37、譲ってくれないか

 霊力というものは、どんな生き物にも備わっているのだという。

 

「それこそ、草や木、大地にもある。地脈、という言葉を聞いたことがあるだろう?」


「は……はい」


 術を教わることにしたものの、桜子は困惑していた。


 京也が術を教えてくれる場所は、京也自身が幼少期から先生に術の使い方を習うときに使っていたという『湖水こすいの間』。

 皇宮はどこも広いが、この『湖水こすいの間』は特に広い。

 棚もちゃぶ台もない。座布団は人数分、必要なだけ用意されている。

 畳敷きで仕切りの襖が開かれた和空間が左右にずーっと続いているように見える。

 もちろん、無限に続いているなんてことはいくらなんでもないと思うが、そう錯覚してしまいそうなほど、広い。


 そんな空間の真ん中あたりで、桜子は京也に後ろから抱っこされて座っている。


「人間の場合は、この丹田のあたりに霊力の源が……」


 桜子の手をお腹のあたりに導く京也が言葉を切ったので、説明を待っていた桜子は首をかしげた。

 

「京也さま?」

「……霊力が感じられるようになると、次はそれを動かす段階になり……」

 

 何事もなかったように、話は続く。


「無言でもいいのだが、自分を奮い立たせたり、術が起こせると確信できるような文言をとなえるのもいい」

「あっ、よく陰陽師などがとなえている、『急ぎ律令の如きにせよ』、とか『オン、なになにソワカ』ってやつでしょうか」

「そうだね。前者は『俺の命令の通りにしろ』、後者は『俺の願いが叶いますように』といった雰囲気だろうか。活用方法例としては、流れ星に願いをするときに『オン桜子さんと仲良くしたいソワカ』ととなえるような」

「その活用方法例はわかりやすいようでいて、なんだか違和感がすごいような……?」

 

 自分の手でお腹を触りながら霊力を意識しようとした桜子は、背中ごしに伝わる鼓動と体温に気付いた。妙に熱くて、鼓動は速いような。


「京也さま、ご体調が優れないのでしょうか?」

 

 心配になって問えば、京也はぶんぶんと首を横に振った。


「いや、俺は壮健だ。健康に不安はない」


 余裕たっぷりの表情で、落ち着いた声だ。そこに無遠慮は声をかけるのは、犬彦だった。うしまると一緒に、教材をたくさん運んでくれている。


「また妙な妄想をしそうになったのですよね、京也様? どうせ『新婚みたい』とか将来の子供とか妄想なさっていたのでしょう」

「なっ。そ、そんなことは……あるが」

「あるんですか」

 

 桜子は赤くなった。 

 犬彦が横からじっとりとした眼を向けて、「原因はわかってますよ」と桜子の手に添えられた京也の手を引っぺがす。


「まだ婚前でございますからね。あまり密着して京也様が狼さんになってもいけません。適度な距離感と守り、節度ある交際をなさいませ!」


 教材を置いたあと、ぐいぐいと二人を離すようにした犬彦に、もみじが「さんかくかんけーい!」とはしゃぐ。


「犬彦、お前……桜子に懸想しているのか?」


 京也はもみじの声にショックを受けた顔をしてから、剣呑な声をあげた。


「えっ……ちがいます、ちがいますっ」

「違うのか? だが、三角関係なのだろう? はっ……まさか俺のことが好き……」

「京也さま! 妄想が過ぎますよ!」


 とんでもない誤解に犬彦が悲鳴をあげた。

 

「すまない犬彦、俺は桜子さん一筋だから」

「その信じてしまわれた感じ、不快でございます!」

  

 犬彦と京也がじゃれあっているのを背景に、うしまるが白い和紙と千代紙を並べる。

 

「きれいな千代紙ですね」

 

 桜子は京也が飛ばしていた折り鶴を思い出して千代紙を手に取った。

 

「これで折り鶴をつくったり、式神人形をつくります」

「つくってみてもいいですか?」


 折り目正しく丁寧に鶴を折ると、京也は鶴に命を吹き込んで式神として飛ばしてくれた。


「ところで桜子さん」

「はい?」


 京也の指が、髪に触れる。お気に入りの髪飾りに。


「この髪飾りなのだが」

「はい」


 なにやら改まって、怖いほど真剣な顔だ。近くにいた犬彦がびくっと反応している。そういえば、髪飾りは犬彦からの贈り物だ。


「可愛いな。俺は実は、この髪飾りがほしいのだが」

「えっ、京也様が?」


 京也はその通りと肯定して、髪飾りを撫でた。


「新しい髪飾りを贈るから、これを俺に譲ってくれないか」

  

