第19話時限爆弾が届きました

 いつもよりもかなり早くからサッカー部のグラウンドと施設に行っていたから、それだけ濃い経験ができた。

 渡良監督に、寮のおばちゃんの目黒さんの窮状を話した。

「俺からも上にあげるけれど、こういうことはお前さんの方が有利だ。会社の経理だの、総務だの、お前さんの上司なんかに今の話をして、いくらかでも補助してくれないかと頼んで欲しい。もちろんそれまでは俺も自分の貯金から援助する」

「いやいや、監督。そんなことしても目黒のおばちゃんは喜びません。かえって怒る可能性の方が高いです」

「そんなことはわかってる。俺だって長年のつきあいがあるんだ。目黒さんがどんな人なのかは、それなりにわかっているつもりだ。だから、その金は、会社から出たようにして渡してくれればいい」

「それを聞いて、はいそうですかって、わたしが渡すとでも思ってるんですか?」

「梅も自分の貯金から援助するなんてことは言うなよ。俺が援助するって言ってんのは、何も俺の個人的な金を目黒さんにあげようってことじゃない」

「だったらどういう意味ですか?」

 ああ、やっぱりわたしはポンコツだ。もうすっかり腹を立ててしまっている。人間なんて、そうそう簡単にできるものだとは思わないけれど、それでもわたしの子供じみた対応は情けない。

「上が資金を出すと決めても、おこずかいのように、ほらって、出せないだろ。どうしても時間がかかる。その時間を稼ぐために、俺が援助しようって話だ」

 監督の言いたいことはわかった。確かに、その時間を稼ぐためには有効な手段だ。だけど、監督も、もう会社のサッカー部を率いているのとはわけが違う。プロサッカー球団になるんだ。つまり監督もプロの監督になるってことだ。なのに、そんな真似なんかさせるわけにはいかない。

「わかりました。わたしがお金を引っ張ってきたらいいんでしょ」

「おい、梅よぉう。そういうところ、なんとかせい。そんなにぷんぷんモードでいたら、会社とまともな折衝はできないぞ」

 地味ぃーーーに、デスってくれましたねぇ。それにその物言いは、最初からわたしに折衝させるって、決めてたってことですよね。そもそもおっちゃんが、上にかけ合おうなんて気は、これっぽっちもなかった、

と、そこまで思考して、そうか、この話、監督に聞かせるべきものじゃなかったんだ。なんてことしたんだろう、わたし。とやっと、思い至った。聞かせちゃったら、監督も後には引けない。それでなくともチーム力の底上げで大変な時期なんだ。その上に、こんな難題を背負っちゃったら、監督はダルマだ。手も足も出やしない。本当に、わたしってバカだ。いつもそんな風に思ってるのに、またこんなヘマやっちゃった。自分で自分のことをバカだと言えば、なんでも許されるとでも思ってるの? わたし。

「ごめんなさい、監督。聞かなかったことにしてください。わたし、全力でがんばりますんで。絶対にお金、引っ張ってきますから」

「梅、絶対って言葉は使うな。それ使うと、アホになるだけだ。何の覚悟にもなってない」

 ああ、こんなときなのに、こんな風に叱って教えてくれる監督は、やっぱりすごい監督だ。だから選手がついていくのよね。うん。絶対は、もう言いません。だけど、本当に必死になって折衝しますから。わたしの覚悟見せますから。待ってて。


 アパートに帰りつくと、冷蔵庫を開けて、今朝作っておいたお味噌汁を取り出した。

 お給料は、たぶん平均よりはたくさんもらっているとは思うけれど、やはり外食はなるべくしたくない。健康にも、気分転換にもいいと、自分に言い聞かせて、できるだけ自炊するようにしている。

