第15話香織の仕事は不思議な仕事

 監督と康太さんとのラインのやり取りでかなり落ち着きが取り戻せた。

 寝付けないとは思ったが、明かりを消してベッドに横になった。うつらうつらとした記憶はある。浅い眠りではあったが、一睡もできなかったわけではなかった。

 いつもよりも早い時間にアパートを出た。


 オフィスに着くと、香織はまだ出社していなかった。

 まっすぐに開出のところにあいさつに行く。昨日あんなやり取りがあったのに、開出にとりたてての変化はない。

 開出は、あいさつを返すと、梅のデスクに向かう。カードリーダーに社員証を読み込ませて、ディスプレイを立ち上げ、ログイン画面が出てきたのだろう、パスワードを入力した。

 梅は開出のデスクの前で待つ。もちろんここからは、梅のデスクは離れていて、入力されたパスワードは読み取れない。その作業を見ている、他の誰かもいなさそうだ。いつもの平和なオフィスのままだ。

 戻ってきた開出に、

「ダプルパスワードって、誰に設定してあるんですか?」と訊いた。

 変なことを聞いている。もちろん自覚はある。そしてそれは答えられない質問だとも。けれども今は知る必要がある。

「俺が関わってるのは3人だ。そんな変な質問は、みんなの前でするな」

 開出は怒っているわけではない。わたしが納得できる最低限の答えを教え、そして本当に必要なことを命じた。それだけだ。いつものような軽口は叩かないが、それもこのタイミングでは平常運転だ。


 梅は自分のデスクに向かう。ディスプレーには、いつものように自分のログイン画面が表示されている。社員証をリーダーにかざし、パスワードを入力する。

 システム設計のデータには、すぐにアクセスしなかった。そこへ入るには、もうひとつ別のパスワードが必要だ。

 この状態で表示されているのは、社の誰もが使うメニューだけだ。もちろんそれも、誰が何を入力したかなんてことはわからない。

 作業のログは保存されていると噂されている。そして、実際保存されていると思っている。それがすべての社員を同質に行われているのか、特定の社員だけ別なのか、そんなことを考える。

 何か問題がありそうだと判断された人物の作業ログは、逐一ライブで見れるようになっているとは思う。

 それを行っているのは、はっきりと組織図に示してある、システム管理室なのか。それとも一般社員には知らされていない別の部署があるのか。

 いずれにしても、同時に多くの社員の作業ログをライブで見れるシステムとはなっていないだろう。だがそれで充分でもあろう。このシステムからテータを抜くなんてことはできそうにない。


 ならば、もうひとつのパスワードを入力して進むエリアはどうなのか?

 そちらについては、わからないことが多い。

 もちろんどの端末もインターネットには接続できない。ネットを利用するときは、指定された専用機から行う。

 だからその秘密のデータエリアは、完全に閉じられていると思っていた。だが本当にそうであろうか。そこに蓄積されるデータは会社にとっても価値が高いものが多いはずだ。それを個人任せで放置しているとは考えにくい。

 梅がそのデータエリアで作業をしている間、他者の存在を感じることはない。だから作業中に何らかのチェックが入っていることはなさそうだ。ただ保存するときは、一般のものとは別の、特定のストレージに蓄積されているはずだ。

 そこからデータを抜くことはできるのか。イントラネット自体をハッキングするならば、外部からでは不可能ではないかと思う。ならば内部からならば、それは可能なのか?


 そんな考え事をしている内に1時間ほども経ってしまった。

 香織のデスクの方を見る。そこに香織の姿はない。とっくに始業時間になっている。

 隣のデスクの藤井に、

「香織遅いですね」と言ってみた。

「あら。梅ちゃんは聞いてないの? 香織は今日から三泊四日の旅行よ」

「旅行ですか? どこに?」

「タイだったか、ハワイだったか、とにかく海外旅行よ」

 いやいや、海外旅行と一口に言っても、タイとハワイじゃかなり旅の性質が異なる。他人のことって、そんなに関心がないものなのか。っていうか、今までのわたしだったら、もっと、まったく、完璧に興味など抱かなったはずだ。

「香織。何か言ってました?」

「あらら、変なこと訊くのねぇ。梅ちゃんがそんなこと訊くって、珍しいわね」

「いや、ちょっと、香織に頼んでいた仕事があったもので」

「旅の期間に締め切りが来る仕事は、すべて処理して、ホルダーに入れてるって言ってたから、開出リーダーに取り出してもらったらいいわ」

「香織の端末、開出リーダーは立ち上げられるんですか?」

「そりゃそうでしょ。それができなきゃ、香織の仕事は進まないんだし」

「またまた変なこと訊きますけど、香織ってなんの仕事をしてたんでしたっけ?」

「本当に変なこと訊くのねぇ。最近、梅ちゃんが変だって、課内でも噂になってるのよ。他人にまったく興味のなかった梅ちゃんが、他人のことを気にしだしたって」

「すみません。ちょっといろいろあって」

「あっ、でもみんな、それが嫌だと言ってるんじゃないのよ。やっと打ち解けてくれ出したって、どっちかというと喜んでるの」

 あたしってそんな堅物だったのか。それとも妖怪? 怪物? 変態?

「香織はこの課の人員の作業進捗を管理するのが仕事よ」

「作業進捗を管理してるって、それって、この課の人員のPCにアクセスできるってことですか?」

「そうじゃないと思うわ。どういうシステムになっているのかはわからないけれど、開出リーダーから指定された作業進捗を、数値化しているはずよ」

 うんっ? それならば、本当に香織がわたしのデータを抜いたのかもしれない。だってそんな仕事をしてたのなら、なんだかできそうじゃない。そしてそれはまた開出にも言えるってわけだ。

「ありがとう。作業中に変なこと訊いてごめんね」

 梅がそう言うと。藤井は、

「仕事のやり過ぎで、疲れてんじゃない。梅ちゃんこそ、有給取って、旅行にでも行ったほうがいいわよ」と言って、笑った。

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