第5話

 その場にいた誰もが声を失う。明らかな大暴投。しかし女子選手としては異次元のスピードボール。


 右バッターの原希美は反応すらできなかった。シーンと静まった雰囲気をぶち壊したのはやはり、


「く、くるみちゃんすごいよあんな速い球投げれるなんて」


 あんこだ。


「あんこうるさい。あんなくそボールにいちいち騒ぐな!」


 りかこはきりきりした様子で顔を真っ赤にしている。


「のぞみ、あんたもあんたよ、ぼぉっとしてるんじゃないわよ!」


「は、はいすみません」


 りかこに恫喝され涙目になってる希美をあんこはかばう。


「りかこさんいけないんだー。のぞみちゃんいじめたー」


 あんこが茶化してこの場を濁すが、他の選手たちの興味はすべてマウンド上にいる久留美に向けられた。


「さぁはやく二球目投げなさい!」


「は、はい!」


 気を取り直して第二球またも大きく外れるボール球だったがどうにかミットに収まった。


「タイム、ごめん試合用のミット持ってきて」 


 キャッチャーの翔子はミットを外して、左手をぶらぶらさせる。すでに赤くなった左手は軽くしびれていた。


「うわっ、ミット破れてるじゃないですか」


「うん、とんでもない荒れ球だよ。しかもただのまっすぐじゃない」


 翔子は手袋をつける。捕り損ねれば突き指は免れない。


 上級生の緊張感が高まっていくほど、久留美のメンタルは追い込まれていく。なにせストライクが入らない。どんなに速い球が投げられてもピッチャーとしては評価に値しないのだ。


 ――なんとしてもストライク入れなくちゃ……


 三球目。意識して加減を加えたストレートは真ん中高めのストライクゾーン目掛けて飛んでいく。


 カン。


しかし今度は打たれた。


「くっ」


 咄嗟にグラブを出したが久留実の股を抜けた打球はセンターにはじき返される。


 ヒット性のあたりだ。


 振り返って打球を確認するとセカンドを守るあんこが飛びついてキャッチし、素早く起き上がってから一塁に送球する。


 アウト!


「ナイスセカン!」


 久留実は無意識にそう言っていた。

「えへへー任せなさい」


 ワンアウト。

 アウト一つとったのも久しぶりだ。しかし過去のトラウマはコントロールを狂わせる。それにしても甘かったとは捉えられた。


 男子でも簡単に打てなかったストレートを、久留実はただならぬプレッシャーを感じていた。集中してプレートの土を払う。


「ソフィーあなたが打ちなさい」


 りかこはショートを守っている内野で一番背が高い人を呼びつける。


「ワタシ打ッテイイデスカ! ラッキーだね」


 そう言ってニコニコしながらバッターボックスに向かう。二、三回バットを振ると左打席に入った。


「くるみちゃーん。その人まじでえぐいよ!」


 ですよね。


 マウンドの久留美も分かっていた。


 雰囲気でわかるこのバッターはやばい。ロージンを満遍なくつけて、深呼吸する。久留実はぶつけないように細心の注意を払ってキャッチャーの構えたアウトコース低めを狙って投げる。構えたコースとは逆のコース。指先にかかり過ぎたボールはスライダー回転しながら内に流れていく。


 ソフィーはゆったりとタイミングとっていたので、初球は見送るものだと思っていた。しかし地面に足がついた瞬間バットを振りぬいた。スイングスピードが予想以上に早すぎて久留実はバットの軌道が見えなかった。金属バットの乾いた音が響き咄嗟にうしろを振り返る。打球はあっという間に左中間を切り裂いた。


「ピッチャー、三塁ベースカバー」


 翔子の声でカバーに走るが間に合わずバッターは三塁でストップ。あそこまで完璧にとらえられたことは生涯一度もない。


「ヤッタヨ! ワタシナイバッチ!」


 三塁ベース上でサンバのステップを踏んでいたソフィーを眺める久留美は冷や汗が止まらなかった。 


 ――打たれた。

「このままじゃだめだ」


 つぶやく。しかし、その後のピッチングは散々なものだった。全力で投げればコントロールを悪くし、ストライクが入らないからカウントを悪くして加減した甘いボールを痛打される。


「どう火だるまになった感想は?」


 マウンドに立ちすくむ久留実に近いてりかこは言った。


「やっぱりダメでした。すみません練習の邪魔して、もう帰ります」


 もう何回こんな思いをしたのか、イニングの途中でマウンドを降りるのは一番つらい。


「待ちなさい」


 りかこの呼びかけに振り返った。


「あなたが野球に対してどう向き合ってきたかなんとなく分かったわ。本当にやる気があるなら明日講義が終わったら河川敷のグラウンドに来なさい」


「……」


「咲坂さんみんな待ってるからね」


「マタ勝負シヨウ」


 涙を隠してグラウンドを去る久留実を先輩たちは笑顔で見送ってくれた。



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