漁村 ダム・エミール
第19話 漁村
パノプティス前を出発して一週間後。
私達は森を抜け、目の前に広がる景色を見つめていた。
遠くまで続く海と、白い砂浜、巨大な岩山。
海辺に柵が見える。あそこがダム・エミールだろう。
「レイザが言っていた通り、村って感じのところだね」
「あの雰囲気、落ち着く気がする」
「とりあえず入ってみましょうか。宿……は無いにしても、場所を借りなければ」
村に向かいながら、森での一週間を振り返る。
メルタ方面の森は魔力が濃く、魔物が多かった。
一方ダム・エミール方面の森は魔力が薄い。
「やけに魔物が少なかったですね」
「メルタ方面より魔力が薄いからかな。普通より薄すぎる気もするけど……」
「危険が少ないのはいいこと」
「ははっ、それはそうだね」
話している内に段々と村が見えてくる。
木製の柵はやや頼りなく見える。この付近では魔物は滅多に出ないのだろうか?
門番もいない。通りぬけると、木製の小屋がぽつりぽつりと建っている。密集している所もあれば、遠く離れたところに建っているものもあった。
白い砂浜が広がり、桟橋のようなものも見える。
湿気のせいか、それとも村のせいか、どんよりとした雰囲気だ。
「なんだか活気がないですね」
「ね。ここも何かあったのかな」
「想像と違った……」
ヴィルトはキョロキョロと辺りを見渡している。
周囲を確認してみると、網を引く漁師らしき男が見えた。
随分と疲れた様子だ。だが、仕方ないのだろう。
網の中をよくよく見てみると、数匹の魚しか入っていないのだから。
「今日もあれだけ?」
「神の怒りよ……そうに違いないわ」
声の出所を探すと、洗濯物を片付ける女達の声だったようだ。
日焼けした若い女と、恰幅のいい妙齢の女だ。
「ちょっとやめてよ、縁起の悪い。神官サマの怒りなんじゃない?」
「アンタこそなんてこと言うの!」
恰幅のいい女に叱られた女は、耳を塞いで目を逸らしている。恰幅のいい女はため息をついて仕事を再開した。
周囲の反応を見るに、彼女達はいつもあんな感じなのだろう。
「俺、ちょっと話聞いてくるよ」
向かおうとしたセキヤをヴィルトが引き留める。
「待って。俺が行く」
さて、どうしたものか。
まあ相手は女だ。万が一があったとしても、大した問題にはならないだろう。
何かあれば私達が行けばいい。
セキヤと顔を見合わせ、頷いた。
「分かった。任せるよ」
ヴィルトは女達の元へと向かった。
辺りを見ながら聞き耳を立てる。
「あ、あの。少し……時間を、もらいたい」
「あら、見ない顔じゃないか」
「お兄さん、どうしたの?」
第一印象はそう悪くなさそうだ。
「今日、ここに来た。旅人」
「そうなのねぇ。アンタ、体は大きいのに薄っぺらいじゃないか。ちゃんと食べてるの?」
「あ、ああ。食べてる」
……話が脱線しそうだ。
「……じゃなくて、聞きたいことがある」
よし、軌道を戻した。
ふうと息を吐く。彼はなにかと流されやすいから心配だ。
「俺達は、神官を探しにきた。何か知っていたら、教えてほしい」
「神官サマ?」
「神官様、ねぇ。アンタ残念だったわねぇ。今は少しタイミングが悪いのよ」
「そうなのか?」
この調子なら上手く話を引き出せそうだ。
彼らの周囲にはちらほらと人がいる。
他に話を聞けそうな人がいるか見ておこう。
「悪いね、アタシ達から言えることはあまりないのよ」
「いいじゃん、少しくらい。あのね、神官サマは最近落ち込んで――」
「こら! 悪いね、旅の人。気にしないで」
……彼らの周りにいる人の内、オレンジ髪の男。
眼鏡をかけている彼がびくりと肩を震わせたのを、私は見逃さなかった。
挙動不審なその男は、そそくさとその場を立ち去る。
見るからに怪しい。
セキヤに視線を向ければ、彼は頷いて男の後についていった。
「……分かった。その、場所を借りることはできるか? テントを出したい」
ヴィルトはそれ以上は深く聞かないことにしたようだ。
あまり強気に出て印象を下げたくはない。そもそもヴィルトはあまり強気に出られないだろうが……それはいいとして。
「テント? 丁度空家があるから、そこを使ってもいいよ」
「ちょっと!」
妙齢の女に止められるが、若い女は引き下がらない。
「いいじゃないの、ちょっとくらい! ね、お兄さん。そうしなよ! 他の人達には私から言っておくからさ」
「えっと……いいのか?」
妙齢の女はため息をついて首を振った。諦めの表情だ。
「ああもう……分かったわよ。いいよ、使っても。この子の言う通り、今は使う人もいないからね。あっちにある……一番端の家よ。ただ、掃除はしてもらうわ」
妙齢の女は海から一番離れた家を指差した。
「分かった。ありがとう」
ヴィルトは嬉しそうに微笑む。
女達は顔を見合わせると、ヴィルトに笑いかける。
「そうだ、ウチの魚持っていきなよ。旅の仲間はいるかい?」
「あと二人……その、獲れる魚が少ないと聞いた」
「いいのいいの。アタシ達あまり魚が得意じゃないのよ。しっかり食べなね」
「あ、ありがとう。嬉しい」
魚が入ったカゴを受け取ったヴィルトが頭を下げる。
