第20話 遠い日の夢
目を覚ます。天井の木目をぼんやりと見つめ、体を起こす。
体が小さいような気がする。どこか懐かしい部屋を見渡していると、足音が聞こえてきた。
「朝よ、ヴィルト。起きなさい」
ガラ、と音を立てて開かれた扉の向こうに青い髪の女性が立っている。
柔らかい表情の、大人の女性だ。
ああ、そうだ。あの人は俺の母さんだ。
見ていると、なぜか鼻の奥がツンとした。
「あら? もう起きていたのね。珍しい……って、どうしたの? 怖い夢でも見たのかしら」
近づいてきた母さんが、俺の頬に触れる。
伝っていた雫を拭い、頭を撫でてくれた。
「なんでもない……大丈夫だよ、母さん」
首を振る。母さんの言う通り、怖い夢を見ていたのかもしれない。
布団を出て、いつものように着替えてから居間に向かう。
背を向けて座っている父さんが振り向いた。
紫色の目と目が合う。
「おはよう、ヴィルト」
「おはよう、父さん」
なんだか変な感じだ。
こうしてまた、挨拶ができるなんて。
……どうして変な感じがするんだろう?
内心首を傾げながら座った。
机の上には朝食が並んでいる。
白米に、焼き魚。野菜たっぷりの味噌汁。
いつも通りの美味しそうな朝食だ。
きちんと両手を合わせる。
「いただきます」
箸も久々に使う気がする。
味噌汁を飲んでいると、父さんが「そういえば」と口を開いた。
「作っていた首飾りは完成したのか?」
「ごほっ」
味噌汁が変な所に入った。
けほけほと何度か咳をして、父さんを見る。
「な、なんで知って……」
「夜遅くまで作っているだろう。明かりを消し忘れたのかと思って見に行ったのに、お前ときたらまったく気づかなくてな」
そう言って笑う父さんは、水を差し出してくれた。
受け取り、一口飲んで目を逸らす。
「声、かけてくれたらいいのに」
「邪魔するのも悪いと思ってな。で、どうなんだ?」
「……できた」
つい昨日完成したばかりの首飾り。
拾い集めた中のとっておきを使ったそれは、箱に収めて自室に置いてある。
父さんはニヤつきながら俺の肩に手を置いた。
「そうかそうか、良かったな。で、誰にあげるんだ?」
「ちょっと、やめてあげなさいよ。ヴィルトも困ってるじゃない」
母さんが机にお茶を置きながら父さんを諌めた。
別に困ってはいない。ただ、少し気恥ずかしかっただけで。
別に、相手だって教えてもいい。たぶん。
だって彼女は俺の親友だし。
「すまんすまん。ついな」
「友達にあげるだけだよ」
「そうか。友達になぁ」
肩から手を離した父さんは優しい目で俺を見た。
友達は友達だ。嘘はついてない。
なのに、父さんは何かを期待するような、そんな顔をしていた。
だから友達だって。
「今日は朝礼に間に合いそうね」
座った母さんが微笑む。
毎朝ある朝礼。勿論、俺は毎日行っている。
遅れたことだってない……はず。
「いつも間に合ってるよ」
「そう言って、いつもギリギリじゃないの」
そう言われると何も言い返せない。
思えば、こんなふうにゆっくり朝食を食べるのも久しぶりだ。
普段はもっと急いでいたから。
最後の一口を食べて、両手を合わせる。
「ごちそうさま。朝礼、行ってくる」
「はい、行ってらっしゃい」
「アレは持っていかなくていいのか?」
父さんの声で足を止める。
そうだ、持っていかないと。せっかく完成させたんだから。
一度部屋に戻って小さな木箱を持って出る。
昨日作ったヒスイの首飾りが入った箱だ。
広場に出ると、大体の子はみんな集まっていた。
俺と同じくらいの子や、小さい子、大きい子もいる。
ばらばらに集まる中で収まりがいい場所を探した。
みんなの前に出てきたロウじい様が咳払いをする。
「近頃、禁断の森に入るどころか神殿にまで立ち入る者がおる。何度も言うが、あの場所は悪魔に魅入られた愚か者が建てた禁忌の場所じゃ。入ってはならん」
「ロウじぃ、もっと面白い話してよー」
退屈そうにあくびをした男の子が声を上げる。
誰だったっけ。ああ、そうだ、たしか……ダイ君。
彼に続いて、何人かが声を上げ始めた。
「悪魔って願い事叶えてくれるんでしょ? 本当に悪いヤツなの?」
「実はいいヤツだったりして」
