第24話梅は人生での2度目の精神的な死の淵にいた

 がんばったけれど、みんなを喜ばせることもできず、ただひとりとして楽しませてあげることさえできなかった。

 自分の人生を賭けて成し遂げたいと思っていた仕事では結局何も成せなかった。

 その仕事を、開出は、自らが嫌われ者になろうとも、梅を逃がすために、強制的にその仕事から降ろすということを選択してくれた。

 あの仕事を降りてから、このひと月半、ずっとその思いが梅の頭の中を巡っている。

 キューポラ光学の特殊レンズは、以前から軍事転用されているという噂がつきまとっていた。キューポラ光学自体が戦争に加担しているわけではないが、長年の取引関係者の中には、初めからそれが目的で接触してきたものもいることは、業界ではもはや有名な話しであったようだ。

 梅と真藤とで開発していたダブルシーケンスシステムは、そのキューポラ光学の特殊レンズとの融合によって、やはり軍事利用されようとしていたらしい。。

 誘導ミサイルにしろ、ドローンにしろ、無人ジェット戦闘機および爆撃機は、半導体技術の進歩と、それらをパーツとする最先端技術によって、高性能な近代兵器へと進化し続けている。

 何をどう言い訳しようとも、それらの存在理由は、都市の破壊と、人々を殺すことにある。

 なぜそれがこれほどの歴史を重ねても、この世界からなくならないのか。

 梅にとっては辛く悲しい現実だ。

 真藤が送ってきた、風景写真とエクセルデータの秘密も解けた。

 それに気づいたのは、エンジニアではなく、ソーシャル7ワーカーのしんこちゃんであったのには、かなりの驚きだった。

 あの日、梅は様々な相談を、しんこちゃんにしたのだが、それもその中のひとつだった。

 梅も大学の講義で、目に見えるものはすべて数式に置換できるということ自体は知識として知っていた。

 錯覚、錯視、そのようなものを使って、いわゆるだまし絵は成立しているのだが、もともとは人間がそのメカニズムを数式に変換できることに気づいたからその後も発展したものでもある。

 一生涯を賭けて、そのような研究に没頭している科学者もいる。日本でも、三次元のそれの、世界的な第一人者がいる。

 だが今や、生成Aiをはじめとする情報技術の進歩がすさまじく、発端を人間が示唆してやれば、人間ならば、何十年、いや、何百年とかかるであろう演算を、ほんの数分でやり終えてしまう。

 梅と真藤の開発しようとしていたシステムも、そのご多分に漏れなかったというわけだ。

 とりかかりの方向性さえデータ化してしまえば、後は梅も真藤も必要ない。すべてコンピューターが正確に構築してしまう。

 商売敵と思っていた、システムヒューマンは、いち早くそのことに気づいた。それで、梅と真藤を危険な道に進ませないために、自社への転職を提案してきたのだ。

 敵でなかったばかりか、梅たちを世界の歪みに取り込まれる危機から救おうとしてくれた、ある意味恩人のような存在であったのだ。

 なぜそのようなことになったのか。それはスカイフラワーの業績が落ち込んでいて、このままではいずれ破綻してしまうと考えた、権田原専務の焦りから、事態が悪化していたからに他ならない。

 そんなあんな、様々な問題が複雑に絡み合った問題だったわけだ。

 梅は救われたのだと思う。そのような方向に梅を誘ってくれたのが、真藤だ。

 その真藤は、後始末のために、今もひとり奮闘している。

 わたしだけが安全地帯に逃げ延びた。それは梅にとっては心苦しいものではあった。だが、どこかで、ほっと、もしていた。

 ただ、生涯をかけて成そうと努力してくきたたものが、本の1mmすらも、他の誰かの喜びや楽しみにすらならなかったという現実は、やはり辛くて重い。


 しんこちゃの職務として、様々な問題が、相談やカウンセリングを通して、しんこちゃんの元に集まる。

 もちろん守秘義務があるから、誰がどうしたということは伏せてはいるが、社として職場環境の整備が必要なことは、しかるべき部署と相談して改善してきているらしい。


 梅は、フラワージェット蒲浜のプロ球団化の仕事に配置転換になったということになったいる。

 その立場を利用して、しんこちゃんは、社員寮の寮母である目黒さんの経済的問題の解決策も用意してくれた。


 そのようなものを手土産として、梅は、自然にフラワージェット蒲浜の仕事へと、その立ち位置を移した。


 仕事は忙しい。やらねばならないこしは山積しており、その進捗は大きく遅れている。

 だが梅は、移籍した経緯が経緯だけに、忙しく仕事はしていても、本当の意味では、身は入っていなかった。

 そしてそれがまた自己嫌悪へと、自らを落ちて行かせる。


 何をやっても、少しも楽しくなかった。

 こんなわたしがここにいてはいけないのではないかと、思いながらも、忙しさにかこつけて、流されるままになっていた。

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