第9話 図書館

 何事もなく家へと戻った後は、再びリビングに集まった。

 セキヤとヴィルトには、カメリアとの会話を全て教えた。


「あの子、悪魔だったんだ。随分と魔力量が多いと思ったんだよね」

「全然分からなかった……」


 セキヤは香水瓶を見てため息をつく。


「それにしても……魔素で構成されていない、か。とんでもない物を持ち帰っちゃったなあ」

「正直、近くに置いておくのも気が気ではないです。魔力濃度に影響しないものなのでしょうか」

「今の所問題はないけど……やっぱり怖いよね」


 魔力の濃度は命に直結する問題だ。

 濃すぎても薄すぎても体に悪影響を及ぼす。


「でも、これぐらいのサイズならあまり問題はなさそうな気もするよ。延々と魔力を吸収するなんてことにならない限りはね」

「……縁起でもないことを」

「ごめんごめん。まあ、あくまでも最悪の事態ってことで」


 へらりと笑ったセキヤは、言葉ほど香水瓶を危険視しているようには見えなかった。


「それで、明日は図書館に行くの?」

『あの白い塔?』

「ええ。他に手掛かりもありませんから」


 頷くと、セキヤは両手を合わせて笑った。


「丁度良かった。実は俺も図書館に行こうと思ってたんだよね。ちょっとしたコネがあるんだ」

「コネですか」

「昔、ちょっとした人助けをしたことがあってね。その人があの塔にいるって聞いてるから、もしかしたら禁書の一冊や二冊くらい……直接は読ませてくれないかもしれないけど、少しくらいは内容を教えてもらえるかも」


 少し冗談ぶって話すセキヤだが、もしその通り禁書の中身を教えてもらえるのなら十二分にありがたい話だ。

 ふいに、あくびの音が聞こえる。ヴィルトを見ると、眠たそうに目元を擦っていた。

 視線に気づいたヴィルトはスケッチブックを開いて『すまない』と書いたページを見せた。


「こんな時間ですからね」

「むしろ今までよくもった方じゃない?」


 セキヤが笑うと、ヴィルトは少し恥ずかしそうにスケッチブックを閉じた。

 ふ、と笑いが漏れる。それを誤魔化すように、階段へと足を進めた。


「では、昼に出発しましょう。私ももう少し眠るとします」

「了解」


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 時は過ぎ、昼食を終えた後。

 町の中央に来た私達は、そびえ立つ白い塔の前に立っていた。

 塔の天辺を見ようとすれば首が痛くなりそうなほど高く、扉は珍しいガラス製だ。

 初めてここまで近くに来たヴィルトはキラキラと目を輝かせて見つめ、セキヤはそんな彼を微笑ましそうに見ていた。


「そういえばヴィルトは初めて来るんだったっけ」

「ええ、いつも私が借りに来ていましたから」


 湧き出る知識欲を満たすため、昔は毎日のように図書館へと通っていた。そのとき、ヴィルトに合いそうな本を一冊借りて帰ることがいつもの流れだった。


「ゼロはよく入り浸ってたもんね」

「気になる本は大方読んだので暫く行っていませんでしたが……そろそろ新しい本も並んでいる頃でしょうか」

「いくら気になる本があっても今日は我慢」

「……分かっていますよ」


 そこまで子供扱いしなくてもいいだろうに。

 大体、こんな状況だ。私だって不安の一つくらい抱えている。それを紛らわせたいと考えることは、そうおかしくない……はずだ。

 とはいえ、そんな場合でもないことくらいは分かっている。ふい、と顔を逸らし、息を吐いた。


「さて、行きましょうか」


 扉に近づくと、自動で開く。

 相変わらず、他では見ない仕組みだ。どんな魔道具が使われているのだろうかと思いながら進む。

 入ってすぐ正面にある白いカウンターには、真っ白な服を着た白髪の若い女が目を閉じて立っている。その口元は白い布で覆われていて見えない。以前通っていた時から変わっていない、この図書館の受付嬢だ。


「住民カードを提示してください」


 事務的に淡々と話す彼女に、手のひらに収まるサイズのカードを差し出す。

 受け取った彼女はカウンターの向こうで手続きを行い、カードを返却した。


「どうぞ、ごゆっくり」


 受付を済ませて奥へと進めば、そこにば別世界が広がっている。

 真っ白な床、真っ白な天井。三階まで吹き抜けになっているフロアは壁一面が棚になっており、知識の源たる本がぎっしりと詰まっている。色とりどりの背表紙が並ぶ棚には、所々に貸し出されている印である板が挟まっていた。

