第4話

 夢を見ていた。

 少しレトロなオレンジ色のチェック柄の見慣れたテーブルクロス、茶色いプラスチックのコップ、古ぼけた箸立てにたっぷり入っている割り箸。塩と胡椒の入ったケースにはそれぞれウサギのイラストがプリントされている。とぼけた表情のウサギを眺めているうち、カウンターから物音がする。ふつふつと鍋の中で何かが煮える音。ジャッとフライパンで返す音。お皿を並べて、フライパンから中身を移して、冷蔵庫を開け閉めして、それからカウンターに湯気の立つ皿をコトリと置く。

「出来たよ」

 懐かしい声に顔をあげると、湯気の向こうには穏やかに微笑む父が立っていた。


 目が覚めるとアパートの自分の部屋だった。やかましく鳴る目覚まし代わりの携帯電話のアラームを止める。同時に、メールがきている事に気が付いた。差出人はカアルくん。

“何食べたいか聞いても「鯖みそ」しか言わなくなった”

 そりゃ相当酔ってたな。て言うか記憶がない。むしろ飲んだのか。知らないな。知らない私だ。

 しかしまぁ、それとは関係なく仕事に行かなければならない。ゼリー飲料を補給しようと冷蔵庫を開ける。90Lの冷蔵庫のど真ん中の段に白いパックに入った焼き鯖が鎮座していた。いや、何だこれ。


 出勤すると玄関脇のコピー機にファックスが届いていた。ように見えたので無意識のうちに手を伸ばして用紙を取る。と、その瞬間世界が固まった。えーと、これは。

 それを引っ掴んだままぽてぽて歩いてシュレッダーに食わせる。

 ……あ、いまの、離婚届だったよね。しかも記入済みだった。あの、見間違いじゃなければ。そこには。

 ガチャリ、と事務所の玄関ドアが開かれて等々力さんがのそりと入って来た。日頃から重役出勤を常としている彼にしちゃ早すぎる。

 私の正真正銘の「おはようございます」に生返事を放って流れるように社長室に引っ込む。見間違いじゃなかったら、離婚届に書かれていた署名は等々力さんと奥さんのものだった。

 コーヒーメーカーに粉と水を適当に入れてスイッチオン。こぽこぽと抽出の始まる音を聞きながらプリンタとスキャナーと、三台のMacの電源を順に入れていく。窓を開けて風を通しラジオを点ける。聴き覚えのある曲がちいさく流れ出して、あ、これ、と思う。昨日の夜に毘沙門がかけてたヤツだ。

 スキャナーが立ち上がったのでプレビュー画面をチェックすると、前回スキャンしたらしい画像が残ったままだった。綺麗な女の子がどこかのプールではしゃいでいる。リゾートホテルか。満面の笑顔のビキニ姿が、撮影者に向かってプールの水を飛ばしているところだ。水滴の一滴まで綺麗に写っている。いいカメラで連写するとこういうの撮れるよねと思いながらスキャナーのスタンバイボタンを押すと画像は消えて、代わりに無機質な白が広がった。


 その日の午後、予定が被ったからという等々力さんの代わりに広告代理店までゲラを届けに行くことになった。おつかいの平社員らしく書類ケースをぶらぶらさせて歩く。平日の昼間は当たり前だけど陽射しがある。サクサク歩くサラリーマンと、コツコツ音を立てるヒールの女性が交差点を行き交う。街が夜とは違う顔をしてるんだな、と思いながら昨日と同じ駅で銀座線に乗って外苑前で降りてイノセントラブを横目に通り過ぎた。この地下の空間で世界的に有名なDJが回してたなんて、知らなきゃ知らないで過ぎてしまうものなのだ。

 訪問先のビルの前でインターフォンを押す。

「等々力デザイン事務所の花村です、ゲラをお届けにあがりました」

「はぁい!」

 わりと良い勢いでドアを開けた人に見覚えがあった。あれ、という顔をして私を怪訝そうに見る。

「等々力はスケジュールが都合付きませんで、申し訳ありませんが本日はゲラのみお届けにあがりました」

「ふぅん、そうなんだぁ」

 申し訳ございませんと宜しくお願い致しますを交互に繰り出しながら封筒を渡し、ドアが閉まるのを待つ。最後に少しだけ向けられた笑顔で確信した。あれ、今朝スキャナーのプレビュー画面で見たビキニの人だった。

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