間話 とある洞窟での話
凪いだ水面を覗き込む。
薄暗い洞窟の中。清らかな水を湛えた金属製の杯は哀れな女の姿を映し出していた。
「……もう死んだのか」
折角、私が契約を交わしてやったというのに。なんともくだらない結末になったものだ。
あの生まれ変わりが関わっている時点で彼女の思惑通りにいくことはないだろうと思っていたが、予想よりも早く事が片付いたようだ。
(しかし、まさか自ら最後の一押しをするとはなぁ。奴も万能ではないというわけだ)
おかげで私達のシナリオも軌道に乗った。
さて、これ以上見ていても仕方がない。そろそろ水鏡を消そうか。
そう思ったところで、ふわりと花の香りが鼻先をくすぐった。
「ラーナス、ラーナス。何を見ているの?」
金髪が視界に入り込む。耳元でパタパタと羽ばたくボロボロの黒い羽を手で追いやりながら、その顔を見上げた。赤い瞳に私の顔が映り込んでいる。
「契約した人間の末路だ。お前も見てみるか、クレスティア」
「見る!」
クレスティアは目が眩むような笑顔で水鏡を覗き込む。
「あっ。この子、クレスティアも見てた子なの。大きな愛に気付けなかった子。自分のことさえ愛せなかった子……ラーナスがお手伝いしてあげたんだね」
しかし、その笑顔は瞬きもしない内に消えた。眉は下がりきり、目が潤む。
クレスティアも見ていたのか。まあ、見ていてもおかしくない。
彼女は愛や恋といったものに強く惹かれる。それが性愛か友愛かは関係ない。
だからこそ、あの女のようなパノプティスで生まれ育った『補充要員』は彼女の目に留まったのだろう。
ただ人口を増やすためだけに生産された命。最低限の愛情さえも与えられない存在。彼女にとっては泣いて助けを求める子羊だ。
「でも、死んじゃったんだ。かわいそう……最期までかわいそうな子。きっと来世では幸せになれるよ」
「無理な話だ。此奴の魂は『彼ら』に捕まったようだからな。来世も何もない。今頃『彼ら』の装飾品にでもされているだろう」
『視た』情報をくれてやれば、クレスティアは口元に両手を当てて目を丸くさせた。
ころころと表情が変わる奴だ。見ていて飽きない。
「わあ、本当に本当にかわいそうな子。クレスティアも祝福してあげた方がよかったかな?」
「いらん。お前の祝福なぞ、あったところで何にもならないだろう」
「むむ……そうかなあ。ラーナスが言うならそうなのかも?」
今度は頭に手を当てて、うーんと考え込み始めた。
何も、彼女の祝福が弱いというわけではない。
この世界において、彼女は千年ほど前に善意から祝福を授けた。結果、祝福を受けた機械人形は一つの町を滅ぼすに至った。
数百年前にも授けていたか。あれも、巡り巡って一つの村が滅ぶという結末を迎えた。
これが全て善意からの行動だというのだから、私よりもタチが悪いと言えよう。
(大体、お前は考えなしに祝福を与えすぎる。彼が楽しめなくなったらどう責任を取るのやら)
それとなく止めるにも限度がある。ため息をついたところで『彼』の声が洞窟に響いた。
「何をしているんだい?」
「セイム、セイム! あのね、ラーナスとお話してたの。クレスティアの祝福はダメな祝福なのかなって」
パッと振り返ったクレスティアは、ぺたぺたと走っていく。
セイムの姿はあまりに浮いていた。
毛先を水色、赤、緑、黄色とカラフルに染め上げられた白髪もそうだが、こんな洞窟に赤いスーツだ。浮きもするだろう……だからといって私達が浮かないというわけでもないが。
それよりも。一つ聞き捨てならない言葉があった。
「駄目とは言っていないぞ、クレスティア」
やり過ぎるのがいけないと、ただそれだけなのだ。
セイムは笑顔のまま私を見つめる。全てを見透かされているような心地だ。
いつもながら、閉じたままでよく見えるものだと思う。ただ視界に頼る必要がないだけといえばそれまでだが。
「……なるほど。ラーナスのオモチャで遊んでいたんだね」
「そう、そうなの。それでね、クレスティアのねっ」
クレスティアの頭に手を置いたセイムは笑みを深めた。
しかし、オモチャとはよく言ってくれる。
これでも、とある神が持っていた……いわゆる神器の一つなのだが。
だが、彼の言う通り今となっては私のコレクションでしかない。オモチャも同然といえば、そうなのだろう。
腕を振り、杯を収納する。
「はは……君の祝福は面白いものだよ。これからもその祝福で掻き回してくれるかい?」
「はーい。クレスティア、がんばるね。掻き回す? は、よく分かんないけど」
クレスティアは首を傾げながらも頷いた。頭を撫でられたクレスティアは、くるくると回って上機嫌そうだ。
まったく、能天気な奴だ。
「それで、お前は何をしていたんだ? 暫く姿を見せていなかったが」
「少し様子見にね。それなりに面白そうな集落があったから、育てているところさ……ふふっ」
面白そうな集落、か。
また何かをやろうとしているのだろう。今度はどうなるのやら。
彼の暇潰しに付き合わされるその集落とやらは、どうも運が悪いようだ。
「私達は必要か?」
「いいや、いらないよ。僕だけで充分さ。君達は好きにするといい」
そう言うなりセイムは姿を消した。
返事も必要ないということだろう。
「行くぞ、クレスティア」
未だ回り続けているクレスティアに声をかける。
ようやく足を止めた彼女は、ぺたぺたと足音を立ててこちらに近づいてきた。
「はーい。面白いものがあるといいね、ラーナス」
「ああ」
まずは機械人形の様子でも見に行ってみるか。
人がいなくなった今、果たしてどうなっていることやら。
クレスティアと共に空間を渡る。
ああ、彼の目に適う劇になればいいのだが。
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