 視界に見えている限りでも五十人ほどが本を探していて、机と椅子が並ぶ読書スペースも人で埋まっている。


「とりあえず、ここの管理人を探そうか」

「管理人というと、司書ですか? モノクルをかけている……」

「あー、多分その人かな。知ってたんだ……って思ったけど、通ってたんだからそれもそうか」


 何度か話したこともある司書の姿を思い出す。長いグレーの髪と、モノクルが印象的な男だった。

 キョロキョロと辺りを見渡しながら歩く。

 ふと、新書コーナーに視線が吸い込まれた。しかし、ヴィルトに袖を引かれ首を振られる。


「……分かっていますって」


 思わず立ち止まってしまっていた。少し先にいるセキヤに早足で追いつく。

 それから暫し歩いていると、紫のコートを着た後ろ姿を見つけた。緩く編まれた灰色の長い髪が紫のリボンと共に揺れている。


「あ、いたいた」

「やはり彼ですか」

「うん。まさかこんなすぐ見つかるとは思わなかったけどね。おーい」


 前を歩く司書に声をかけると、声に気付いて振り返った。

 何冊もの本を抱えるその男は優しそうな顔立ちをしている。モノクル越しに、少し皺が入った青い目が私達を捉えた。


「図書館ではお静かに。おや、貴方は……」

「久しぶり。そういえば前は名乗り損ねてたんだったね。俺はセキヤで、こっちは俺の大切な友人。ゼロとヴィルトだよ」


 セキヤの紹介を受けた彼は、小さく頭を下げた。


「私はアシック・レカードと申します。以後お見知り置きを、御客人方」


 低く響くような声だ。うっすらと微笑む瞳からは知性を感じる。


「お久しぶりですな、セキヤ殿。ゼロ殿も、暫く姿を見ませんでしたから心配しておりました。お元気そうで何よりです」


 アシックは私を見て目元を緩める。

 これだけの来館者がいる中でたった数度しか会っていないのに覚えていたのか。


「俺達、聞きたいことがあって来たんだ」

「私に答えられるものであれば、何なりと」

「呪いの解き方について教えてほしいんだよね。それも特別なやつ」

「……わかりました。少々お待ちいただけますかな? この子達を帰してきます」


 アシックは本の表紙を撫でた。

 セキヤが頷くと、アシックは軽く頭を下げて本を片付けに向かった。余程本を大切にしているのだろう。

 それにしても、これだけの広さを彼一人で管理しているのだろうか? 長く通っていた時も、彼と受付嬢以外のスタッフを見たことがない。

 疑問に思ったところで、ふと思い浮かぶ。彼が戻ってくるまでの間なら、多少本を読んでもいいのではないだろうか。

 そう思ったところで、セキヤに生温かい目を向けられた。


「すぐ帰ってくるだろうから、本を読む時間はないと思うよ」

「……貴方、いつの間に心まで読めるようになったんです?」

「ゼロが分かりやすいだけだって。あ、ほら。もう戻ってきた」


 セキヤの視線を追うと、彼の言う通りアシックがこちらへ向かってきていた。

 いくらなんでも早過ぎではないだろうか。


「流石、早いね」

「ここの子達の場所は全て覚えておりますからな。それに客人を待たせるものでもないでしょう。さあ、こちらへどうぞ」


 アシックの案内で個室へと通される。促されるままソファーに座った。

 どうやら応接室のようだ。ソファーはふかふかとしていて座り心地がいい。

 備え付けのポットで茶を入れたアシックは、私達の向かいに座ると話を促した。


「では、詳しくお聞かせ願えますかな」


 頷いたセキヤは、ここに来るまでの経緯を話し始める。

 私が連れ去られ、香水をかけられたこと。悪魔の呪いというものに蝕まれていること。その悪魔についての情報。


「その後は、呪いに少し詳しい人を尋ねたんだ」


 カメリアについては悪魔であるということを伏せて、目ぼしい成果は得られなかったことを伝えた。香水瓶が魔素で構成されていないと言われたこと、カメリアから勧められてここへ来たことも。


「と、そういうわけなんだよね」

「なるほど、それは災難でしたな。そして難題でもあります。悪魔についてであれば記述されたものがありますが、呪いについてとなると……」

「でもそれって、一般に公開されているものに限った話じゃない?」


 言い淀むアシックにセキヤが言葉を被せる。

 もし、公開されているものでなければ?

