第22話香織の秘密を知っちゃった
しんこちゃんについていった、メンタルヘルスセンターは、小さなカフェのようなところだった。
壁に向かって座れるようになったカウンター席がぐるっと、他には中央に丸テーブルが二つ、左奥に小さなキッチンがある。
今そこに、4人の先客がいた。壁に向かって座り、コーヒーを飲みながら本を読んでいる。ここって、おさぽり専門スペースなの?
「ここって、無料の喫茶コーナーみたいなもの?」
間抜けにも、そんな質問が出てしまった。
「飲み物のお金はいただきます。もちろん喫茶店ではないので、きちんとした料金表はありませんけど。なんとなくですが、200円前後は入れてくれますね。任意ですけど」
そう聞いても、どういうシステムなのか、今ひとつピンとこない。
「ここにします? それともわたしのカウンセリングルームにしますか?」
なんだか本格的な名称が出てきて、意味もなくどぎまぎした。
まだわたし、大丈夫だよね? 一応胸の中で聞いてみる。すぐに肯定する答えが浮かんでこない。これは、ちょっとやばいのかな?
「じゃっ、しんこちゃんのルームの方で」
専用個室があるなんて、まるで重役のようだ。
「わかりました。それじゃ、ちょっと待ってください」
しんこちゃんは快活な声で答えてから、喫茶コーナーに行って、ホットコーヒーを二つ手にして戻ってきた。
「どうぞ。こちらです」と奥に向かって歩いていく。
梅はその後に続く。
扉は自動で開くが、いわゆる一般の自動ドアではないみたいだ。たぶん、しんこちゃんが認証カードのようなものを身に着けていて、それに反応してドアが開く仕組みのように見えた。
しんこちゃんのカウンセリングルームは、ちっちゃなちっちゃな図書館のような内装だ。
ほぼ真ん中に丸テーブルがひとつ。それに似つかわしくない、ふかふかで立派なリクライニングチェアーがふたつ。奥の壁が書架になっていて、絵本や写真集のような大き目の本が、充分な空間を開けて、ゆったりと並べられている。
全体的に薄いページュ色で統一されていて、気持ちが落ち着く。もちろんそれを狙って設計されているのだろうが。
「かけてください」
しんこちゃんは、一つの椅子を指し示し、コーヒーをその前にひとつ置いた。
それから反対側の椅子に回って座ると、自分の前にもコーヒーを置いて、こちらを見る。
梅は向かい合わせに座ると、テーブルの上で、両手の手のひらを結び合わせ、すこしだけ強めて握った。
「ここでの会話は外には漏れません。録音機器のようなものもありません。そこはご安心くださいね」
本当に柔らかな笑みを浮かべたままで、しんこちゃんが言う。
「はぁ、まあ、そんなことは心配してないけど」
梅は自分のもの言いが、ちょっと何かにひっかかっているようで、恥ずかしさを覚えた。
「わたし、カウンセリングが必要なような顔、してたのかな?」
沈黙に耐えかねて、梅の方から訊いた。
あっ、はははは、と、しんこちゃんは明るく笑って、
「それはわかりませんけど、なんだか深刻そうな表情はされてましたよ」
と自然な調子で返してきた。
「そうか。してたんだ」
「何かを話さなくちゃいけないってことはありません。もちろん話したいってことがあるのならば、何でもお聞きはしますけれど」
なんだか洗いざらい話したいって気分だ。それは思考の整理にもなるし、気持ちの整理にもなるだろう。
だがその前に、訊かなくちゃならないことがある。
「あのさ。うちの課の香織とは仲良しでしょ? どういう関係なのかな?」
「それ、どうしても聞きたいですか?」
怒った風でもなくて、本当に自然な調子で訊き返してくる。
どう説明すればいいのか、と考えていると、それが表情にも表れていたのか、しんこちゃんは、あはははは、と、またまた気持ちよく声を出して笑ってから、
「いやいや。聞きたいですよね。そりゃそうです。あの香織のことですからね。わかります」
と自分の方から話し始めた。
「香織とは幼馴染なんです。中学校まで一緒でした。そこからは進学先も違って、お付き合いはずっとなかったんですが、この会社でばったり出くわしたんです」
なるほど。嘘を言ってるようには見えない。奇跡的な偶然だけど、現実では、往々にしてそのようなことは起こりうる。
だが、わたしもここの社員だけど、こんな組織があることは知らなかった。
いや、正確に言うならば、年に2度のアンケート調査が回ってくるから、こういう名の部署があること自体は知っていた。
しかし、ここに来る用も理由もなかったから、同じ社内にこんな、砂漠のオアシスのようなところがあったなんて驚きでしかない。
どんな風にして、香織としんこちゃんは再会を果たしたのか?
