第10話 旅
図書館を出た時には太陽が傾きかけていた。
胸元に触れると服越しにペンダントの硬さを感じる。
これで旅に出ることが確定したわけだ。
あの香水については……アシックが管理すると申し出た。
何が起きるかもわからないあの香水を旅に持っていくわけにもいかないだろう。セキヤの勧めもあり、託すことにした。
「さて、旅の準備からですね」
「食料でしょ、テントでしょ……たしかここに来る時に使ったのが倉庫の奥にあったような気がするけど、どうする?」
長らく放置していた旅道具か。
セキヤとヴィルトが使っていたものがあったと思う。私は町に来るとき、テントや寝袋の類は使っていなかった。
……私としては構わないが、セキヤとヴィルトは気にするだろう。かといって、私一人が新品を使うのもそれは少し気が引ける。
それに、資金はそれなりにあったはずだ。
「長旅になりますし、新調しましょう」
「じゃあそうしよっか。あっ、魔力シリンダーも買っておかないと」
セキヤが使う銃用のシリンダーは、この町でしか造られていない。そもそも魔導銃自体がこの町で開発されたものだ。最先端の武器とも言える。
商業区に向かった後は、必要な物を買い揃えていった。
三人用のテントと寝袋、コンパクトな調理道具と調味料。セキヤが使う魔力シリンダーも複数。それから、ヴィルト用の応急セット。
大きなリュックに詰め込んでみると、なかなかに重たい。
「うわ、ずっしりくるね」
「これだけあれば充分でしょうけど……ヴィルト、本当に大丈夫ですか?」
リュックを背負ったヴィルトは、こくりと頷いた。
道中の戦いは私達が担当することになる。邪魔になってもいけないからと、彼が荷物運びを申し出ていた。
「まあ、疲れたら俺が代わるよ。基本後方から支援するだけになるだろうし、背負ってても問題ないからさ」
そう言ってセキヤは笑いかけた。
『俺も体力はつけておきたいから』
「わかったわかった。でも無理はしないでね」
強く頷いたヴィルトは、リュックを背負い直した。やる気は充分のようだ。
空はオレンジ色に染まっている。そろそろ彼女も活動を始める頃だろう。
顔を見合わせた私とセキヤの隣で、ヴィルトが首を傾げた。
「丁度いい時間ですし、彼女に会いに行きましょうか」
「ああ、そういえばプレゼントを用意するって言ってたね。明日には出発したいし、行こうか」
セキヤの言葉で思い出したのだろう。ヴィルトも納得した顔をした。
ちらほらと通行人が増える中を三人で歩く。
カメリアの家に着くなり、コンコンとノックした。前回と同じように近くから声が聞こえてくる。
「はいはい、どちら様かな?」
扉が開き、カメリアが顔を出した。
「やあやあ、流石行動が早いねえ。さ、とりあえず入ってくれたまえ」
促されるまま家に入ると、カメリアは机の上に置いてある木箱を持ってきた。両手に収まるサイズだ。
「もう図書館には行ったようだね。その大荷物……旅に出るのかい?」
「ええ。少々長旅になります」
「三人で……だよねえ。なら丁度いい」
カメリアは木箱から黒いチョーカーを取り出した。金属製の花のような飾りに透明な魔石がはめられている。
「これは私が作った魔道具でね。元々は私の『恋人』のためにと思って作っていたものなのだが……」
チョーカーを自分の首に巻いたカメリアは、ニヤリと笑った。
「まあ、こういう代物だよ」
口を閉じたカメリアから、落ち着いた男の声がした。
一瞬身構える。セキヤはぽかんと口を開け、ヴィルトは目を丸くしていた。
カメリアはくっくっと笑ってチョーカーを外す。
「装備した者が魔力を通している間、思い浮かべた言葉を発声してくれる代物なんだ。彼の声をイメージして作ったものだから違和感があるかもしれないが、旅をするというなら充分役立つだろう」
そう言って、カメリアはヴィルトにチョーカーを差し出した。
後ろを向いたヴィルトはマフラーをずらすと、首にチョーカーを巻きつける。
「本当にこれで……っ!?」
魔力を流してみたのだろう。ヴィルトはハッとして首元に手を添える。
これはかなり助かる代物だ。何せ、ヴィルトは今まで筆談と簡単なジェスチャーでしか意思の疎通を行えなかった。
……もっとも、彼は声がない分かなり顔に出やすいところはあるが。
セキヤと顔を見合わせて頷く。
「よかったね、ヴィルト」
「ありがとうございます、カメリア。これで意思の疎通もスムーズになりますね」
あー、あー、と何度か発声を繰り返したヴィルトは、カメリアの手を両手で握る。その目には涙が滲んでいた。
「ありがとう。ありがとう、カメリアさん。もうずっと喋れないんだと、そう思っていた。ありがとう」
キョトンとしたカメリアは、そっとヴィルトの手を外させながら笑いかけた。
「喜んでもらえたようで何よりだ。一応丈夫に作ってあるが、取り扱いには注意してくれよ?」
カメリアは『恋人』の方へ近づきながら手を振る。
「さて、私は今日の作業に戻るとするよ。戻ってきた時には顔を出すといい。お茶くらいは用意しよう」
ヴィルトは深く頭を下げた。
そんな彼をセキヤが微笑ましそうに見ている。私も、感激している様子のヴィルトを見て嫌な気はしない。
正直、気にしてはいた。普段であれば彼が書き終わるのを待つだけの余裕はある。だが、今後はそうもいかないだろう。
緊急事に声を出せるというだけで、いくつかの心配事は無くなったと言ってもいい。
……なにより、彼が嬉しそうなだけで十二分に価値はある。
「では、帰らせていただきます。またいつか」
「次来る時はお茶請けに良さそうな菓子でも買っておくよ」
ひらひらと手を振るカメリアに背を向け、家を出る。背後で鍵がかかる音がした。
セキヤがヴィルトの背をぽんと叩く。
「これからは喋りやすくなるな。良かったじゃん、ヴィルト!」
「ああ。これで俺が書き終わるまで待たせずに済む。ありがたい……」
「なんだか新鮮な感じがしますね」
元々ヴィルトがそういう雰囲気だからか、落ち着いた男の声はそれなりに合っている気がする。本人がどう感じているかは分からないが。
マフラーに指をかけたヴィルトは、そっと引き上げながら微笑む。
「本当に嬉しいな。これで迷惑をかけずに……っあれ、止まってないっ!?」
首元に手を当てたヴィルトはわたわたと慌てている。
それを見たセキヤが眉を下げて笑った。
「慣れるまで練習しないとね」
ようやく魔力を止めたらしいヴィルトは、より深くマフラーを引き上げて息を吐いた。
(今夜、練習しておこう……とでも思っているに違いない)
ふ、と笑いが漏れる。
それを誤魔化すように咳払いしたところで、セキヤが体をぐっと伸ばした。
「さて、帰るとしますか!」
「そうですね。明日に備えて休みましょう」
頷いたヴィルトを挟むように並んで、路地を歩く。
三人分の影が、長く伸びていた。
明日だ。明日から、私達の旅が始まる。
見上げた空には、小さな光が散らばっていた。この偽物の空も、当分は見ることがなくなるのだと思うと、少し寂しいと思わないこともない。
本物の空はどんなものだったか。思い出しながら道を進む。
その答え合わせは明日になるだろう。
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