「こら! 真面目に聞かんか! 悪魔は願いを叶えると囁くがな、その代わりに魂を喰らう。もし悪魔の囁きが聞こえても、耳を貸してはならんぞ」
説教混じりの朝礼は長く続いた。みんな退屈そうだ。
きっと明日か明後日には、またその神殿に遊びに行く子が出るだろう。
大変そうだなあ。ロウじい様。
ロウじい様はダイ君みたいな子には厳しいけど、ちゃんとしている子供には優しい。
俺がちゃんとしている……と言いたいわけではないけど、分からないことを聞きに行くと優しく教えてくれる。
ロウじい様は尊敬する大人の一人だ。
朝礼が終わった後、みんなは好きに散らばった。今日は雨が降るかもしれないってロウじい様が言っていたからか、あまり遠くには行かないみたいだけど。
みんなの中からあの子を探す。
水色の頭を見つけて、駆け寄った。
「リッカちゃん」
「あ、ヴィルト」
リッカちゃんは、ぱっと明るい笑顔を見せる。
彼女は一番の親友。家が隣だからか、物心がつく前から一緒に遊んでいたらしい。母さんが言っていた。
「その、今日はあげたいものがあって」
「そうなの? ちょうど私もあげたいものがあったんだ!」
リッカちゃんは両手で小さな袋を持って見せてくれた。
まさか同じ日に贈り物をあげ合うなんて。
前にも一緒に同じことを言ったり、忘れ物をしたりすることがあった。
なんだかくすぐったい。
リッカちゃんは俺があげた箱を持ち上げて笑う。
「じゃあ、せーので開けようよ」
「うん」
「いくよ。せーのっ」
開けた袋には二本の飾り紐が入っていた。
紫の糸を編んだ紐の両端に、ヒスイの玉が一つずつ通されている。
紐を取り出すと、日光を反射したヒスイがキラリと光った。とてもよく磨かれているみたいだ。
「わあ、きれい!」
リッカちゃんも首飾りを日にかざしてはしゃいでいる。
喜んでくれたみたいだ。よかった。
「この飾りも、きれい」
「へへっ、そうでしょ? よかったぁ」
首飾りをつけたリッカちゃんが笑う。
せっかくだから、俺もつけよう。
あ、でもどこにつければいいんだろう。
迷っていたら、リッカちゃんが手首に巻いてくれた。何度かくるくると巻きつけると、丁度いい長さになる。
「ちょっと長すぎたかも」
リッカちゃんは照れくさそうに笑った。
もう一本の飾り紐を、俺の二の腕に巻く。
「でも、ヴィルトが大きくなったらきっとピッタリになるよ。ほら、大人は皆ここに巻いてるでしょ? その時に使ってくれたら嬉しいなって」
「うん、使うよ」
大人は皆同じ服を着てる。特別な作り方をしているっていう青い衣。
俺ももう少し大きくなったら、きっと母さんと父さんからあの服を貰うんだろう。
リッカちゃんがくれたのは、その袖を留めるための飾り紐だった。
それから、リッカちゃんと一緒に村近くの川に行った。
俺達のお気に入りの場所で、首飾りにしたヒスイを拾ったのもここだ。もしかするとリッカちゃんもここで拾ったのかもしれない。
大きな岩に座って、川を眺めながら話をした。
今日の朝ごはんのこと。昨日見た夢のこと。育てていた花が咲いたこと。実は今日、飾り紐を持ってくるのを忘れかけたこと。
また、泣きそうになる。
「ヴィルト、どうしたの? 目、いたい?」
「ううん……なんでも、ないよ」
目元を拭って立ち上がる。
「そろそろ家に帰らないと」
「そうだね。お昼食べて終わったら、また遊ぼ!」
「……うん」
また遊べるかな。
不思議と、そんなことが頭に浮かぶ。
少し、胸がざわついた。
村に戻ると大人達が忙しそうにしていた。
槍を持ち出したり、大きな木の板で盾を作っていたりしている。
その様子を見たリッカちゃんは首を傾げた。
「どうしたんだろう。獣でも出たのかな?」
「そうかも。早く帰ろう」
「そうだね。あっ、おつかい頼まれてたの忘れてた! じゃあね、ヴィルト!」
リッカちゃんは手を振って走って行った。
俺が声をかけるよりも早く。
引き止めなきゃいけない。そんな気がしたけど、気のせいだろうか。
家に帰ると、焦った様子の母さんに手を掴まれる。
母さんの顔は少し怖かった。
「か、母さん。手、痛いよ……」
「あっ……ごめんね」
