第5話 海

―――8月13日 7:20 快晴 気温37度


アトラクション騒動から一夜明けた朝、今日も僕は早起きをしてネットをしていた。相変わらずお目当てのトレカに関する事を調べていたのだけど、昨日のリカの顔がチラついて離れない。そう思うとトレカもかすんで見えた。ゲームもする気になれない。アニメも非現実的。気になるのはリカのライブ――――

彼女の演奏だけが今の僕の心にある熱いもの。僕は帽子を被り、おこづかい3千円を手にした。どうしても確かめたい事があったからでもあった。


―――8月13日 9:40 快晴 気温40度


今日もライブハウスは盛況だった。

「はい3千円お預かり、500円のおつりね。ドリンクは奥でね」

もぎりのお兄さんを通過して、すばやくドリンクを貰う。そして急いで最前列に着く。彼女の演奏は早い時間帯に始まるからだ。

ステージに光が差し、彼女の演奏が始まった。今日はロックな曲調だ。皆ノリノリで曲に合わせて踊っている。

今日は僕に気付いてくれるだろうか。と、彼女とバッチリ視線が合う。が、今回は笑顔をくれる事は無かった。何とも言えない胸騒ぎが僕の心をよぎったけれど、そのまま僕は演奏を聞き続けた。彼女の演奏が終わると、ステージ上に花束が投げ入れられた。リカはそれを受け取り、その時だけ始めて笑顔を見せた。そのまま僕は他の演奏を聞いていた。


―――8月13日 11:10 快晴 気温42度


ステージが終わったので僕は帰ろうとした。が、どうしても確かめたい事があったので、何とかならないかなと考え始めていた。色々考えたが策が見当たらない。とうとう万策尽きた僕は、ステージのバックヤードからリカに会いに行く算段を固めた。思ったらすぐ実行だ。僕は一度ステージを出て、後ろ側に回り込んだ。幸いガードは緩く、ドアも鍵がかかっていなかった。帽子を深々と被り、中へと歩を進める。

中は暗かったので僕が目立つ事は無かった。そのままずんずんと進んで行く。と、叫び声が奥から聞こえて来た。それはよくよく見ると、リカと男性のやりとりだった。

「…私はもっとロックしたいの!分かってるでしょ?」

「でも音楽はロックばかりじゃないんだぜ?」

「ロック以外の事がしたいなら、先にロックで売れてから出すのが筋なんじゃないかしら!?」

何やら不穏な空気だけが漂っている。気が緩んで思わず前で眺めてしまっていたため、リカに存在を気づかれてしまった!いけない!

リカは僕の手を握り、

「行こ!」

と先へと促した。リカと揉めていた男性は、しょうがねぇなという体で棒立ちになっている。


―――8月13日 11:20 快晴 気温42度


「どこにいくんだよ?」

手を握られて彼女の支配下にある僕は彼女に訊ねた。

「どこでもいい」

僕と彼女はしばらく手をつないだまま街を歩いた。歩きながらリカは泣きそうな声で言った。

「バンドメンバーとね、全然うまくいってないんだ」

「…そう」

上手い言葉が見つからず、気の利かない返事をしてしまう。

「いっそ解散しちゃおうかな!なんてね」

「僕はリカのギターが聴きたいよ」

「ファンもいるのはわかってるんだ。でもね、それ以上に耐えられないくらいつらい事を抱えてるとしたらどうする?」

彼女が初めて大っぴらに弱さを見せたのかも知れなかった。

「あーっもう海行こ海!!」

「えーーっ!?」

彼女はやけっぱちに突飛な発言を口にした。

「今から?」

「そう今から!」

確かに今日も海水浴日和である暑さな事は間違いない。だとしても急すぎないだろうか。

「水着はどうするの」

「海の家で買うからダイジョーブ!まかせて。そうと決まれば早速電車乗りましょ」


―――8月13日 12:30 快晴 気温41度


僕とリカの2人は昨日と同じ電車に乗っていた。でも今度は変なアトラクションのある場所なんかじゃない。ビロウド色の綺麗な海だ!