 犬彦を見れば、カクカクと首を縦に振っている。「譲って差し上げてください!」と目で必死に訴えてくる。桜子は頷いて、髪飾りを京也に譲ったのだった。


「犬彦」


 京也の美しい流し目が、犬彦を見る。


「お前にも褒美をやろう。いつも尽くしてくれているゆえ。……俺は、お前の存在が頼もしい。今後もよろしく頼むぞ」


 天狗火を部屋中に舞わせて言い放つ京也は、やわらかな笑顔の中に殺気のようなものを秘めている。犬彦はきつねの尻尾を丸くして、「はっ!」と頭を下げた。


「ぼっしゅう! しっと! さんかくかんけい! しゅらば~!」


 もみじが愛らしい声でなにか言っている。あまり深く考えない方がいいような、考えてあげたほうがいいような。微妙な気分になりつつ、桜子はうしまると新しい折り鶴を折った。


「桜子様、術の練習をしてみてはいかがです?」

 

 うしまるは、桜子と話すときは京也たちと話すときよりも声の大きさを小さくしてくれる。「怖がらせないように」と配慮してくれているのだ。

 

「ありがとうございます、うしまるさん」

「桜子様、うしまるとお呼びください」


 うしまるがぺこりとお辞儀をして、その拍子に白くて長い前髪がさらりと揺れる。いつも隠れている目が一瞬見えた――優しそうだった。

 

「うしまる……」


 呼んでみると、うしまるはニカッと白い歯を見せて笑った。

 その笑顔が「話しやすいお兄さま」といった気配なので、桜子は気になっていたことを尋ねてみた。


「そういえば、うしまるは鬼族なのですか? それとも、う、牛族……?」

 

 あやかし族の中に、果たして『牛族』という種族はあるのだろうか。

 なんとなく気の抜ける響きだ。


「鬼族です」

「あっ、鬼族だったのですね」

「友人に牛族もいます」

「あ! 牛族もいるんですね」


 真実がまたひとつ、明らかに。

 謎が解けてすっきりした桜子は、うしまるの角を見た。


「立派できれいな角ですね」

「……! ありがとうございますッ!」


 うしまるはブワワッと顔を赤らめた。嬉しそうだ。


「種族特徴を褒められるのは、どのあやかし族にとっても最大級に誇らしいことです」

「そうなのですか」

 

 桜子が相槌を打ったとき。

 

「あっ、うしまる、抜け目ない。ボクも『犬彦』と呼び捨てでよいのですからね! ね!」 


 犬彦が両手をばんざいする姿勢で頭から畳の上を滑りこんでくる。ばさあっと千代紙が散らばり、ひらひら舞って、うしまるが呆れた顔をした。


「ね!」


 上目遣いにおねだりされて、三回目の「ね!」を言われてしまった桜子の頬がゆるむ。弟がいたら、こんな気分だろうか。


「はい、わかりました。犬彦」


「わーい」


 無邪気に喜ぶ犬彦に、京也とうしまるは視線を交わし合い「どう思う?」「これはまだお子ちゃまで恋とかいうレベルに達してないんじゃないですかね」とささやき合っていた。


(な、なにをご心配なさっているやら)


「桜子様、折り鶴に息を吹きかけてみてくださいまし。こうでございます」

「はい。えっと……こうでしょうか?」

   

 犬彦がお手本を見せてくれるので、桜子は折り鶴に霊力をこめてみた。京也が霊力の流れを教えてくれて、それを意識しながら力をこめると、折り鶴は命を吹き込まれたみたいにパタパタと動き出した。


「……! 私にも、できた!」


 パァッと顔を輝かせる桜子に、京也がにっこりとする。


「きみの世話係を思い浮かべて、『この部屋に来てほしい』と念じてごらん。無言で念じるのが難しければ、口に出してみてもいい」

「……キヨさん、ウサ子さん」

 

 優しい二人の名が自然と口をついて出る。

(今、呼びつけてもいいのかしら? 忙しくしていないかしら?)

 そんな思いを浮かべていると、折り鶴は羽を上下させて部屋の外へと飛んでいく。


「あっ、飛んでいきました!」

 桜子が声を上げると、犬彦とうしまるが「いってらっしゃいまし」「ちゃんと仕事をするんですよ」と折り鶴を見送った。

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