鉱山の町 メルタ

第11話 魔物

 翌日。

 私達三人は、町の正門に立っていた。

 ここ、パノプティスはかつて世界中の犯罪者を収容する監獄だったらしい。

 今となっては、この威圧感ある二重の門だけがその名残となっている。

 図書館の受付嬢のように、布で口元を隠して目を閉じた真っ白な男が門番をしている。


「住人カードをお預かりします」


 パノプティスに入る場合は、それなりの手続きが必要になる。だが、出る分には単純だ。

 門番に住人カードを渡す。ただそれだけで外に出ることができる。


 カードを差し出すと簡単な確認作業だけが行われた。

 音を立てながら門が開いていく。整えられた一本の道と草原、遠くには森が見えた。

 外に出るなり、セキヤが声を上げる。


「暑っ」

「夏ですからね、今」

「……暑いのか」


 じりじりと照りつける太陽は小さく感じる。どうやら中で見ていた偽物の太陽は本物よりも少し大きく映っていたらしい。

 暑さに強く反応したのはセキヤだけで、ヴィルトはそもそも気温の変化に気づいていないようだ。


「そういえばヴィルトはそれがあるんだったね」


 セキヤはヴィルトの服をじっと見つめる。

 特殊な製法で作られているというその衣は、ある程度の環境変化に順応させてくれるという魔道具のような一品だった。


「俺も熱には強い方だと思ってたんだけど……やっぱり中と比べると全然違うよ」


 セキヤにつられ、振り返る。

 完全に覆われたドーム状の町。こうして外観を見るのは久し振りだ。


「バテる程ではないでしょう? ほら、行きますよ」

「……貸そうか?」

「いいよいいよ、ヴィルトが着てて」


 肩を落としたセキヤは、ヴィルトの申し出を断って歩きだす。

 土を押し固めた長い道は東へと続いている。西と東には森が見え、南には平原が続いていた。


「えっと、まずはメルタでいい?」

「道も整備されていますし、一番行きやすいのはそこでしょうね。より暑くなりそうですが」

「メルタ……鉱山の町?」


 ヴィルトが首を傾げる。

 メルタ。パノプティスの東に位置する町だ。


「そう。冬でも暖かいらしいけど、その分夏は特段暑いんだって」

「様々な金属が豊富な分、各町への道がそれなりに整備されているのも特徴ですね。今後を考えても、やはりメルタから行った方がいいかと」


 セキヤが頷く。

 行き先が決まれば、後は進むだけだ。

 勿論、危険に備える必要はあるが。


「基本は道なりに。魔力溜まりか魔消渦があれば迂回しましょう」

「了解。一応、最初に二人で見ておこうか」


 魔力濃度が一定に整えられていたパノプティス内とは異なり、外は常に変動し続けている。

 極端に濃い場所では強力な魔物が出没し、魔力酔いを起こすこともある。反対に薄い場所では魔力欠乏によって気を失う可能性がある。どちらにしても、生物にとっては過酷な環境だ。


 目元に魔力を集め、森をじっと見つめる。視界全体に赤い煙が漂って見えた。


「ここは元々温暖な気候のうえ、今は夏……」

「火の魔力は濃い傾向になる?」

「ええ、そうですよ。教えたことをよく覚えているようで何よりです」


 ヴィルトを褒めつつセキヤを見る。じっと森を見ていた彼は、少し眉を下げてこちらへ顔を向けた。


「うん、それを考えてもちょっと濃度が高いね。迂回するレベルではないと思うけど」

「やはりそうですか。ただ、この町が理想的過ぎただけで、そう珍しくない程度でしょうね」


 ただ、何も問題がないかというとそういうわけではない。私達は運がいいだけだ。

 火の魔力に適性があるセキヤ、特殊な衣を持つヴィルト。


(私は……まあ、体は丈夫な方だと自負しているから問題ないとして。多くの人は軽い魔力酔いを起こしそうなレベルか)