素直にわくわくしていた。海水浴はいわば夢のようなものだったからだ。ものぐさな親は行くことをしない、かといって12歳の僕は1人で行くことは許されなかった。

ふとリカの水着姿を想像してしまう。いつも革ジャンなんか着て男っぽい彼女は、どんな水着を着るのか――――

「何か変な事考えてない?」

相変わらず察しの良い彼女だ。

「何でもないよ!う、海に行くのが嬉しいだけ」

「かわゆいのぅ~」

リカは僕の髪をわしゃわしゃとした。もうすぐビロウド色の境界線が見えてくる。そうしたらキラキラした海はもうすぐそこだ!


―――8月13日 13:10 快晴 気温42度


2人はやっと砂浜に到着した。海の家が盛況だ。

「水着買ってくるからそこで待ってなさい。ついでに私は着て来るから。さとるんはその場で着替えてね」

「ええっ!この場で?あんまりだ」


20分ほど待っただろうか。僕は早く海に入りたくてうずうずしていた。と、彼女らしき姿がこちらに迫ってるのを発見した。なんと彼女はビキニ姿だった!普段はわからなかったけど、ビキニ姿になると胸が結構ある…脱いだらすごいタイプだったのか。

「可愛くなくて御免ね♪」

「そんなっ事はないけど…」

「はいこれ子供用トランクス。後ろ向いてるから着替えちゃいなさい」

「抵抗あるんだけど…」

「大丈夫見ないからちゃっちゃと履いちゃって!」

仕方が無い。僕はこの場で着ていたズボンを脱いだ。見ないといっておきながらチラチラこちらの方を見ているリカがいた。

何とか履けた僕は、もう入る気マンマンでいた。やっと泳げる!

「シートは別に借りなくてもいっか。ではまず準備運動~」

そう言うとリカは体操を始める。まだ泳げないのか。しょうがなく体操に付き合う僕がいた。

「行け~~~!!」

リカが海に突撃した!僕も負けじとリカに追いつく。冷たい水の泡が周りで弾けた。しょっぱい!海水はやっぱりしょぱかった。でもやはり綺麗な海だ。リカがこちらに水を飛ばしてくる。僕も水を飛ばし返した。水しぶきが太陽の光と重なってキラキラと光る。他の客は浮き輪やバナナボートに乗って遊んでいる。僕らはそれから永遠の時のような時間をすごした――――


―――8月13日 17:30 快晴 気温39度


海で遊びつくした2人は砂浜に戻って来た。お互い服のある場所まで帰って来る。そこでゴソゴソしていた彼女が叫んだ。

「あれ?」

「どしたの?」

「財布が無い!」

「ええっ!」

僕は驚いてしまった。泳いでる間に盗んだヤツがいるのか…!

「あ、あったわ」

肩をがっくりと落としながら安堵する。早とちりすぎだろう。僕の財布も無事だった。

「着替えて来るから待ってて」

そう言って彼女は更衣室に駆けていった。その間に僕も着替えを済ませておく。

20分くらい経って彼女は戻ってきた。いつもの革ジャン姿だ。

「おまたせ~じゃあ帰ろっか!」

「たった数時間でも日焼けするんだなぁ」

「皮むきが始まるね~」

そんな談笑をしながら、僕らは帰路についたのだった。


―――8月13日 18:10 快晴 気温37度


2人は帰るため電車に揺られていた。僕はすっかり泳ぎ疲れてうつらうつらしていた。リカも同じように見えた。そんな中、リカが憂い顔で僕に語りかけてきた。

「ねぇ…8月下旬に花火大会があるんだけど…一緒に行ってくれる?」

僕は朦朧としながらも答えた。

「もちろん行くさぁ…海に連れてってくれたんだもん」

後々考えてみれば、この時にすでにとある決意をしていたんだろうと思う。そう思うと悲しみしかない。

それから2人は、持たれながら電車に降り遅れない程度に眠りこけていた。


―――8月13日 19:00 快晴 気温36度


僕とリカは僕の自宅に辿り着いた。リカは、

「明日のライブは本当に無理しないでいいよ…休むかもしれないから。でも」

リカは続けた。

「明後日は出るかもしれないから、良かったら来てね、はいチケット」

僕はチケットを貰って素直に喜んだ。おこずかいが底をつきかけていたからだ。

「明後日楽しみにしてるよ」

「私はギターをライブハウスに置いてきたままだからライブハウスに戻るね、じゃあね」

そう言って今日は彼女と別れた。

家に帰った僕は日焼けを両親に咎められ、お風呂は肌に染みるので入らなかった。そしてまた泥のように眠るのだった。

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