……メルタでの菓子といい、彼は色々と貰ってくる。一体何がそうさせているのか……。
戻ってきたヴィルトはカゴを差し出してきた。
「ただいま」
「どうでしたか?」
「神官様については、あまり話聞けなかった。でも、空家を使っていいって。魚も、もらった」
「……貴方も中々に罪な人ですよね」
「えっ、罪?」
ヴィルトは困惑している。
まあ、その無自覚さが功をなしているのだろう。おそらく。
「気にしないでください。神官の情報については……ああ、丁度戻ってきましたか」
帰ってきたセキヤが片手を上げる。
「ただいま。突き止めたよ」
「では向かいましょうか」
「えっ?」
ヴィルトだけ何も知らないせいで戸惑っている。
ひとまずセキヤに案内してもらいながら説明することにした。
「貴方が話しているのを聞いて、不審な動きをする男がいたんです。今から話を聞きに行こうと思っているんですよ」
「そうなのか……」
「ヴィルトのおかげでもあるよ。ありがとうね」
「よくやってくれました」
「そ、そうか?」
ヴィルトは少しくすぐったそうに俯いた。
顔はよく見えないが、おそらく微笑んでいる……のだろう。
セキヤの案内で辿り着いたのは質素な小屋だ。近付くと独特の臭いがする。これは……絵の具だろうか?
ドアをノックすると、ガタガタと音がして静かになる。
暫く待っても何も起きない。明らかに中にいることは分かっているのに、居留守をしているのだろうか?
もう一度ノックすると、ようやく扉が開いた。
「な、何ですか……?」
オドオドしながら出てきたのは、あのオレンジ髪の男だった。
ふわふわとした少しばかり長い髪を一つに結んだ彼は、気弱そうな顔をしている。
扉の向こうにはキャンバスが見えた。一室をそのまま作業スペースにしているのだろうか。
一番警戒を解けそうなセキヤがにこやかに話しかけた。
「俺達、パノプティスから来た旅人なんだ。神官様に会いたいんだけど、何か知らないかなって」
「し、神官様に会いたい? それは難しいと、思います」
「どうして?」
男は視線を彷徨わせながら手を腹の前で組んだ。
「その……神官様は今、体調を崩されていて……」
「俺が話を聞いた人は、神官様は最近落ち込んでいると言っていた」
「そ、そうなんです。それで近頃は姿をお見せにならなくて……」
男はこくこくと頷いている。
では、あの反応は一体何だったのだろうか。
「見ましたよ。神官についての話をしているとき、貴方が挙動不審になっていたところを」
「えっ……」
「何か他に知っている。そうですよね?」
「そ、それは……」
ますます目が泳いでいる。額に汗を浮かべた彼をじっと見つめると、怯えた様子で息を呑んだ。
「わ、わかりました。言います!」
彼は一歩後退り、ビクビクと震える。
別にとって食おうとは思っていないのだが。
「そ、その……以前、散歩していたらペンダントを拾ったんです。でも、巨大なイカに奪われてしまって……」
彼は目を泳がせながら……というより、私と目を合わせないようにしながら話し始めた。
「その頃から神官様は姿を見せなくなりました。なので、その、それが原因なんじゃないかと……すみません、こんな情報しかなくて」
「いえ、充分です。その巨大イカの居場所については分かりますか?」
「すみません、分からないです……僕は基本的に家にこもっているので。漁に出ている皆さんなら知っているかもしれません、けど……ま、まさか探しに行くつもりですか?」
男は信じられないものを見るような目で私達を見た。
私と目が合った瞬間、目を逸らす。相当怖がられてしまっているらしい。
「そのつもりなんだ。教えてくれてありがとう。もう一ついいかな?」
「なっ、なんですか!? もう他には知りませんよ!」
「そうじゃなくて。俺達、依頼を受けてるんだ」
「依頼……ですか?」
セキヤに目配せされる。
まあ、そういうことだろう。少し離れる。
それで話が聞き出しやすくなるなら、それでいい。
「神官様の姿絵を持ってきてほしいっていう依頼なんだけど、ここは絵の具の臭いがするからもしかしたらって思って」
「姿絵、ですか? その、依頼人は……」
セキヤから視線を送られる。言ってもいいのではないだろうか。
少なくとも依頼人の名を言わないようにとは指示されていない。
頷くと、セキヤは頷き返した。
「火の神官様からだよ。何度か依頼をしたことがあるって言ってたんだ。その画家の名前は知らないそうなんだけどね」
「僕のことだと思います。僕も何度か依頼を受けて、神官様の姿絵を描いたことがあったので……」
「じゃあ、描いてもらえる?」
男は口をつぐんで、ますます目を逸らす。
「描くことは、できます。で、でも、神官様がお見えにならない以上はできません……」
「分かった。じゃあ、まずはそのペンダントを探しに行くよ。取り戻せば神官様も姿を見せてくれるかもしれないでしょ?」
「はい……その、僕からもお願いします。今回のことは、僕のせいでもあるので」
少し違和感を覚える。
何故、それで責任があることになるのだろうか。
話を聞いた限りではただ運が悪かったようにしか思えないが……?
