42、日々、変化する
「あるじさま! きれい!」
装いは、中に着る掛け下も上に羽織る打ち掛けも、白色の婚礼用。白無垢姿といわれる姿だ。
桜子を見て、もみじがきゃっきゃとはしゃいでいる。綿帽子をかぶせてもらう瞬間、嫁ぐのだという実感が湧く。
「きれいだねえ」
「よかったな」
お手伝いで来てくれた中田夫妻は、実の親のように甲斐甲斐しくお世話をしてくれた。キヨとウサ子を始めとするあやかし族の使用人も、気合を入れて準備をしてくれる。
「なんだか自分の娘を見送るような気分になっちゃう。この空気に酔ってしまったのねえ」
「はは、おこがましいや。だが、そうだな……」
中田夫妻がほんわかと語り合っている。中田のお母さんは目を潤ませていて、中田のお父さんは鼻のてっぺんを赤くしていた。キヨはそんな二人に無言でハンカチを渡して、自分も感慨深そうな顔をしていた。
親しい人たちを見ていた桜子は、中田夫妻のお店『にゃんこ甘味店』でよく流れていた歌謡曲を思い出した。
嫁入りをテーマにした歌詞には「生まれた家との縁が切れる」という意味を示唆する言葉もある。思えば、女学生がよく着る矢絣の着物柄は、射た矢が戻ってこないことから「嫁に行ったあと戻らないように」という願いがこめられているのだ。
(ああ、こんなあたたかさの中にいるから、花嫁はしんみりするのかもしれない)
胸の中に、ストンと納得する感覚があった。
巣立ち、戻らない。見送られて、昨日までと違う新しい人生のステージへと進む。
桜子はそんなことを考えながら、中田夫妻に問いかけた。
「中田さん、私、これからもお店で働かせていただいてもよろしいですか? 京也様も『第二の家みたいな居心地のよいお店で書き物をするのは
中田夫妻はびっくりした様子で二人揃って目を見開いてから、とびきりの明るい笑顔を返してくれた。
「もちろんよ」
「大歓迎だ」
笑顔を交わし合うみんなの足元には、『にゃんこ甘味店』の看板猫のミケもいる。
「にゃあん」
ミケは、中田夫妻の前では普通の猫のふりをしている。
桜子はそれが、人間たちを怖がらせないようにするためだろうかと思った。
(私の周りにいるあやかし族はみんな優しいけど、全員がそうではなくて、人間の側にも『あやかし族は怖い』っていう意識の人が多いもの)
支度を終え、案内されて移動すると、京也が待っていた。
ぱちりと目が合って、桜子は
「……」
思わず目を奪われ、じーっと見つめること、しばし。
(あれっ?)
桜子は奇妙な沈黙が続いていることに気が付いた。
まるで時間が止まってしまったみたいに、京也が動かなくなっている。
「京也様?」
「あっ」
名前を呼ぶと、自分をで瞬きをする。続く声は、蕩けそうな甘さを含んでいた。
「すまない、きみの美しさに見惚れていた」
照れたようにおっとりと微笑む京也を見て、桜子は愛しくなった。
「私も、京也様に見惚れておりました」
自然と言葉が口をついて出る。こんなとき、桜子は自分が変わったと感じる。
京也はそんな桜子を眩しそうな眼で見つめた。
「桜子さんは、かわゆい。どんどん美しくなる。外見だけじゃない。その心の在り様が、成長していく様子が、とうとくて、眩しい感じなんだ。……俺は日に日に変化するきみから目を離せないよ」
「……京也様のおかげです」
雅楽が演奏される中、花嫁行列が進む。寄り添って歩く指先を絡めるようにして、手をつなぐ。
もみじが赤い和傘の上で、雅楽にあわせた可愛い歌声をひびかせている。
桜子はお神酒の代わりに、清められた水をいただいた。ひんやりと冷えていて、からだの内側から清められていく心地がする。
誓いの言葉をとなえたあとは、結婚指輪を交換した。お揃いの指輪が互いの指に光っているのをみると、嬉しくて頬がゆるんでしまう。
