第6話

 大学生の朝は意外に早い。


 特に一限があるときなんて八時前には家を出なくては間に合わない。久留実は時間ギリギリまで寝ていたいタイプなのでスマホのアラームについているスヌーズ機能をフルに活用して二度寝三度寝を繰り返す。


 しかし今日は違った。朝目覚めえよく起きる。体は筋肉痛でバキバキになっていた。向背筋に始まり肩甲骨周り、三頭筋、上腕二等筋、肘、手首が若干重く感じた。普段なら食べない朝食を食べていると父が驚いたようにコーヒーを淹れてくれた。「なにかいいことあった?」と聞いてきたから笑顔で「別に」と返す。


 昨日まですかすかだったバックの中は、パンパンにふくらみ左肩にかけたバッグが少し食い込んでいる。


 いつもより五分早い電車に乗り、大学の最寄駅まで一度も席に座らなかった。スクールバスを待つ時間も待ち遠しく思いながら本を開くと肩を叩かれ振り返るとあんこが立っていた。


「おはよう。今日も絶好の野球日和だね」


「そうですね」


「ちょっと。敬語禁止だってば、くるみちゃん」


 あんこは、スクールバスが到着して大学までの道のりの間、この調子でずっと野球の話しをしていた。


 昨日の巨人の試合見た? 


 とかメジャーリーグのこととか、女子プロ野球のすごい選手の情報とかいろいろ尽きることがない。久留実は相槌をうつのも疲れてきて、こんなに朝から飛ばして大丈夫かと心配するくらいだった。


 一限の経営学基礎の時間、予想した通りあんこはイスに座ったと同時に居睡りをはじめた。一度もノートをとることなく終わりのチャイムで起きて真っ白なノートを見てのん気に笑う。


「くるみちゃん。部活終わったらノート見せて」


「いいけど……次は起きてようね」


 久留実は高校生のときあることをきっかけに野球を離れてなんとなく日々を生きてきた。だからほとんどのことに無関心で深い意味など考えなかった。あんこの迷いがない寝顔を見ていると胸がむず痒くなる。


 あんこは、そのままお昼まで起きることはなく、学食でカツカレーの大盛りを食べていた。久留実のファミコンのカセット並みに小さいお弁当に文句をつけながら先に食べ終わるのだからすごい。


「くるみちゃん。しっかり食べないと練習でバテるよ」


「そうかもだけど。ほら周りの目とか……あんこ気にならないの?」


 口にカレーの後がついていて躊躇なく手でこすって拭いたあんこは首を傾げている。


「くるみちゃん! そんなこと言ってたら全日本女子選手権でどうやって活躍するの? 神宮球場にはたくさんのお客さんがいるんだよ! 周りの目なんて関係ないって!」


「全日本って」


 高校野球の聖地が甲子園なら大学野球の聖地は、明治神宮球場だ。昔、おじいちゃんもプレーしていた場所。


「さあ着替えて部活に行こう! 案内するよ」


 チャイムがなったと同時にあんこと共にとび出した。これから始まる野球に少しの不安と希望を抱いて。



 

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