 言外の問いかけに、アシックは目を瞑った。


「……セキヤ殿は恩人ですからな。禁書であっても、残存していればこの場限りで貸し出してもいいと考えております。ですが、残念なことに実物そのものが無いのです」


 アシックは眉を下げ、首を振る。


「そも、呪いの多くは口伝で継がれるもの。書物として残されること自体が稀有なことです」

「つまり、本としては残っていないってこと?」

「ええ。あるとしても、継いだ本人が隠し持っているか、どこかに埋もれているかでしょうな」


 セキヤは深く息を吐いて頬杖をついた。


「なるほどね。ここにないっていうなら、探すのは難しいか」

「力が及ばず申し訳ない」


 つまり、収穫はないということだ。

 私の隣で、ヴィルトがしょんぼりと眉を下げる。

 せっかく手掛かりが得られると思って来たというのに、それも駄目となれば無理もない。

 腕を組んでどうしたものかと考え込んでいると、セキヤは手を組んで顎を乗せ、にっこりと笑った。


「ところで司書さんはどう思う? 悪魔の呪いについて」

「悪魔とは、あらゆる方法で人を誘惑するものと云われております。呪いをかける悪魔というのも……探せば存在するのやもしれませんな」


 しかし、悪魔本人であるカメリアがその存在を否定している。

 とはいえ彼女が知る悪魔、及びそれに類する種族に限った話だ。彼女が知らない個体であれば、可能性もないとは言い切れないのだろうか。


「しかし、先程話に出ていた魔素で構成されていないという香水瓶。それを生み出せるとは到底思えません。世界の理に反しておりますゆえ」


 これに関しては同意だ。

 魔素で構成されていない物質など、聞いたこともない。

 しかし、何かが引っ掛かる。

 世界の理に反している。それはそうだ。

 だが、それはあくまでのこの世界の理でしかない。


「この中央図書館を管理する司書として曖昧な答えは出せません。お恥ずかしながら、分からないというのが率直な答えとなります」

「なるほど。じゃあ、アシック個人の意見としては?」


 セキヤとアシックの視線がぶつかる。

 数秒の間見つめあった後、アシックはゆっくりと息を吐いた。


「そうですな。私としましては、悪魔も人間や動物と同じ生物の一種であると思っております。寿命こそ長いものの、いずれ訪れる。その悪魔は世界の始まりから見てきたと、そう話していたそうですな。となると、この世界の住人ではないように思います」

「そう」


 セキヤが満面の笑顔を浮かべる。

 組んでいた腕を下ろし、顎に手を当てる。

 この世界の住人ではない。となれば、答えは一つだ。


「つまり異界の住人ということですか」


 アシックが頷く。


「そうなりますな。異界というのは、俗に言う天界や冥界のことではありませんぞ。この世界の外にある、文字通り異なる世界……異世界のことです」

「まあ、俺の遠い先祖も異世界人らしいからね。異世界の悪魔も来ないとは言い切れない、か。ありがとう、アシック」

「いえいえ、お力添えできたのなら幸いです」


 そういえば、そうだ。

 セキヤの一族……レグラス家の始祖は、異世界から魔道具を持ち込んだという。

 それをこの世界でも扱えるように改良し、製造してきたのがレグラス家だ。だからこそセキヤ本人も、ちょっとした魔道具なら作ることができるらしい。

 私がつけていたイヤーカフ型の魔道具もセキヤの手作りだった。


 ……あの女に連れ去られた後、私を見つけた時には外されていたと聞いた。よくもやってくれたものだ。

 今は亡き彼女に対する怒りが湧いてくる。目を閉じて数秒、心を落ち着けた。


「して、御三方は今後どうするおつもりですかな?」

「今後か……」


 セキヤとヴィルトが黙り込む。いくら元凶の悪魔が異世界から来ていたとして、そこからどう調査すればいいのかも分からない。異世界について調べたところで、その先が見えるとも思えない。