やがて、
夫婦になった二人を祝福する声と一緒に、折り鶴や花が華やかに周囲を舞う。
なにもない空間から湧き出てくる花を見ていると、耳元にひらりともみじが寄ってくる。
「きょうやさまのお花」
もみじは、こっそりと教えてくれた。
「うれしいと、咲いちゃうの」
喜びが花のかたちになって溢れ出る――それは神秘的で、なんだかとても素敵なことのように思われた。
季節外れの桜が満開に咲いて、あたり一面が幻想的な花景色に染まっていく。
天狗皇族の霊力って、すごい。
「京也様、私、以前はあやかし族のみなさんが怖いと思っていました。でも、『おお、大帝都にあやかしの旗は燃えて』は、人間味のあるあやかし族がたくさん出てきて、人間と仲良くなっていくお話で。夢があるお話に思えて、楽しかったのです」
生まれ育ち、価値観。能力、場合によっては、寿命も異なるあやかし族。
けれど、物語の中の彼らは、人間と同じように悩んだり、喜んだり、悲しんだりしていた。
人間と同じだよと言って笑い合っていた。
――そして、それは現実の彼らも同じなのだ。
桜子は、今そう思っている。
「末端まで意識を行き届かせるのは時間がかかるが、あやかし族と人間が対等に親しく共存できる社会を目指したいな」
京也はそう言って花景色の中、はるか遠くの美しい理想を見つめる眼をした。
* * *
吉日、
皇族の殿下が、人間の娘を嫁に迎えることを公表し、婚姻の儀を行ったのだ。
「元は魔祓い承仕師のお家柄で、妖狐の家で虐げられていたのだとか」
「玉の輿ってやつだね。羨ましい」
「第二皇子殿下は、なかなか婚約者が見つからなかった方なのだとか。よかったですわね」
帝都の民は哀れな平民の娘のシンデレラストーリーに夢を持ち、好意的にその話を受け入れた。
「噂の皇族の殿下――京也様は、品位ある装いで花嫁におなりのお嬢様をお迎えになられました。一方、花嫁となるお嬢様は、清楚な花嫁衣裳に身を包み、緊張と興奮が入り混じった表情で殿下の前に進みました」
訳知り顔で婚姻の様子を語る少年の前を通りかかった
「京也、様……」
咲花は、自分が原稿を書かせていた書生を思い浮かべた。
「あの書生と同じ名前だけど、まさかね……?」
いつも同じ格好をしていて、不審人物のように顔を隠している。
そんな書生が、まさか、まさか――
「婚姻届にサインする瞬間、殿下の筆が紙面に触れる音が静かな室内に響きました。花嫁となる娘――桜子様も緊張と喜びに胸を膨らませ、手にした筆を優雅に走らせました」
咲花は頬を引き攣らせた。
「さ、桜子様……ですって」
執事に視線をやれば、執事も「まさか!?」という顔である。
「え、え……二人そろって同じ名前という偶然、ありまして……っ?」
高貴で特別な人物が、知り合い?
ゴーストライターをしていたりする? お姉さまと呼ばせていたりする?
咲花は蒼ざめた。
「客人たちが着席し、神聖な空気が漂う中、京也様と桜子様は神前に進みました。神主が
ボクの眼も大洪水で、と熱弁する少年は、妖狐族だった。愛嬌たっぷりの声と親近感の湧く容姿のおかげで、周囲の人々はあまり怖がったりはしていない。
少年の声は、情感たっぷりに語り続けた。
「誓いを交わす瞬間、出会いと決意、未来への希望がひとつになる瞬間が静かに訪れ――さて、そのお二人の運命の縁結びの場となりましたのが、ここからすぐの通りにあるにゃんこ
少年――犬彦が「にゃんこ
「や、やっぱり、同一人物~~っ……」
「お、お嬢様ーー‼」
ふらぁっと気を失って倒れた咲花を、執事は慌てて介抱した。
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