 だとしたら、今わたしがやろうとしていることは、背徳の行為だ。

 うーーーん、と少し考えるふりをして、そんなことしても何の意味もないんだけど、まあ、キリスト教の食事前の十字架切りのようなものよ、って感じで流して、てきぱきとキッチンサイドのストッカーから、常温保存のできるパウチのご飯を取り出した。これはチーンしちゃうと、おいしくない。温めるならば、湯銭に限る。だが、きょうはそんな簡単な工程すら経由しない。

 きょうの献立は、ねこまんまだ。ねこまんま、って言葉は通じるのかしら。方言? 死語? なんでもいいけれど、簡単でおいしい。けっこうなヘビロテしている。

 お味噌汁を温めるのに合わせて、そこにパウチのご飯を入れて、混ぜるだけで完成だ。夏場なら、良く冷えたお味噌汁に入れてもおいしい。

 さくさくと食べて、寮の資金調達のレポートを書かなければならない。しかしチームの台帳がUSBって、やっぱり時代は変わったよね。セキュリティーとしては、どうかって部分もあるけれど、重たい資料を持って電車に揺られるなんて、今ではもう無理だとしか思えない。

 ねこまんまをかっ込みながら、プライベートのノートパソコンを立ち上げると、webメールが届いていた。

 しかし、このwebメールが、ここまで出世するとは、夢にも思わなかった。昔は、プロバイダーから割り当てられた、正式で安全なアドレスを使いましょう、なんて推奨されてたのが嘘のようだ。本当に隔世の感がある。あの頃のwebメールは、捨てアカウントの代名詞だった。

 今やwebメールは王で、皇帝で、神だ。なんでもかんでもこれと紐づけされている。これをなくしてしまえば、そもそも自分のパソコンも開けなくなる。様々な端末との同期なんて、やり過ぎだとは思うけれど、重宝している利用者も多いことだろう。

 梅は初期の頃から、webメールを第一アドレスとして使っていた。そこから発生したアカウントとのつきあいも、長くなった。

 プライベートなメインパソコンは、常時ネットにつないである。本当に大切な仕事をするときには、ネットに接続していない別のPCを使う。もちろんそれはWi-Fiに自動接続などさせないために、通信システムはみんな切ってある。それもご丁寧に、物理的にである。カメラやマイクも作動させない。

 利用しているwebメールのすごいところは、そのフィルタリング機能が充実しているところだ。いくつかに分けられているフォルダーに、ほぼ正確に振り分けられて収まる。

 その中の一番上位の重要メールのホルダーに届いていたから、驚いた。

 それも差し出し人が真藤になっていたから、なおさらだ。

 もちろん真藤は、このメールアドレスを知ってはいるが、これまで使ったのは、一度や二度くらいだ。いつもはスマホのアプリを使ってやりとりしている。

 それが今回はwebメール。なんか嫌な予感がした。それでもクリックするところまでは、ねこまんまをかっ込み続けていた。

 立ち上がったのはパスワードを入力するダイアログボックスだった。うん? パスワード? 今回については、別メールでのパスワードも届いていない。

 しかもなんとなくだが、このダイアログボックスは、結構なセキュリティーシステムが搭載されていそうだ。間違えられるのは、5回程度なのではないのか。さらそこに、他の端末などで使っている、重要なパスワードを入れて確かめるなんてこともヤバそうだ。それはどこかに流れてきっと記憶されてしまうだろう。

 あれこれと考えていて、ピンとくるものがあった。それは真藤の実家で飼われている犬の名前だ。少し前に、その名前のことでふたりで盛り上がったのを覚えている。しかも、なかなかユニークな名前で、パスワードとするにはぴったりだと思える。

 それはビンゴだった。

 メールを開き、本文を読み進めるとすぐに、その重大な示唆に、身震いが起きた。いったん周りを確めて、当たり前だが、誰もいないことを確認してから、添付ファイルのセキュリティースキャンを始めた。

 躊躇している場合ではない。早くそのファイルを開いて、これからの対策を立てないと。とんでもないことになってしまう。 

 

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