 ふと、自分の体質について考えた。

 思えば病気らしい病気にかかった覚えがない。魔力酔いを経験したのは、パノプティスまで向かう際に一度だけ……光の魔力溜まりに近付きすぎてしまった時くらいだ。

 まあ、健康であることに越したことはない。


「魔物も出てきそうだね。気をつけて進もうか」


 私が先頭を、続いてヴィルト、セキヤの順で並んで歩く。

 森に入って暫くは順調に進んでいた。ふと、気配を感じ立ち止まる。


「魔物がいます」


 袖からナイフを取り出し、小声で呟く。

 セキヤは銃を構え、ヴィルトは警戒を強めた。


「道を挟んで両端、一体ずつ」


 茂みを睨みながら伝える。

 程なくしてカサカサと茂みが揺れる音が耳に届いた。

 揺れを視認すると同時に、ナイフを持つ手に少し力をこめる。


 黒い影が飛びかかった瞬間、その小さな体を目掛けてナイフを振り抜く。大きく切り裂かれた体は、かろうじて繋がったまま地面に落ちた。赤いネズミのような魔物だ。

 パンッと弾けるような乾いた音が鳴る。振り向くと、道に赤ネズミがぐったりと倒れていた。


「意外と出るの早かったね。こんなものだったっけ?」

「どうでしょう……? まあ、この濃度ならこれくらいじゃないですか?」


 ナイフの血を拭き取る。

 ヴィルトは警戒を解いて深く息を吐いた。


「魔物、どうする? 持っていく? このまま?」

「特に使い道もないでしょう。置いていきますか」

「魔物の肉はあまり食べたくないもんね。このサイズじゃ魔石もないだろうし」

「そうか」


 ヴィルトは頷くと、地面に穴を掘って魔物の死体を埋め始めた。

 セキヤと顔を見合わせ、しゃがむ。


「手伝いますよ」

「穴、これくらいでいい?」


 魔物を埋め終わると、ヴィルトは落ちていた枝の土を払って突き刺した。

 少し目を閉じたヴィルトは、立ち上がると頷いた。


「待たせてすまない。行こう」

「そう時間もかかりませんでしたし、構いませんよ」

「さ、野営できそうなところまで進もっか」


 森を進む。

 あまり変わりない景色だが、二人と話していると気にならないものだ。

 結局、この後は魔物と出くわすことなく一日を終えた。

 どうやら最初の二匹とやたら早く遭遇しただけらしい。


 私とセキヤでテントを張っている間に、ヴィルトが食事の準備をしてくれた。

 焚き火を囲んで座る。今日は野菜スープとパンだ。

 魔物ではない普通の動物を見つけたら狩ってみようか。そう思いながらスープを口にする。


「今日の見張りは俺がするよ」


 パンをちぎりながらセキヤが言う。


「任せます。明日は私ですね」

「じゃあ、俺が明後日か」


 ヴィルトはやる気満々といった風に言うが、任せるわけにはいかない。

 いざという時の戦闘能力もそうだが、何より……彼は睡眠欲が強い。一晩中寝るなというのは酷だろう。


「ヴィルトはいいよ。その代わりこれからも食事の準備を任せてもいい?」

「そう、か。わかった」


 ヴィルトは渋々ながらも頷いた。

 役に立ちたいと思っているらしいが、こういったことには適材適所というものがある。

 そもそも、即座に怪我を……怪我に限らず様々なものを治癒できる彼の力には十二分に助けられている。


(そこまで気にすることはないだろうに)


 そう思いながら、スープを飲み干した。



 食事を済ませ、寝袋に入る。

 体を拭きたいところだが、まだまだ道のりは長い。毎日そうするわけにもいかないだろう。

 少し慣れないのは、パノプティスでの生活に慣れきったからだろうか。


 パチパチと鳴る焚き火の音が心地良い。

 そういえば、あの日々もこの火の音の中で過ごしていた。

 そっと、昔の記憶を掘り起こす。


 十五年前の冬。

 一面の雲と降りしきる雪しか見えなかった窓に、一筋の光が差した。


 暖炉で温められた部屋の中、窓に釘付けになったことを覚えている。

 読みかけの本はそのままに、格子で切り取られた青空を首が痛くなりそうなほど見つめていた――


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


(すごい。この本の空よりも、ずっとずっと青い空……お兄様は僕やお兄様の髪と同じ色だって言ってたけど)


 ふと兄の言葉を思い出し、引き出しから手鏡を取り出す。

 一房だけ水色に染まっているピョンと跳ねた前髪を摘んでみる。

 鏡に映る自分の髪と空とを見比べ、やはり空の方が綺麗だと思い直した。

 開かれたままの本には、くすんだ青色と灰色の雲が描かれている。


(もしかしたら、お日様も見えるのかもしれない)


