第10話「江吉良エリ絵はデコっぱち!」

 翌朝である。目覚めの良かった俺は、朝チュンを微笑ましく眺めつつ、訓練棟への渡り廊下を歩んでいた。いや、朝チュンて、ただ朝に鳴いてるスズメのことね。本来の意味じゃないよ? そんなもん微笑みながら見てるやつ、間違いなく変質者だもんね。


「あ、おはようございます、准尉。今朝は早いんですね……て、ひゃあああっ!」

「あ、王子准尉。どうもおはようございます」


 後ろからぱたぱたと駆けてきたのは、俺より1ヶ月だけ先輩のプロデューサー、王子聖子だった。王子だが女性である。そして大人なのに童顔な、ロリ巨乳でもある。


「いやおはようございますじゃないですよ! どうしたんですか、その顔は!?」

「え? アンパンマンじゃあるまいし、俺の顔は交換出来たりしませんが?」

「冗談言ってる場合ですか!?」


 俺の顔面は盛大に腫れていた。あの幼女にさんざん殴られたせいだ。しかし、これで済んだのは不幸中の幸いだろう。顔の骨を固定しているメタルフレームがまだ入っているので、今度は骨折を免れたのだ。これ、来月取り出さなくちゃならないんだよなあ。なかなか使えるから、このままにしておきたいんだけど。手術痛いし。


「嘘ですよね? アグレッサーの、あの江吉良エリ絵一尉の、胸を揉んで、殴られた……? あの、”不死身の江吉良”を……? 江吉良一尉って、見た目、子どもですよ? なのに……」

「いや、事故なんですけどね。襲ったとかじゃありませんよ、もちろん。俺、ロリコンじゃありませんし」


 王子聖子はドン引きしている。これはいかん。俺と普通に話してくれる貴重な女性なのに。ここはしっかり誤解を解いておかねば。


「そ、そうですよね。あ、あー、びっくりしたあ。うふふふふ」

「ははははは。驚かせてしまいましたか? すいません」


 バインダーで顔を隠し、ころころと笑う王子聖子は、強化人間たちに負けず劣らず可愛らしい。良し決めた。俺はこの人と付き合うぞ。そしていつか結婚する。めちゃめちゃ子ども作るんだ。


「ところで、ミクちゃんはどうですか? 最近、ちょっと元気が無いみたいですが」

「えっ? あ、ええ……」


 王子聖子は、高嶺と仲良くしているミクちゃんの担当プロデューサーである。大藪ミク三曹。特務戦隊9期生だ。高嶺が13期生なので、4つ先輩ということになる。


 しかし、二人の見た目は完全に同年代。強化人間たちの歳は、本当に分からん。年齢詐称をしているアイドルなら間違いなく見抜けるこの俺の観察眼をもってしても、あいつらの年齢は特定不可能だ。


「良く見てらっしゃるんですね」

「はあ、まあ、うちの高嶺とスリーマンセルを組んでいるチームメイトなわけですし。と言っても、うちはこのところ、出撃すら出来ていなくて、本当に申し訳ないんですが」


 これは本当に悪いと思っている。なので、深々と頭を下げたのだが、逆に王子聖子を「いえいえ」と恐縮させてしまったようだ。ああ、なにこの普通のやり取り。大人やなー。凄くほっとするー。


 なんて、普通を噛み締めていたのだが。


「うわあああああーーーー!! 准尉ぃーーーーっ!!」


 廊下の向こう、訓練棟の方から、こちらに猛然と駆けてくる影が見えた。しかも、何か叫んでる。それも、どうやら俺を呼んでいるっぽい。


 高嶺だなー。高嶺だろうなー。あいつ、久しぶりに喋ったかと思ったら、人の事を絶叫かー。調子に乗ると歌うし、凹むと黙るし。ゼロと100しか無いのかなー。もしかして、脳ミソの中がマシン語で出来てんじゃねーのかなー。


「ぐえーーーっ!!」

「きゃあああ! 准尉ーーーっ!!」


 高嶺は、強化人間ダッシュそのままの速度で俺の胸に飛び込んだ。ので、俺は牛に突進されたような感じで元来た廊下に吹き飛ばされる。その速度は、王子聖子が俺の姿を追ってひゅんと振る、首の速度でお分かりいただけると思う。


「准尉ー! 助けてえ! もー、寝てる場合じゃないでしょー! あと、なんでそんな不細工になってんの!」


 俺がずざーっと10メートルほど背中で滑って止まったところで、高嶺がぷんすこと地団駄を踏んでいる。例によってリキッドアーマー着てるから無事だけど、無かったらやっぱり内臓破裂してるぞお前。あと不細工とか言うな。


「ど、どうしたの高嶺三曹? 落ち着いて! とにかく一旦落ち着いて! あなたより、准尉の方が助けが必要になってるわ!」


 王子聖子があわあわと高嶺を宥めにかかった。そんなに慌てて、これは俺の事が好きですね? もう結婚するしかねえ。


「あ! 聖子さん! 大変だよ! ミクちゃんが! ミクちゃんがあ!」

「えっ? ミクが? なに、どうしたの?」

「いてっ」


 ミクと聞いて、王子聖子は俺を抱き起こそうとした手をぱっと離した。おかげで俺は、後頭部をコンクリの床に打ち付けた。ゴンっていった。痛い。戦闘にも出てないのに、こんなにダメージ受けるの俺だけじゃないもしかして? 前世で何かしたのかな?