通路でばったりとか、社の玄関でばったりとか、エレベーターでばったりとか、色々考えられるけれど、たぷん香織は、ここにカウンセリングを受けに来ている。
そうでなかったとしたら、色々な社内の秘密を探るのが趣味のような香織のことだ、ここがどんな場所かを確めに来た。そのいずれかだろう。
「そうなんだ。香織が、しんこちゃって、あだ名で呼んでるから、すごく親しい友達なのかと思ってた」
「ああ。再会後ってことならば、けっこう親しいですよ。しんこちゃん、ってのも、小学生の時についたあだ名なんです。わたし、診察ごっこが好きで、それで、しんこちゃん。そのころはお医者さんになりたかったんですが、大学では心理学を専攻しました。だから今は、その夢が叶ってるって状態です。ここを訪れる人たちの問題って、やっぱり人間関係のものが圧倒的に多いんです。もちろんわたしには守秘義務がありますから、ここでの相談内容を香織に話すわけじゃないですけど、逆に香織の方は自分が仕入れた噂話は、なんの躊躇もなく教えてくれますから、それを鵜呑みにしているわけじゃありませんが、ここでの仕事にはかなり役立ってます」
なるほど。なんでも使い方次第ってことか。バカとハサミは使いよう、ってことわざが浮かんじゃった。香織、ごめん。
「香織、社内ではあんな風にふるまってるから、本当の香織を誤解されてるなって思ってます。でも、誤解されるように、わざとふるまってるところもありますけど」
なんだか、おやおやな発言だ。うん。香織って、ここでも不思議な生物なのかもしれない。
「本当の香織ってどんな香織?」
あはははは、と、しんこちゃんは、またまた快活な笑い声を上げてから、
「香織から、よく梅ちゃんさんのお話、聞いてたんですけど、そういうのは不得意だったんじゃないのですか?」
と柔らかく聞いてくる。非難されているようなトーンは、まったく感じない。
それにしても、だ。確かに最近のわたしは変だ。こんなに他人のことが気になるような人じゃなかった。気になったとしても、詮索するなんて、とんでもない。それが今までの、わたしだったはずなのに、本当に、どうしちゃったんだろう、わたし。
「香織のことならば、守秘義務も何もないと思いますから、お話ししますよ。だって香織も梅ちゃんさんのこと、本当によく話してますからね。わたしが香織のことを梅ちゃんさんに話したからって、香織は怒ったりしないでしょうし、逆にうれしかったりするのかな?」
おいおいおい。若い女子。その発言は気になるぞ。差別なき世界って言われるけれど、あれはちょっと意識し過ぎだと思う。でもさぁ、やっぱりそっち方面から言葉が飛んでくると、構えちゃうよな。
「香織って、ああ見えて、実は帰国子女なんです。お父様は外交関係のお仕事で、その赴任先に、家族で行ってたらしいです。で、なんと、香織って、バイリンガルもバイリンガルなんですよ」
ちょっと、ちょっと、バイリンガルの可能性は否定しないけれど、そうなるには年数が合わなくないですか?
「えっと、英語、フランス語、スペイン語、まあ、ラテン語全般って言ってもいいですけど、ロシア語、中国語、韓国語、インドネシア語、インドは名前は忘れちゃったけれど、古くからの地方言語までしゃべれます。あっ、イタリア語も忘れちゃいけないですね」
「それって、どういうこと? 帰国子女だからって、話せる言語があまりにも多くない?」
「趣味なんですよ。香織、語学の勉強が大好きで、もう、オタクレベルで、趣味越えちゃってますかね」
そりゃぁ、まあ、そんだけの言語が話せるのならば、とうに趣味は超えているわよ。だけど、なんで、そっち方面のオタクになったの?
「それだけの言語を勉強するきっかけみたいなものがあったのかな?」
あああ、本当にどうしちゃったんだろ、わたし。またまた詮索したいって気持ちを、そのまま言葉にしてしまってるじゃないの。アホなの、わたし。まあ、アホだとしいう自覚はないでもないんだけれど。
「これも見えないと思いますけど、香織って、ミリタリーオタクなんですよ。それもウェアーよりも、ウェポンの方により興味があるという、ハード系なんです。お父様のお仕事の関係からなのか、航空機関係が特に好きみたいですよ」
ウェポンオタク? ウェポンって武器のことだよね。麻雀の上ポンでも、ポン酢の上ポンでもないよね。それらだったら、上、ってつくのが、おかしいものね。
って、なんとなく想像していた方向に、話が向かっている。ちょっとだけ、そうじゃないかなと思ってた。その悪い予感が当たっちゃったってこと?
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