第21話 巨大烏賊
大きな体を揺さぶる。
「ヴィルト。起きてください、ヴィルト」
中々起きない彼にため息をつき、ペチペチと頬を叩いてみる。
パッと目を覚ました彼の目尻には雫が浮かんでいた。
「まったく……ようやく目を覚ましましたか」
ヴィルトは目元を擦りながら体を起こした。
相当怖い夢でも見ていたのだろうか?
荷物をまとめていたセキヤがこちらへ顔を向ける。
「魘されてたよ。何か嫌な夢でも見た?」
私とセキヤの顔を見たヴィルトは、少しの沈黙の後に頷いた。
まあ、詳しく言いたくないのならそれでいい。夢は夢なのだから。
「そうですか。今日はどうします? ここで待っていてもいいですよ」
「……俺も行く」
「なら早く支度してくださいね」
立ち上がり、体を伸ばす。
彼が無理をしようとしているのは分かっている。夢とはいえ、相当に消耗しているようだった。
けれども、本人が行くと言うなら止める理由もない。
無理に来るなと言っても、彼を傷つけるだけになるだろう。
「まずは情報収集。手掛かりを掴み次第、仕留めに行きましょう」
「巨大なイカだよね。俺がメインで戦うことになりそうかな」
「どうでしょう。そうかもしれませんね」
「よし、任せて」
笑うセキヤとは逆に、ヴィルトは複雑そうな顔をしている。
いつものことではあるが、どうしたものか。
こればかりは彼の考え方の問題もある。私達でどうこうするにも限界があった。
「ヴィルトは待機をお願いします。海での戦闘は慣れていませんから……万が一のとき、頼りになるのは貴方ですよ」
「……分かった」
頷いたヴィルトはリュックを背負って立ち上がる。
家を出る。空は雲一つない。快晴だ。
やはり漁師達の朝は早いのだろう。既に海に繰り出している人もいた。
ただ、誰も彼もが苛立っている様子だ。メルタの時とは非にならない。
(そういえば漁獲量が少ないと言っていた。この村の少ない魔力量と関係しているのか……?)
いずれにせよ、彼らから話を聞くほかない。
少し体を前に倒し、手を胸の前で組む。
表情は少し眉を下げて、頭の角度は十度くらい。
よし、完璧だ。
漁師の一人に近づき、高めの声で話しかける。
「あの、少しいいですか?」
「あ? ああ、例の旅人さんか」
漁師の男は面倒そうな顔をしている。
今から仕事のところに声をかけているのだから仕方ない。
「悪いが今は忙しいんだ。後でにしてくれねえか」
「お忙しいところすみません。あまり時間はとらせませんから。巨大なイカについて知りませんか?」
相手の返事を聞く前に畳みかける。漁師は苦い顔をした。
「あのデカブツか? 迷惑してるよ。ただでさえ魚が少ないってのに、ヤツが出ると魚が逃げちまうんだ」
「普段どこにいるかは分かりますか?」
「さあな。ただ、あっちの岩の影に戻ってくところを見たやつがいるらしい。それくらいだ」
漁師が指差した先、少し遠くに巨大な岩が見える。十メートルくらいはありそうだ。
「もういいか?」
「はい、ありがとうございます。とても助かりました!」
にっこりと笑いかけると、漁師はふんと鼻を鳴らして去っていった。
結果は上々だろう。表情を戻し、セキヤ達の元へ戻る。
「あちらの岩影だそうです。行ってみましょう」
ヴィルトがじっと私の顔を見てくる。
その目はある種の恐怖を抱いているようにも見えた。
「何ですか?」
「……何度見ても慣れない。別人みたい」
「使えるものは使うだけですよ」
それで情報が手に入るなら安いものだ。
必要とあれば顔だけじゃなく体でも何でも使う。それが私のやり方だ。
まあ、そこまでは言う必要もないだろう。
二人を連れて岩山へと向かう。
元は釣り場として整備でもされていたのだろうか? 海際は比較的平らに岩が切り取られている。
砂浜が続いていた一帯とは変わって、岩から落ちれば深い海だ。
巨大イカの隠れ場所としては適しているのだろう。
「この辺りでしょうか」
「多分ね。それにしても、どれくらいの大きさなんだろう」
辺りを見渡す。
聞こえるのは寄せては引いていく波の音だけだ。
「見た限りではいないようですが……」
「待つ?」
「そうするしかなさそうだよね」
「……いえ、この感覚は」
ピリ、と背筋に走る電流のようなそれ。
次の瞬間、目の前の海面がぐわっと持ち上がった。
大きな影が私達に被さる。
「……来ましたか」
「うっわ……思ったよりデカいかも」
「ヴィルトは隠れていてください」
頷いたヴィルトはリュックを背負い直し、小走りで岩陰に隠れた。
それを横目で確認し、巨大な影を見上げる。
先端にいくにつれて青く染まった、真っ白な体の巨大イカだ。横長の瞳孔が私達を見ている。
触腕の一本に、キラリと光る何かが見えた。おそらくあれが件のペンダントだろう。