 しかし、立ち止まっていてもどうにもならないだろう。やはり、ひとまずは異世界についての記述がある本を探した方がいいかもしれない。

 そう思った時、セキヤがアシックをじっと見つめていることに気づいた。微笑んだアシックは、お茶を一口飲むと口を開いた。


「差し出がましいかとは思いますが……一つ、提案があります。少々お待ちいただけますかな」


 頷くと、アシックは席を立って部屋を出ていった。


「いい案だといいね」


 そう言って頬杖をついたセキヤは少し上機嫌なように見える。

 ヴィルトはスケッチブックを開き、ペンを走らせた。


「何にせよ、進展がありそうで助かります」

『司書さんは優しい』

「自分で言うのもなんだけど、アシックにはそれなりに貸しがあるんだよね。かなり協力してもらえると思うよ」


 そう言ってセキヤはパチンとウインクした。

 暫く待っていると、アシックが戻ってくる。その手には一つの小さな木箱があった。


「お待たせしました」


 席についたアシックは、木箱を開ける。そこには一つのペンダントが収まっていた。

 銀色の筒状のペンダントトップには、六色の石がはめられている。その色は暗く、上から順に赤、橙、青、緑、紫、黄だ。

 ペンダントを私達に見せながら、アシックが問いかけた。


「御三方。とある伝説についてはご存知で?」


 アシックはその伝説を語り始める。


 かつて、世界は破滅を迎えようとしていた。

 争いを絶やさない愚かな人々への罰のように、大地は荒れ、水は澱み、長く続く昼と夜とが空を奪い合った。

 そんな中、一人の聖女が現れる。


 世界を創造した原初の六神、その一柱。火を司る女神フィオーレ。かの女神の寵愛を受けた聖女は、六つの星に純真なる願いを捧げた。

 聖女の祈りは天へと届き、受け入れられ、やがて世界は平穏を取り戻したという。


 聞いたことがある話だ。有名な伝説で、絵本にもなっていた。だが……


「それと何か関係が?」

「これが真実に基づくものとすれば……呪いを解きたいという願いも叶うやもしれない。そうは思いませんかな?」


 黙り込む。

 たしかに、もし伝説が真実だというのであれば可能性はあるだろう。しかし、伝説は伝説だ。

 とはいえ手掛かりが少ない今、そんな伝説でも縋る他ない。それは私も理解していた。


「このペンダントは、ある特別な魔力を受け入れる器となっております」


 アシックはペンダントが入った箱を差し出した。銀色のそれをじっと見つめる。


「世界に六人の神官がいることはご存知でしょう」


 セキヤ、ヴィルトと共に頷く。


 神官。それは世界の均衡を保つために選ばれる者達の総称。

 魔力の各属性につき一人、合計六人が選出され、世界の魔力濃度を整えるために一生を捧げる。

 居場所と名前こそ知らないものの、その存在自体は誰しもが知っているほど有名だ。

 なにしろ、魔力は多過ぎても少な過ぎても毒となる。それを安定させる者は人が安全に暮らす上で不可欠な存在だった。


「各神官は最も純粋な魔素で構成された魔宝石を持っております。その宝石から得られる魔力をこのペンダントに注ぐのです」


 アシックはペンダントにはめられた石を指差す。


「魔力が注がれれば、対応する魔石が光ります。六人の神官から、六種の魔力を。全てが揃ったとき、再び私をお訪ねください」


 微笑んだアシックは、私をじっと見つめた。


「その時には願いが叶う地へ案内いたしましょう」

「その話を信じられる根拠は?」


 本当にそれで願いが叶うというなら、やるだけの価値はあるだろう。

 しかし、この世界において六人の神官を訪ねるというのは、命を落とす危険さえある。

 神官は世界の魔力濃度を整えるが、その力にも限度があるはずだ。

 人が多く住まう町の濃度を優先して整えることにしているのだろう。

 町と町を繋ぐ道でさえ、魔力が不安定になることがある。魔力が多ければ、影響された動植物は危険な生命体――魔物へと変貌する。


「各地を訪ねるというだけでも、その道中は危険と隣り合わせです。それだけのリスクを……」


 言い切る前に、セキヤの手が肩に置かれる。顔を見ると、穏やかに微笑んでいた。


「大丈夫、アシックは信頼できる人だよ。嘘はつかない。それに、俺達なら道中だって安心でしょ?」


 ……たしかに、魔力濃度はセキヤが見分けることができる。私自身も、セキヤほどの精度ではないにしろ見ることができるうえ、魔物の対処も問題ない。

 実質的な問題は、その旅にかかる時間だった。呪いの変化条件が分からない以上、膨大な時間を浪費するわけにはいかない。

 けれども、他でもないセキヤの言葉だ。


「……分かりました。貴方が言うのなら信じましょう。神官の位置については教えていただけるのですか?」

「私からは言えませんな。ご自分で探していただくことも含めての『試練』ですので」

「だろうと思いました」


 よくある話だ。まさか自分が物語にあるような旅に出ることになるとは思ってもいなかったが。

 深く息を吐いて、箱からペンダントを取り出す。光を受けた銀のペンダントトップがキラリと輝いた。


「他に手段もないのです。可能性があるならば賭けましょう」

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