「とにかく来て! こっち!」

「え、ええ! 分かったわ!」

「あ、お、俺も行くう」


 二人は俺をほっぽって、一目散に走り出す。俺はその後をへろへろと追いかけた。向かった所は訓練棟。あのシミュレーターマシンの前だった。そこには。


「う、ぐ」

「ミクちゃん! ミクちゃーん!」


 ボロボロになった大藪ミクと、それを抱き起こして泣き叫ぶカコちゃんがいた。


「はん、全然ダメじゃにゃい。これじゃあ、ちゅかいものにならないにゃ」


 そして、二人を見下ろす江吉良エリ絵が、ふんぞり返って立っていた。江吉良エリ絵が着る赤い迷彩模様のアサルトスーツは、エリートたるアグレッサーの証だ。


「ミク!」


 王子聖子が大藪ミクに駆け寄った。そして、怪我の具合を確認する。


「……折れてるわ」


 ミクの右腕を見た王子聖子は、そう呟いて俯いた。


「むう……」


 傍らには、あの海坊主教官も立ち尽くしている。これは事故か事件か? 異があれば、真っ先に噛みつきそうなあいつが黙っている。


 部隊訓練評価隊。通称、アグレッサー。ここ北富士演習場の富士トレーニングセンター、FTCは、全国の各部隊が教練に集う、いわば陸上自衛隊の総本山だ。そして、部隊訓練評価隊は、ここをホームとして、各部隊を指導する。


 すなわち、最強。だから、彼らに逆らえる者などいない。そういうこと、なのだろう。素人目には、そう映る。


「折れてるにょ? はー、なんて貧弱なにょかひら? エリ絵は、ちょっと小突いただけなにょに」


 江吉良エリ絵は、肩をすくめて嘆息した。


「うう……」

「…………」


 王子聖子は呻くミクの手を握り、ぷるぷると震えている。


「王子准尉。早く医務室へ」


 俺は、そんな王子聖子の肩をぽんと叩いて促した。


「わ、私、運びます!」


 カコちゃんがお姫様抱っこで大藪ミクを持ち上げた。


「ありがとう」


 王子聖子は小さな声でお礼を言うと、ミクに着いて訓練棟からのそのそと出て行った。


「にゃーに? なんか空気が悪いにゃあ。エリ絵は稽古をつけてあげただけなにょに。ほら、次は誰? エリ絵が北海道に行ってる間に、みんな怠けていたみたいにゃし、ばっちり鍛え直してあげるのにゃ」


 江吉良エリ絵は静まり返った場をぐるりと睥睨し、その美しい金髪をふわりと広げた。


「次は私だよ、デコっぱち」


 その沈黙を打ち砕いて進み出たのは、やっぱり高嶺のやつだった。ぽきぽきと拳を鳴らすその姿、どっかの暗殺拳が使えそう。うわあ、めちゃくちゃ怒ってる!


「デコっぱち? それ、エリ絵のことなのにゃ?」


 江吉良エリ絵のつるんとしたおでこに、ぶっとい血管が浮き出した。こっちもめちゃくちゃ怒ってる!


「当たり前でしょこのデコ助。にゃーにゃーにゃーにゃーとイライラする。誰が怠けてるって? 誰が使い物にならないの? ミクちゃんはね。ミクちゃんは! もう、何度もあのバケモノたちと戦ってきたんだよ!」


 高嶺の拳が、ぐわんとシミュレーターマシンのカプセルをぶち抜いた。そこからバチバチと火花が飛び散り煙が上がる。


「こ、こら、高嶺! 貴様、三曹の分際で、一尉になんという暴言を!」


 海坊主教官が慌てて高嶺を叱りつけた。自衛隊の階級は絶対だ。命令無視はおろか、不敬も厳しい罰がある。


「うるさい。そんなの、知らないよ」


 が、キレた高嶺に、そんなものは意味を成さない。こいつはつくづく自衛隊向きじゃない。実戦でこんなやつが部隊にいたら、最悪全滅する可能性すらあるだろう。


「ははっ」


 しかし、俺はそんなやつが嫌いじゃない。こいつになら、全滅するまで付き合ってもいいと思えた。


「……シミュレーターマシンの修理費用は、高嶺三曹につけておかなければ……」


 しかし、海坊主教官がそう呟いたのが耳に入ったので、すぐにその考えを改めた。そこは付き合いたくないんだよお。

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