第18話完璧なミスでしょ、いいの?
グラウンドに行くと、思ってもみなかった光景があった。
いつものように渡良監督はグラウンドに向かい、キャンプ用の折り畳み椅子に腰を掛け、前かがみになって選手の動きを見ている。
その横に、きょうは背広姿の男たちが7人ほど立っていた。
何ごとだろうか。プロ化に進む関係のものだとは思うけれど、これだというものは思い浮かべられない。
「ああ、梅か。こっちに来てあいさつしなさい」
渡良監督は梅に気づいて声をかけてきた。
梅は急ぎ足で監督の横に向かった。
「華咲梅さんですか?」
背広姿の中のひとりが訊いてきた。がたいがいい。サッカーというより、ラグビー選手を連想させるごっつさだ。背も高いが、横幅ががっつりある。良く日に焼けた顔の肌は、銅のように輝いている。年のころは、40代前半というところだろうか。
「はい。華咲梅です」
なんで名前を繰り返したのよ。ちょっと自分の物言いが無様で腹が立つ。
「フラワージェット蒲浦のGMの高木です。よろしく」
高木が手を差し出してきた。もちろん握手ということだろう。梅は少し躊躇した。ここで手を差し出せば、もう後には引けなくなる気がしたからだ。けれども、何から引けなくなるというのだろうか。
少しの間は空いたが、手を差し出して握手を交わした。
「高木さんはプロサッカー球団立ち上げのエキスパートだよ。トップカテゴリーの選手へのパイプも太い。もちろん金の卵たちへの注意も怠らない。それになにより俺の戦術を理解してくれている。これからはこの球団の顔となってもらう人だ」
説明はちゃんとわかったけれど、それがわたしにどう関わってくるのかという点だけが気になる。
「こちらの方たちは、わがチームに出資するかどうかを決めるためにこちらに来られた。今日はそんな集まりなので、個々のお名前は明かさない。けれども説明を求められれば、よろしく頼むよ」
高木は快活な口調で言って笑顔になる。
梅はグランドに目を向けた。
あれっ? 昨日あれほどすごい連携を見せていたチームが見る影もなくガタガタだ。どうなっちゃったの?
プレーの意図が伝わらず各所でボールが止まる。その度に、とうぜん激しい意見交換が行われる。ずっとこんな調子なのだろう、言い合う選手たちは、いら立っているように見える。
こんなところを視察されたんじゃ、将来性がないと思われ、出資なんかしてくれなくなるんじゃないだろうか。
そっと背広姿の人たちの様子を盗み見る。
高木を中心にして、それぞれが選手の方を指さしながら、何やら話し込んでいる。ここから見ても、かなりの熱量を感じる。
「梅。緑とオレンジのビブスを出してくれ」
監督はそう梅に命じると、選手たちに合図を出して、集合させた。
きょうも前に進み出たのは、弦と康太さんだ。
渡良監督は、弦に緑のビブス、康太さんにオレンジのビブスを渡す。ふたりはそれを持って、選手の間を歩きながら、そのビブスをそれぞれが思う選手に渡していく。
間もなく、2チームとサブに分かれた。
「よし。それじゃやろうか」
渡良監督がパンパンと手を叩きながら、鼓舞するように言った。
弦の選んだチームは、新しく加入した選手と、これまでレギュラーを張ってこれなかったメンバーで構成されていた。
弦がトップ下に入り、ボランチの近くまで下がって出し入れしたり、新戦力のトップの源内さんが巧みなポストプレーで落としたボールをみんな納めて、ゲームをコントロールしていく。
さきほどまでのガタガタだと思えたひどいプレーが、かなり少なくなっている。流れるように、とまではいかないけれど、それでもパスも、オフザボールの動きも、その意図が明確に伝わり出したようだ。
渡良監督がグラウンドに向けて声をかけた。
弦のチームのDFの友井と日下が、康太さんのチームの元々のチームメンバーであったDFの田村と村田と、チェンジする。。
さきほどまで素晴らしいバランスで機能していた弦のチームのプレーがたちまちおかしくなった。
これはもう康太さんのチームの勝ちかと思って見ていると、ひとつ、またひとつと、康太さんのチームのボールの出どこが潰れていく。
それを指揮しているのは間違いなく弦だ。
自らのバランスを崩しても、周りの選手が生きるフォーメーションとなるよう、ボールのないところでの動きがずば抜けている。
ならばそちらの選手をケアしようと相手が弦のマークの手を抜くと、たちまち一番効果的な場所に顔を出し、ワンタッチで局面を変えてしまう。
今まさに、弦によって、ワンタッチでさばかれたボールに反応した源内が、ペナルティーアークに入っていこうとしている。
決まった。梅がそう思った瞬間に、すごい速やさで平井がスライディングして源内のシュートコースをふさぎに行く。
あっ、ひとつ前だったんだ。もう打てない。日下も戻ってきている。
源内は何事もなかったかのように、右のアウトサイドで、右のコーナーに向かって、ゆるく、高く、ボールを上げた。
誰もいない。友井も日下も、源内の決定機をつぶすために左にシフトしている。
源内が自らそのボールに向かって走る。速い。追いつくかもしれない。こんなプレーで追いつくなんて、あり得ない。
反応した日下が、万が一、源内が追いついたときのために、ゴールとの間を詰めに走る。
驚いたことに、源内はボールに追いついてしまいそうだ。ただし、ターンする余裕まではない。ボールに触れたとしても、そのままタッチを割る。
万が一に賭けて、弦も走り出している。それに合わせて康太さんもついていく。
友井さんがゴール前に戻ったので、日下さんもスペースを詰めにいく。
源内はボールに届く寸前で倒れた。倒れたかのように見えたが、その背中にボールを当てて、タッチを割らせない。
あり得ないプレーだ。もう驚きは、とうに通り越している。だがもう一度立ち上がってプレーするのはさすがに無理だ。
弦が届くのか。
しっかり追走する康太さんと日下の間合いが、弦が届いても自由は与えないだろう。
弦が届いた。だがキープする間も、ターンする間もない。ノールックで、ヒールでバックパスした。
そこに誰もいない。
えっ? なんでそこがフリーなの? さすがに誰か詰めに行ってなきゃ嘘でしょ。
弦がターンして、ヒールで後ろにやったボールに正対する。追走してきた康太さんが弦の行く手を遮る。
なんかすごいプレーと、どうしてなの? って叫びたいくらいの凡ミスとのアンマッチが起きている。
一瞬時が止まって見えた。
そんな中で、スローモーションを見るかのように、転がったボールに源内が近づき、そのまま反転しながらシュートを打った。
「いやぁ、いいプレーでしたねぇ」
プレーに視線を向けていた背広姿の一団から、誰からともなく、そんな言葉が漏れた。
「今後の可能性は感じられるプレーでしたけど、あのスペースが埋まってないって、完璧なミスです」
思わず、梅の口からそんなセリフが飛び出した。
しまった。何もこんなことを、今、言わなくてもよかった。なんてこと指摘してんのよ、わたし。
「いやいや。今が完璧である必要はない。そのための練習なんでしょ。わたしは充分可能性を感じましたよ。喜んで出資しますよ」
背広組の一団が、次々に梅の肩を叩き、それから高木と握手を交わしている。
なんかわかんないけど、うまくいったみたい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます