第7話「山田純子は語れない!」
「うぐ、ふう、ぐすっ、ぐすっ」
山田純子は泣いていた。小さな女の子のように、握り拳で涙を拭い、ひっくひっくと肩を震わせ泣いていた。
俺たちは訓練施設棟の食堂で、テーブルを囲んで座している。テーブルの上に水しかないせいか、カウンターの向こう側のおばちゃんたちが、俺たちに冷たい視線を送ってくる。のみならず「ちっ、なんか頼めや」とまで言い放つ始末だった。
海賊船でコックに逆らうのは死を意味すると言う。ここも多分そんな感じ。あのおばちゃんたちの殺気、もはや覇王色の覇気レベル。
ああ何という空気の悪さ。針のむしろとはこの事か。てか俺、何か誤解されているような気がする。山田純子を泣かしたの、俺じゃないんですけどね。
「でもさ、あの海坊主、あんなにキツイ言い方しなくてもいいじゃない? そりゃあ、私だってイキってたのは認めるよ? でもさ、でもさ、私だって、一応まだ20代の女の子なわけでさ、普通の男性に言われてもひゃあってなるのに、あんな怖い顔したやつに、野太いドスの利いた声で怒られたら、誰だってぴえんってなるじゃない? ねえ? ね?」
「ああ、そっすね。まあ、20代を女の子と呼ぶか女性と呼ぶかは人によるとは思いますけど」
「でしょ! そうよ、誰だって怖いわよ、あんな海坊主!」
山田純子はテーブルをばんと叩いてうんうんと激しく首肯している。女の子か女性かは聞こえていないようだ。彼女の耳は、自分に都合のいい事しか聞こえない構造になっているのだと確信した。
「ごめんなさい、山田さん。私のせいで」
高嶺が申し訳なさげに頭を下げた。こいつがちんまりと縮こまって座っていると、なんだか調子が狂ってしまう。
「そんな、いいのよ謝らないで。私が黙っていられなかっただけなんだから」
「はあ。しかし山田ニ尉は、少し我慢を覚えるべきだと思います。かなりはらはらしましたよ、俺」
「あらーん? きゃー、私の心配してくれたの? やーだー、遠山ったら、かわちぃー」
「やめて下さい」
そして、遠山真也もこのテーブルに着いている。山田純子の隣にぴしっと背筋を伸ばして座る遠山は、もはや芸術作品のようだ。そんな遠山に抱きついて頬ずりする山田純子は、多分かなり変なやつなんだと思う。
コレがNo.1プロデューサー? コレが?
「それにしても、見事に論破されましたね、山田ニ尉」
「ぐ。な、何よ、後輩のくせに。准尉なんて、私より二階級も下のくせにぃ! 私は論破なんかされてません! あれは論点のすり替えって言うんですーだ!」
「しかし正論でした」
「ふぐう」
何が論点のすり替えだ。それは確かにそうだったけど、あんたそれ以前に理論も論理も説明出来てなかったやん。
山田純子は、あんなに格好良く登場しておきながら、海坊主教官に「アーミーアイドルとして正しいとはどういう事だ?」と訊かれて、なんと「そんなの自分で考え給え!」と仰った。終いには、ふんぞり返って「なんかそんな気がした!」だと。これで誰が納得するのか、是非説明願いたい。
ちなみに山田純子が出てきた所は、屋内訓練施設の壁際上方にぐるりと設置されている廊下みたいなとこだった。ほら、あの体育館とかにあるやつ。柵にバスケットボールとかバレーボールとか挟まるとこね。垂れ幕が提げてあったりもしたっけか。
「まあ、ニ尉は感覚で判断する天才肌ですから。感覚を言語化するのは苦手ですが、俺は間違ってなかったと信じていますよ」
凹む山田純子を見かねたのか、遠山が優しい笑顔でフォローする。やはりいいやつだなこいつ。
「遠山ぁー……。好き。結婚しよ」
「無理です」
「げぶっ」
山田純子は玉砕した。酔ってんのかなこいつ。しかし、遠山の優しさはこんな危険も孕んでいるよなあ。ラブコメとかに登場すると、読者を一番困らせるタイプ。
そんなわけで、俺が山田純子の代わりに海坊主教官が言わんとしていた事の主旨を説明すると、要は「そういった疑義は、ここではなく考察講義の時間に提起せよ」と、なぜなら「ここは蓄積されてきた戦略戦術を叩き込む場であり、迷いを持ち込むのは絶対にマイナスになる」との事だった。
まずは先人の築き上げたものを吸収し、使いこなせるようになってから議題にせよ、という話だ。当然だろう。偉大な英霊たちが、その命を以て伝えて来た貴重な実戦情報を分析し、改良に改良を重ねてきたのが、今の訓練なのだから。
これで山田純子は沈黙した。確かに論点は違うが、そもそもそこで論ずるのは絶対にダメだったのだから仕方がない。よって、一応山田純子が論点ずらしだの論破されてないだのという主張も、間違いではないのである。
その前に、山田純子に論理が無かったんだけども。
と、それよりも。アーミーアイドルとしての正しさってやつは少し気にはなるものの、喫緊の課題を解消しなければ。イマイチ信憑性に欠けるものの、この山田純子が本当にNo.1なら、今は教えを乞うチャンスだ。
今この食堂には、他にも何組かのアイドルとプロデューサーがいるんだが、なぜだかみんな目を合わせてくれないからな。とても話しかけられる雰囲気じゃないんだよ。
まあいいさ。どうせ教えて貰うなら、頂点にいる人の方がいい。下のやつらとつるむと、そのうち愚痴を言い合うだけの、生産性の無い仲になっちまう。俺はそんなの御免だぜ。
「ところで山田ニ尉は、No.1プロデューサーだと言いましたよね? この組織での大先輩でもあるわけで。なら、この特務戦隊の戦力を底上げする観点でも、俺のような新人に教育する義務があると思うんですが、どうでしょう?」
俺はズバリと切り込んだ。要は誠意だ。多少生意気を言っても、その真意が誠意を含んでいるのなら、トップの人間は必ずそれを察知する。
「ほう。なるほど、確かにその通りだね。だからプロデューサーとしてのノウハウを教えろと?」
山田純子は遠山にしなだれかかって微笑を浮かべた。
「はい。代わりに、俺は貴方のコマになりますよ。今はレベル1ですが、鍛えられた俺は、かなり使えるようになるはずです」
当然だろう。ただで教えろなんて図々しい。提供するのは将来だ。俺はそれしか手札が無い。
「准尉?」
高嶺がきょとんとしている。この言い方だと、まるで奴隷契約だもんな。俺がそこまでする理由が分からないって顔してやがる。
「准尉。俺、あなたのこと、気に入りましたよ」
遠山は本当に嬉しそうだ。なんでや。俺がここまですんの、高嶺を死なせない為やぞ。お前を喜ばせる為じゃねえ。俺は逆にお前が少し嫌いになったわ。
「えー? でもなー、私ぃ、遠山のサポートに全力出したいしー、ぶっちゃけ高嶺ってライバルだと思ってるしぃー」
山田純子は遠山の胸に人差し指でのの字を書いてくねくねしている。キツイなー、コイツ。後頭部を叩いたら気持ちいいだろーなー。
「ライバル?」
高嶺が首を傾げた。そして微かに遠山は眉を下がらせた。あれ? ここの人間関係、結構面倒くさそうなのでは?
「山田ニ尉。俺からもお願いします。准尉を鍛えてあげてくれませんか? 結果、ハナが十分な装備で出撃出来るようになれば、討伐戦はもっと楽になると思います」
遠山が山田純子の肩をがしっと掴んで真正面から熱く見つめる。
「そうね! 遠山がそう言うなら間違いないわ! 純子、頑張っちゃうーん!」
遠山の熱視線は山田純子の脳を破壊した。山田純子の頭から、白くてかわいい花がポンと咲いたかのようだ。これはアホを描写した比喩である。
「ありがとうございます!」
俺は感謝を分かりやすく示す為、テーブルに額を擦りつけてやった。そんな俺が山田純子もまんざらではないのか、「あらあら、そんな。苦しゅうない、苦しゅうないぞよ、ホーッホッホッホ!」と気持ち悪く笑っている。
そんな山田純子に、遠山はほっと息をついていた。
この野郎、お前の本当の目的は分かってんだぞ。利害は一致しているのでまあいいけど。
だが実際、高嶺が十全の状態で戦闘に参加出来れば、犠牲もかなり減るはずだ。これは誰にとってもベターな選択だと思う。
のだが。
「でもさ、准尉。山田さんって、自分の理論とか言語化するのが苦手って、シンヤが言ってたよね? なのに、どうやって教えてもらうつもりなの?」
ここで意外な伏兵、高嶺が、至極尤もな意見を宣った。
そして、その場の全員が固まった。
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