セキヤと並んでナイフを構える。セキヤは赤と緑のシリンダーをつけた銃を構えていた。攻撃力重視でいくらしい。風属性の消音効果は漁師達への配慮だろうか。
巨大イカと暫く睨み合う。
ちらりと自分の足元を見る。
巨大イカのハッキリとした影が、そこにあった。
ゆっくりと。自分の魔力を足に集中させ、影に馴染ませる。
糸で何重にも縫い付けるように、魔力を張り巡らせていく。
「セキヤ、思いっきりやってください」
「オッケー」
セキヤは即座に引き金を引いた。
銃弾を撃ち込まれながらも、動かない巨大イカ。
その大きな目だけが、混乱しているかのようにぎょろぎょろと動いていた。
ビリビリと足元に衝撃が伝わる。ぐらつきそうになる体をコントロールする。
一度でも足を離してしまえばこの魔法は効力を失う。それは避けたい。
何発も撃ち込んでいくセキヤだったが、シーッと息を吸い込んでため息をついた。
「ダメ、決定打に欠ける」
「土属性は? 貫通させてしまえばいいのでは」
「多分、火と土ならいける。ただそうすると風を外さないといけないから……いくら巨大イカ倒せても、相当嫌われると思うんだよね。漁師の方々に」
「ああ……なるほど」
たしかにあまり大きな音を出して邪魔しては嫌われるだろう。
ただでさえイラついているところにとなれば……追い出されかねない。それは困る。
仕方ない、神官に会うためだ。
「私が行きます。援護を」
「分かった」
影から足を浮かせると同時に、青い触腕がセキヤめがけて襲いかかる。
「うわっとと」
軽い調子の声と共に避けたセキヤは、何発か触腕に撃ち込んだ。
その触腕に飛び乗り、胴体へと駆ける。
ああ、足元がヌルヌルする。滑りそうになりながらも、次々と襲い来る触腕を避けていく。
薙ぎ払おうとしてくる触腕は飛び避け、叩きつけてくる触腕は他の触腕へと飛び移り。
そうしている内に、胴体を見下ろせる位置にまで来た。
巨大イカは私を落とすことしか考えていないらしい。
ラストスパート。よりスピードを上げ、飛び上がる。
落ちれば終わりの一発勝負だ。
狙うは目と目の間、頭の付け根。
ズブリ。
狙い通り突き刺さったナイフを捻りながら、さらに押し込む。
巨大イカは暴れ、めちゃくちゃに触腕を振り回している。私に近づく触腕を銃弾が的確に撃ち抜いていく。
深く、より深く。腕まで突き刺した時、青い血が吹き出した。
巨大イカはピクピクと痙攣し、ぐらりと巨体が傾く。
ナイフを引き抜き、崩れ落ちる体から飛び降りて岩山に降り立った。
何かが空を飛び、キラリと輝く。
巨体が沈み、大きな水柱が立った。
「……かなり汚れました」
「まあ、そうなるよね」
全身が青い血でぐちゃぐちゃに濡れてしまった。
しかも生臭い。非常に……非常に嫌だ。
「お疲れ様。結局ゼロがほとんどやっちゃったね」
「貴方の援護があってこそです。ヴィルト、終わりましたよ」
岩陰からひょこっと顔を出したヴィルトは、私の姿を見て固まった。
「水をお願いします。頭からで構いませんので」
「わ、わかった」
ヴィルトは困惑しながらも水球を作り出し、私の頭上から落とす。
ばしゃんと音を立てて水球が弾けた。だが、まだ落ちきっていない。
何度か繰り返して綺麗になったら、今度はセキヤの番だ。
セキヤが手の先に出した火球で乾かす。
そういえば、先程キラリと輝きながら空を舞った物。あれはどこに落ちたのだろうか。
「件のペンダントがその辺りに落ちているはずです」
「あ、そういえば何か飛んでたね。えっと……」
セキヤがきょろきょろと辺りを見渡す。
同じように探していたヴィルトが、何かを拾って持ってきた。
「あった。これか?」
ヴィルトが持って来たのは金色のペンダントだ。
ペンダントトップは開くようになっている。
「おそらくそれだと思います」
「ロケットペンダントだね」
「中、確認してみますか?」
ヴィルトからペンダントを受け取り、日にかざす。
精巧に彫られた模様に、青い塗料が塗られている。
「うーん、勝手に開けるのもね」
「人の物……よくないと、思う」
私自身も聞いてはみたが、無理して確認したいわけでもない。
「それもそうですね。とにかく、これで依頼は完了したわけですが……神官には会えるのでしょうか」
結局はそこが重要だ。
ここまでして会えないとなれば、オルドを多少脅してでもどうにか繋いでもらうしかない。
「こればかりは行ってみないと分からないね」
「きっと、会える」
何はともあれ、一度戻ることにしよう。
水没した巨大イカについては……神官に会えたら、言うことにしよう。
上手い具合に処理してくれることだろう。きっと。
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