母さんは謝りながらも手を引くことをやめなかった。
ぐいぐいと引っ張られた俺は、家の地下倉庫に連れていかれた。
床の扉を開けて、中に入るよう促される。
「早く入って。いい? 母さんが迎えに来るまで、出てきちゃいけないからね」
「……わかった」
明かりをつけないまま扉を閉じられる。
バタン、と音がして真っ暗になった。ズリズリと何かを押す音が聞こえた後、母さんの足音が遠くなって静かになる。
はしごの側で座って、母さんの迎えを待った。
……知っている。母さんは迎えにこない。
誰も来ないことを、知っている。
でも、体は動いてくれなかった。
ただ、息をひそめて待つ。次第に外が騒がしくなる。
俺はどんな気持ちで待っていたのだろう。
膝を抱える手をぎゅっと握りしめる。
目を閉じて待つ。小さく腹が鳴っても、まだ動かない。外が静かになっても、まだ。
何度目かも分からない腹の音が鳴って、喉も渇いて、ようやく立ち上がる。はしごに手をかけたところで、母さんの言葉を思い出して、手を引っ込めた。
母さんは迎えに来るまで出てはいけないと言っていた。でも、これ以上待つのは……正直、少し苦しい。お腹も空いたし、喉も渇いたんだ。
一度引っ込めた手をはしごにかける。
暗い中、手探りではしごを登って、重たい扉を持ち上げた。
中々開かない扉を一生懸命に押す。ガサガサと何かが崩れる音がしてようやく開いた。
途端に嫌な臭いが入り込む。扉の上に乗せられていた箱や麻袋があたりに散らばっていた。
「……母さん?」
居間に続く扉に手をかける。
ああ、嫌な予感がする。
いつも願っていた。この先の光景が違うものであることを。
扉を開ける。
どくん。心臓が強く跳ねた。
床に倒れ込んだ母さんは、赤い水溜まりに浸かっている。
強く頭を殴られたような気がした。
ハッとして、母さんに駆け寄る。
無駄だと分かっていても止められなかった。
「母さん!」
揺さぶった体は冷たく、固い。
触れた指の先から冷めきっていくようだった。
「だ、誰か……」
よろけながらも立ち上がり、玄関へ向かう。
少し歪んだ扉に手をかけた。
分かっている。これは夢だと。
脳にこびりついた記憶を模倣しているだけの夢。
だから、本当は分かっていたんだ。この扉の向こうがどうなっているかなんて。
ああ、パチパチと火の粉が上がる音がする。
ガラガラと音を立てて開けた扉の向こう。
真っ赤な夕焼け空の下。
いくつかの形を残した家々と、燃えて崩れた残骸たち。
あちこちで血溜まりに伏しているのは村の大人達。
守ろうとして何かに立ち向かおうとしたのだろう。誰も彼もが家に背を向けるように倒れている。逃げようとしたまま倒れている子供達の姿もあった。
そのどれもが見知った顔ばかりだ。
「父さん……」
家のすぐ側で倒れている男性は、尊敬する父さんだった。遠くには見慣れた長い白髪が見える。
「ロウじい様……?」
分かっていた。あの扉の先がこんな地獄になっていることは。
そして、この後にどうするかも知っている。
幼い俺は、目の前の光景を理解することを拒んだ。ただ、何かに導かれるように。おぼつかない足取りで親友を探して、探して、探して。
歩けば歩くほど、悲惨な光景が目に入る。
大人も子供も、男も女も関係なかった。
誰も彼もが倒れている。動いている人は一人もいない。
聞こえるのは風の音と、パチパチと燃える火の音だけ。
「……リッカちゃん」
ようやく見つけた幼い体は、めちゃくちゃにされていた。
体のいたるところから血が流れ出ていて、服を真っ赤に染め上げている。
目の前の惨状に遅れて追いついた心は酷く乱れていた。
母さん。父さん。ロウじい様。リッカ……村の皆。
みんな、みんないなくなってしまった。
大きな音がする。焼け崩れた柱が倒れる音だったのか、それとも俺の心から聞こえた音だったのか。
咄嗟に口を押さえ、しゃがみこむ。
空っぽの胃が絞り上げられるようだった。
溢れてきた涙が汚れた地面に染み込む。
悪い夢だ。全部、全部、全部。
いっそのこと、すべてがゆめだったらよかったのに。
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