第14話 疑惑
ヴィルトの案内で向かった宿は、神官が薦めるだけあってそれなりに質の高い所だった。金額も良心的だ。
部屋は三人で使うには少し狭いが、そもそも一人か……精々二人までを想定している部屋なのだろう。
ベッドに手を置き、弾力を確かめる。
「まあまあですね」
「家のと比べるとどうしてもね。アレ、かなり良いやつ選んでたし……あー、やっとベッドで眠れる」
ぐぐっと体を伸ばしたセキヤは一気に脱力した。
既に眠たそうなヴィルトの肩を揺らす。
「寝るのは先に体を拭いてからにしてください」
「ヴィルト、水お願い」
セキヤがリュックから折り畳み式の桶とタオルを持ってくる。
ハッとしたヴィルトは首を振る。
「すまない、寝ていた」
「今日もかなり歩いたもんね。ほら、いくよ」
ヴィルトとセキヤが桶に手をかざす。
ヴィルトの魔法で生み出された水がセキヤの魔法で温められ、湯気を立てながら桶に溜まっていく。
「よし、これくらいかな」
「ヴィルト、先に使っていいですよ。貴方もう限界でしょう」
ヴィルトは首を振るが、今にも瞼が閉じそうだ。明らかに限界が近い。
大方、あまり働いていない自分は最後に……とでも思っているのだろう。
「いいですから、先にどうぞ。待っている内に寝られても困ります」
「……分かった」
ヴィルトはマフラーを外す。口元には黒い模様が入っている。
ちらりとその模様を見て、背を向けた。セキヤもヴィルトに背を向けて、荷物の整理を始めている。
(あの模様について……いつになれば、話してくれるのか)
ヴィルトの口元に入っている黒い模様。蛇のようにも見えるそれ。
以前、一度だけヴィルトの体にも黒い模様が続いているのを見たことがある。まるで根を張るかのように、まとわりつくかのように、ヴィルトの体に刻まれている黒い模様。
それについてヴィルトはやはり触れてほしくないようで、私達の前でさえあまりマフラーを取ることがない。
(次に機会があれば……多少無理にでも聞いた方がいいか? いや、しかし……)
「そうだ、ここで良い石が見つかったらもう一度御守り作ってあげるよ」
セキヤに声をかけられたところで、このことについて考えるのをやめた。
今はこれ以上気にしても仕方がないだろう。
「……以前の物はあの女のせいで失くしましたからね。くれるというならもらいますよ」
「素直じゃないなあ。ま、俺があげたいだけだからいいんだけどね」
へらりと笑ったセキヤはバッグから小さなケースを取り出す。蓋を開けると、中には銀色のリングが一つ入っていた。
シンプルなデザインのリングだが、よく見ると繊細な植物のような模様が刻まれている。魔石をはめる予定であろう窪みが寂しげだ。
「今度は指輪ですか」
「そ。右手につけたらどうかなって」
「右手なら邪魔にならなさそうですし、構いませんよ」
セキヤはリングを手に取ると、部屋の明かりにかざす。リングは光を受けてキラリと輝いた。
「そうだ、サイズ合わせてみないと。多分合ってると思うけど……」
セキヤは私の右手をとり、薬指にリングを通した。ピッタリとはまったそれを見て、セキヤの口元が綻ぶ。
「よしっ、良い感じだね。とびきり良いのに仕上げるよ」
「ええ、待っています」
リングを外したセキヤは、ケースに戻しながら笑う。
閉められた窓の外では月が昇り始めていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
月が昇りきり、だんだんと傾き始めた頃。
ふと、目を覚ました。
体を起こすと、違和感を覚える。
一人分の寝息しか聞こえない。
魔導ランタンに手を伸ばし明かりをつけた。
「……ゼロ?」
ベッドにいるのはヴィルトだけだった。
急いでベッドから降り、部屋を見渡す。
開いた窓から生温かい風が吹き込んでいた。
(窓は閉まっていたはず。もしかしてここから出た? でも、どうして……)
ヴィルトを振り返る。
ここがパノプティスであれば、叩き起こしてでも一緒に連れていくところだが……ここはメルタだ。パノプティス程警戒する必要はない。
(少しなら、目を離しても大丈夫だよね。パノプティスよりはずっと安全だし……)
窓に足をかけ、そのまま庭に飛び降りる。
わずかに草が揺れる音がしたが、そう大きな音にはならなかった。ゼロならもっと静かに降り立てられるだろう。気付かないわけだった。
(一体どこに……何があったの?)