 感じたことのない胸の高鳴りに、好奇心を刺激される。

 どうにか見てみようと壁に手をついて、高い窓を見上げる。けれども、潰れた四角の空に本物の太陽は見えなかった。


「んん、見えない……もっと上にあるのかな」

「何を探してるの?」

「うわぁっ!?」


 ひょっこりと、突然覗き込んできた赤髪の少年に驚く。

 後ろによろめき、そのままぺたんと座りこむ。赤髪の少年は青い目を丸くさせて「大丈夫!?」と声をかけてきた。


「ごめん、驚かせちゃった。大丈夫だった? 怪我はしてない?」

「だ、大丈夫、です。ちょっとびっくりしただけで……えっと、その、ケガもない……です」

「そっか、よかったぁ」


 少年はホッと胸を撫で下ろし、僕を見下ろした。


「話しやすい喋り方でいいよ」


 そう言って笑う少年に、心臓を落ち着けながら頷いた。


「喋りにくいから、窓を開けてほしいんだけど。いい?」

「えっと……うん、いいよ。ちょっと待ってて」


 窓は高くて、そのままではとても届かない。

 テーブルに登り、手を伸ばして、どうにか窓の縁によじ登る。

 窓を開けようとした時、目下に広がる景色に目を奪われた。


 初めてそこに森があることを知った。

 葉に積もった雪が溶け落ち、日光を浴びて輝く木々。

 絵本の中でも見たことがない景色を、今日だけで二度も見ることができた。初めて絵本を見たときのような高揚感が胸を満たしていく。


 どれだけの時間、景色を見ていたのだろう。

 コンコンと窓を叩かれてハッとした僕は、急いで窓を開けた。瞬間、氷のように冷たい風が流れ込み、頬を撫でていく。


「わっ、つめたい!」

「ははっ、そっちは暖かそうだもんね」

「うん。外がこんなに冷たいなんて、初めて知ったよ」


 いくら部屋を暖められているとはいえ、寒いものは寒い。

 ふるりと震えた僕を見て、少年は心配そうな顔で口を開いた。


「開けてほしいって言ったのは俺だけど……大丈夫? 寒すぎるなら、閉めたほうがいいよ」

「ううん、毛布を持ってくるから大丈夫。もう少しこのままがいいな」


 この新鮮な感覚をもっと味わいたい。

 そう思いながら、いざ降りようと下を見たとき、ふと兄の言葉を思い出した。


「あっ! そういえば……お兄様に、テーブルの上に乗っちゃダメだよって言われてたんだ。僕、約束破っちゃった」

「じゃあ、これは二人だけのヒミツってことにしようよ。俺はセキヤっていうんだ」

「僕はゼロ」


 にっこりと笑うセキヤの髪が風に揺れる。

 彼の髪はまるで絵本にある太陽のようで、瞳は海に似ていた。まるで自分が夢の世界にいるんじゃないかとさえ思えて、気づいたときには口から言葉が出ていた。


「セキヤって、お日様みたいだね」


 言い終えた途端、なんだか恥ずかしさがこみあげてくる。

 キョトンとしたセキヤは、笑って人差し指を立てた。


「そう? じゃあ、ゼロはお月様! キラキラしてて綺麗だからね」

「そ、そうかな?」

「ゼロは綺麗だよ。ただ光ってるだけの月なんかより、ずっと」


 僕が笑うと、セキヤも笑う。

 日が沈むまで、僕達はたくさんの話をした。

 青空の下に広がる森が風に揺れる。


 木々よりも高い窓を訪れた、初めて見る髪と目の色をもつ人間。お兄様以外の、初めての話し相手。

 全く知らない『外』の話。窓から入り込む冷たい風。肺を満たす『外』の空気。

 初めてだらけの宝物は、僕達を友人に変えるには充分な贈り物だった。


 赤く染まり始めた空の下、セキヤはひとつの伝説を語った。

 遠い昔、滅びかけた世界を救うために六つの星に願いをかけた聖女の物語。


「それから、空を流れる星に願い事をすると叶うっていう言い伝えが生まれたんだって」

「すごい……僕と同じくらいなのに、お兄様みたいになんでも知ってるんだね。いつか、僕も分かるようになるのかな」

「勿論! ねえ、もし伝説みたいに願いが叶うとしたら、何を願う?」


 願い。その言葉を心の中で噛み砕く。

 まず浮かんだのは、目の前の彼や兄のような物知りになりたいというものだった。けれども、それよりもやってみたいことが一つ浮かぶ。


「僕は……セキヤがいる場所を歩いてみたいかな。セキヤは?」


 流れる雲が空を覆い尽くそうとする中、柔らかい日差しのような笑顔と共に格子の隙間から手が差し出される。それに応えるように、僕も手を伸ばした。触れ合った指先を熱が伝う。


「俺の願いは、ゼロを幸せにすることだよ」


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 ――いつの間にか、眠っていたらしい。

 隣からはヴィルトの寝息が聞こえる。


 夢の続きを思い出す。

 あの後……どうなったのだったか。

 深まっていった交流。その先で何があったのか。


 あの屋敷から逃げ出した後、パノプティスまでの長い道を歩いた。その間の記憶が、どこか朧げで。

 ただ一つだけ覚えているのは、兄に裏切られたこと。ただそれだけだった。


 震えた体を抱きしめる。一体何を思って兄はあんなことをしたのだろうか。経験を重ねた今でも分からなかった。


「貴方は今、どこにいるのでしょうか……兄様」


 この髪と目の色彩を、隠すべきか。

 旅の準備をしている間、考えていた。

 けれども、結局何もしないことにした。

 もし兄が私を見つけたとして、会いにきた時……私は、何を問うのだろうか。

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