 ライラは微笑むと水中に潜った。ぱしゃりと尾に叩かれた水が飛沫をあげる。

 そして、大きな水柱と共に水中から高く飛び上がった。

 長い尾が揺れ、腰の魔宝石から青い光が湧き出る。キラキラと輝く光の粒子は私達を包み、ペンダントに吸い込まれていった。

 ペンダントの六色の石の内、暗い青だった石が鮮やかな色に染まる。

 ライラが着水すると、バシャンと音を立てて水飛沫が上がった。

 水から顔を出した彼女は、頬杖をついて微笑んだ。


「これで充分かしら?」

「はい。ありがとうございます」

「いいのよ。レイザが認めた旅人だもの」


 これで二つ目の魔力が手に入った。

 順調だ。この調子でいけば、残り四つも案外すぐに集まるのではないだろうか?

 今後のことを考えていると、セキヤが思い出したように声をあげた。


「あ、それと。俺達、巨大なイカの魔物を仕留めたんです。あの岩山の向こうに沈んでいると思うんですけど、問題はありませんか?」

「そうね……私の方でどうにかしておくから、何も心配はいらないわ」


 ライラは胸に手を当て、軽くお辞儀をする。


「形見のこと、本当にありがとう。姿絵の方は……きっと今回もオルド君が描いてくれるのでしょう? 彼の腕は相当なものよ。レイザも気にいる一枚になるわ」

「どのくらいかかりそうですか?」

「神官様への贈り物となると、数ヶ月はいただきたいところですが……急いでいるなら、あと二日あれば完成させます」


 数ヶ月が、二日?

 一体何がどうなればそうなるのか。思わず黙り込んでしまった。

 オルドはハッとして、両手を振った。


「あっ、その、クオリティは保証します。ぼ、僕は土の魔法に適正があって……細かい説明は省きますが、魔法で絵の具を想像通りに動かすことができるんです。それを使えば、普通に絵を描くよりもずっと早く正確に完成させることができます!」


 早口で言い切ったオルドは、ふうと息を吐いた。


「オルド君はね、村で一番魔法の適正があるのよ。使える魔法は絵に関することだけなんだけれどね」

「かなり限定的ですね」

「そ、その、絵を描くことが趣味だったので……その一環で身につけたんです。や、やっぱりもっと漁に貢献できる魔法の方がいいですよね、はは……」


 オルドは目を逸らし、頭に手を当てる。

 セキヤは彼の肩に手を置き、笑いかけた。


「好きなことに一生懸命ってことでしょ? 俺はいいと思うよ」

「あ、ありがとうございます」


 ぺこりとお辞儀したオルドは、カバンを開けた。


「そ、その、早速取り掛かってもいいですか?」

「ええ、勿論。ポーズは……これでいいかしら」


 祭壇の階段に腰掛けたライラは、手を揃えて膝……と呼んでいいのかはわからないが、その辺りに置いた。

 オルドはキャンバスを立て、準備を始める。


「邪魔するのも悪いし、俺達は離れようか」

「あっ、そ、その。描き終わったらどうしますか?」


 こちらを向いたオルドに、セキヤが手を振って答える。


「三日後の朝に家を訪ねるよ。描き終わっていたら、その時に」

「わかりました。えっと、頑張りますね!」


 小さく手を振るオルドにヴィルトが手を振り返す。

 祭壇を離れた後は、この後どうするかについて話をすることになった。


「それで、どうしようか?」

「三日となると… …特に思い浮かびませんね。ひとまず今日は休みますか?」


 ぼんやりと空を眺めていたヴィルトが、小さく手をあげる。


「もしよければ、明日は俺の故郷に行ってもいいだろうか」

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