目に魔力を集め、辺りの魔力を確認する。ゼロのものらしき魔力は何かを探しているかのように曲がりくねって続いている。
絡まった紐を端から辿るように、紫色の魔力を丁寧に追っていく。これが最も確実な方法だ。
追い続けた魔力は、随分と町の中心から離れた所にまで続いていた。
中心部とは様変わりしていて、全体的に寂れた印象を受ける。言ってしまえば……ボロボロなのだ。
(なんでこんなところまで……何かから逃げていた? そうなら、そもそも宿から出たのがおかしい)
ゼロならしないであろう行動。何かを探すような痕跡。
一つの可能性が浮かび、首を振る。
「……まさかね」
何度目かも分からない角を曲がった時、見慣れた後ろ姿を見つけた。強張っていた体から力が抜けていくのを感じる。
「やっと見つけた。こんなところにいたんだね、ゼロ」
声をかけて近寄る。鉄臭い、嗅ぎ慣れた臭いが漂った。
ああ、やっぱりそうなのか。そうでなければ良かったのに。
「お前か」
キッと、後ろ姿を睨みつける。
よく見てみれば、あいつの足元には小さな子供がぐったりと倒れていた。
子供に生えているボサボサの尻尾が血溜まりに浸かっている。
振り返ったあいつの目は、俺の想像通り見開かれていた。
あは。
馬鹿にしているかのような笑い声が、あいつの弧を描いた口から漏れた。
「起きるとは思わなかったなぁ。窓、閉めておいた方がよかったかも?」
あいつは……『悪魔』は、笑いながら左手に握ったナイフをくるりと回した。
その姿を睨みつけたまま、一歩、また一歩と近づく。
「何をしている? その子は……」
「ああ、これ?」
『悪魔』は子供を見下ろして、喉を鳴らすように笑う。
ナイフを袖に収めた『悪魔』は片腕を広げて俺を見た。
「見てわかるでしょ? 亜人の子供だよ。獣系のね」
「なぜ殺した?」
「だーかーら、獣人の子供だよ。それも貧民。いてもいなくても変わらない存在……別に殺したっていいでしょ? 誰も困らないよ」
『悪魔』はやれやれと首を振る。
こいつは、本気でそう言っているのだろうか? だとしたら……ああ、やっぱりこいつはゼロにとって毒でしかない。
「それは理由にならない。それに、その子の手を汚さないで。前にも言ったはずだけど?」
「だからさぁ、百人も百一人も変わらないって言ったじゃん。もう忘れちゃったの?」
「うるさい。あの子の体で好き勝手なことしないでくれる?」
『悪魔』はわざとらしく自分の体を抱きしめ、震えた。
どこまでも苛立たせてくれるものだ。
「わ〜、こわいこわい。自分も好き勝手しておいて、よく言うよね」
ぴくりと、眉間が動く。
俺が好き勝手している? この『悪魔』は何を言っているんだ?
「何の話?」
「今、君が作ってるモノだよ。あの指輪。あれも『鎖』なの?」
「鎖?」
あの指輪が鎖って、どういうことだ?
『悪魔』は目を細めて俺を見つめる。
そして人差し指を立てると、くるりと回した。
「僕、聞いちゃったんだよ。この前まで付けてた銀色のイヤーカフ……それが『鎖』だって、件の悪魔が言ってたらしいんだよね。なんだか不穏な響きじゃない? 『鎖』だなんてさ」
……鎖。
その意味を考える。
俺がゼロにこの手の魔道具を渡しているのは、ゼロが精神に干渉を受けにくくするためのお守りとしてだ。
そして、今日のように、あの日のように……ゼロの行方が分からなくなった時に魔力を辿りやすくするためでもある。
それを『鎖』と呼んでいる?
だとしたら、馬鹿な話だ。
全てあの子を守るための物だというのに。
「そもそもの話、おかしいと思わない?」
「……何が?」
「君とゼロの出会いについて」
『悪魔』は目を閉じる。あの日のことを思い出そうとしているのだろうか?
……『悪魔』は俺とゼロが出会った時には、もう存在していた?
嫌な考えを振り払う。
「どうしてあの日、あの時、会いに来たの? それもわざわざ森に面した一室まで」
森に面した一室。合っている。
この『悪魔』はゼロの記憶を辿ることも出来るのだろうか。それとも本当に……あの時には存在していて、ゼロに巣食っていたのだろうか。
「おかしいよね。どうして知ったの? あんな角の部屋にゼロがいること。ゼロという存在さえ表に出ていないのに!」
『悪魔』は両腕を広げて言う。
一体、どこまで知っている?
「偶然だなんて言わないよね? 泣く子も黙るヴェノーチェカ家の、それも本邸だよ? 偶然迷い込むには無理がある立地だしさ」
「お前は……いつからその子に取り憑いている?」
「話を逸らさないで。君には関係ないよ」
すっと顔を近づけてきた『悪魔』の赤い目に、俺の顔が映る。
その表情は固く重苦しい。それはそうだろう。こんな腹立たしい『悪魔』と会話しているのだから。
「無いものとされてる存在に接触して、友達になって。どうするつもりだったの? 何か使い道があった? それとも誰かに頼まれた?」
「お前に何がわかる……」
拳を強く握りしめる。
『悪魔』は肩を震わせて笑っていた。
「え〜? わからないから聞いてるんだよ。それくらい考えなくてもわかるでしょ?」
クスクスと笑い続けていた『悪魔』は、その笑みを静めて顔を遠ざけた。
「あの『鎖』といい、あまりに不審なんだよね。ゼロはそんな君を信頼しているようだけど……僕は疑わせてもらうよ」
好きに疑えばいい。
何も、この『悪魔』からの信頼を得たいわけではない。
ただその凶行を止めたい。それだけだ。
黙り込む俺を見てため息をついた『悪魔』は、肩をすくめて首を振った。
「だんまりか。まあいいよ、端から教えてもらおうなんて思ってないし……おやすみ、セキヤ。またその内に」
『悪魔』は俺の横を通り過ぎていった。
握り締めた拳がじくりと痛む。食いしばった歯がギリリと音を立てた。
震えた息を吐き出し、舌打ちをする。
「……何も知らない、悪魔風情が」
地面に横たわる獣人の子供に触れる。
想像していた通り、すでに冷たくなっていた。
恐怖が滲んだ目を閉じさせ、祈る。
どうか、この子の魂が無事に来世へと辿り着けますように。
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