「貴方のせい、ですか?」
「ぼ、僕が拾わなければ巨大イカに取られなかったかもしれないじゃないですか。だからですよ」
「なるほど……」
彼の怯え様のせいで判断がつきにくいが、どうも嘘をついているような気がする。
嘘……というよりは、何かを隠しているような……そんな感じだ。
「分かりました。それでは解決したらまた声をかけにきます」
「はい……描くための準備はしておきます。あ、僕はオルドといいます。ペンダントの件、よろしくお願いします……!」
オルドは深く頭を下げた。その手は震えている。
これ以上はいいだろう。日も傾いてきたことだ、続きは明日になるだろう。
オルドはぺこぺこと頭を下げながら扉を閉めた。
「巨大イカ……魔物でしょうね」
「だろうね。巨大イカについての情報収集は明日にしようか」
「ヴィルト、空家への案内をお願いします」
頷いたヴィルトは意気揚々と先導する。
役に立てていると思っている……のだろうな。きっと。
「掃除はしてほしいと、言っていた」
「……まあ、そう長くはかからないでしょう」
「どんな感じかはわからないけど、無理そうならテントで寝ようか」
やがて着いたのは一軒の小屋。オルドの家とそう変わらない作りの家だった。
「ここですか?」
「一番端って言ってた。ここだと思う」
「誰かいますかー?」
セキヤがノックする。返事はない。
「誰もいないみたい。ここで合ってるみたいだね」
鍵はかかっていない。開けると、少し埃っぽいものの散らかってはいない部屋があった。
真ん中には囲炉裏があり、布団が敷いてある。こぢんまりとした家だ。
「これくらいなら十分でしょう」
「よし、掃除しよう。俺が奥の方をやるから、ゼロとヴィルトは手前側をお願い」
「分かりました」
頷いたヴィルトと共に掃除を始める。
普段の慣れがあるからか、セキヤの手際が良い。あっという間に掃除が終わった。
長い間干されていないらしい布団は少しカビ臭く使うのを躊躇う。
「……どうします?」
「畳んで隅にでも置いておこうか。寝袋で寝ることにしよう」
「そうしましょうか」
「スープ作っておく」
私達が寝袋を並べ始めると同時に、ヴィルトが囲炉裏でスープを作り始める。
貰ってきた魚を手際よく捌き、鍋に入れていた。何匹かは焼くようだ。
「手慣れていますね」
「魚は、よく食べていた」
「たしか貴方の故郷は海辺でしたか」
頷くヴィルトの隣に座る。
「そう。島に住んでいた。ここからあまり遠くない……と、思う」
セキヤも隣に座り、パンを炙り始めた。
今日の夕食は魚のスープと焼き魚、パンだ。
焼いただけの白身魚は柔らかく美味しい。
「魚って久々に食べたけど美味しいね。やっぱり新鮮だからかな」
「中々食す機会がありませんでしたからね」
「暫く作っていなかったからどうなるかと思ったけど……美味しくできてよかった」
ぐっと体を伸ばす。明日は早くなる。もう休んだ方がいいだろう。
「少し早いけど、体拭いてもう寝ようか」
「そうしましょう」
あくびをしたヴィルトが目元を擦る。
「食べると……眠い……」
「いつも通りだね」
ふふ、と笑いが溢れる。
もう限界そうだ。今日はこのまま寝て、明日の朝起きたら体を拭くことにしよう。
うつらうつらしているヴィルトを寝袋まで連れて行き、今日を終えた。
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