第25話いつまで死んだふりをしてんのさ

「いつまでそこで、死んだふりしてんの」

 上から声が降ってきた。

 梅は顔を上げた。

 そこには弦が立っていた。

 そりゃそうだ。わたしなんかに天の声が聞こえるはずもない。

「死んだふりなんかしてないでしょ」

「毎日、ここに来て。そこに座って、じっと地面を見つめてるって、それ、死んだふりって言わないのかな」

 梅は言い返そうとしたが、言うべき言葉が浮かんでこなかった。

 毎日ここに来て。ここに座って。すでにその部分すらあいまいだった。何してたんだろ、わたし。

「準備は順調に進んでんだろ。目黒さんも助けてあげたって聞いてるし。それとも元の部署に何か忘れ物でもあるの?」

 準備? ああ、準備か。フラワージェット蒲浜のプロ化は確かに順調に進んでいる。

 出資者もどんどん増えている。下部組織として、地元のジュニアサッカースクールを傘下に入れたから、カテゴリー3の免許取得に必要な組織構築もまずまず進展していた。

 忘れ物。忘れ物かぁ。まだ一か月くらいしか経ってないけれど、その話はなんたが大昔のことのように思える。

「忘れ物はないわ。確かにわたしの夢があったけれど、技術の進歩で、それはどうやらわたしのするべき仕事じゃなかったみたい」

「そうか。割り切れてんなら、それでいいけど。で、レデースの方には顔を出しているの?」

「レディース?」

「佐久間さんが待ってんじゃないの」

 佐久間さん。そうか、佐久間さん、待ってるかもね。でも半分冗談だと思うけど。

 レディース部門は、ほぼ草サッカーの、市民球団を傘下に入れた。もっとレベルの高いチームも傘下に入りたいと打診してきていたけれど、GMの高木の強い希望で、なんの実績もなかった市民球団を採用することに決めた。

 高木は、大切なのは思いだから、と、みんなに説明した。

 佐久間とは、梅の大学時代に関係があった。ほんの軽い気持ちで入部した、サッカー同好会の、女性部長だった。

 大学時代から、ずっとサッカーは続けたいと公言していたが、まさか市民球団に入団して、そこでキャプテンをしているなんて、思ってもいなかった。

 傘下に入った市民球団、クローバーとの顔合わせで、梅は佐久間と再会した。

 佐久間は梅が、サッカーに関係する仕事をしていることを、とても喜んでくれた。

「それでこその、サッカーよね」

 佐久間はそう言って笑ったが、その言葉の意味はわかるけれど、佐久間が持っているサッカーへの情熱から推し量ると、たぶんその半分も理解していないと感じる。

「ねっ、また一緒にやろうよ。サッカーボール、蹴ろうよ」

 その場で佐久間は誘ってきた。

「わたしなんか、とても、とても」

 梅は顔の前で無理だという風に、手を振りながら、答えた。

「わたしなんか、って、何よ。梅、サッカー大好きでしょ。だから、今も、サッカーの仕事をしてるんでしょ。なのに、わたしなんか、って、それ、失礼だから」

「いや、もう、走れないし」

「バカ言ってんじゃないよ。うちにはママさん選手もたくさんいるし、みんなサッカーが好きだから、苦しくたって走るんだから。梅も走れる」

 佐久間に言い切られても、梅には本当に自信がない。

「とにかく。一度おいで。一度ボール蹴ったら、きっとやめられなくなるからさ」


 そんな経緯があった。

「どうして弦が、佐久間さんのことを言うのよ」

「だって、あの人、かわいいじゃん。梅を誘ってくれたら、一緒に食事してあげる、って約束になってるんだ」

「不純」

 そう声に出したものの、嫌な気分になっていたし、弦の女性問題の噂のことも同時に思い出していた。

「でもさぁ、本当に一度行ってみなよ。レディースのことを高橋さんに振ってるってことは、梅も気にはなってるってことでしょ」

 それは確かにそうだ。どうも積極的に関わっていく勇気がわかない。

「別にプレーしなくていいから、レディースがどんな練習しているかだけでも見てきなよ。それも立派な仕事だろ」

 それは確かに立派な仕事だ。というより、やるべき仕事の、重要なひとつでもある。

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希望ってどんな色だったっけ 銭屋龍一 @zeniyaryuichi

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