無様! ハイシャイ・ラボ壊滅!(4)

 ダウンのもたらした、しばしの静寂。

 篠突しのつく豪雨の中、それはまぎれもない静寂だった。


 仰向あおむけの【ゴダイヴァ】。

 見下ろす【ジェイソン子】。


 その情景が、永井の脳裏から解像度の低い画像を呼び覚ました。

「わかったぞ!

 猪木-アリ戦だ!」





 ――――いまは昔、二〇世紀もまだ四分の一を残すころのできごと。

 新日本プロレスの創設者、「燃える闘魂」アントニオ猪木。

 当時のWBA・WBC統一世界ヘヴィ級王者、「キンシャサの奇跡」も記憶に新しかったモハメド・アリ。

 このふたりの間でおこなわれた、異種格闘技戦の元祖ともいわれる対決である。

 もちろん異種格闘技戦の記録は少なくとも十九世紀までさかのぼれるが、それはさておいて結論だけ述べよう。


 この試合で両者が激しくぶつかり合うことはなかった。

 猪木はアリを転倒させるためのスライディングを敢行かんこうし、あるいは接近すればただちに寝技へ持ち込めるよう、リング上で仰向けの姿勢をとって挑発を続けた。

 十五ラウンドの間、アリはそんな猪木を攻めあぐねた。

 横になった相手を、ボクサーは殴れない。ルールの定めでもあるが、のだ。


「――――【ゴダイヴァ】はいままで、倒れた相手に攻撃したことがなかった。ダウン、イコールKOだったからな。

 だから【敵】も、模倣もほうできなかったんだ」


 作戦上みずから横たわった猪木と、蹴られて倒れた【ゴダイヴァ】。

 ちがいはあれど、地面に寝そべっているかぎり攻撃を受けない点ではたしかに同じだった。





具象ともぞうさん! 聞こえてるんでしょう?』

 退避してからも、美和はハンドスピーカーに持ち替えて呼びかけを重ねた。


『ここにいるのはあなたの妻なのよ?

 あなたがいま足蹴あしげにしたのは、あなたの娘なのよ?』

 枯れかけた声は、しだいに非難の語調をつのらせていく。


『いったいいつまでこんなことを続けようというの?

 どういうつもりなの? 何が気に入らないの? 私たちをなんだと思ってるの?


 もういい加減にして!!

 これ以上、私たちを苦しめないで!!』





イヤ!!」

 コクピットで冬羽とわが金切声を上げた。


「やめて、やめて、やめて!

 お願い、もうやめて!!」





 一拓いったくは思わずゲージに目を走らせていた。

(もしかして、これで……!)

 いまの叫びは、家族のいさかいを人前でさらしたことに、恥を感じたためなのではないか、そう思ったのだ。


 ――――だが、半球状のエンブレムは沈黙している。


 視線を移した。

 冬羽とわは耳をふさぎ、殻に閉じこもるようにシートの上で縮こまっていた。

 胎児のような防御姿勢。

 母が父をなじる激しいことばを、父のロボットが振るう圧倒的な暴力を、全身で拒絶するように。


(……僕は)

 われに返った。


(期待してしまったのか?

 これでまた【ゴダイヴァ】が立ち上がるんじゃないかって)

 続いて、激しい後悔にさいなまれた。


冬羽とわさんがこんなに苦しんでいるのに。

 いったい、なんてことを考えていたんだ……)


 直後、何の予兆もなしに、恐怖が襲ってきた。


 耳の奥で、血流の拍動がうるさいほどに鳴っていた。

 追いやられそうな理性をかろうじて保つのが精一杯だった。


 ――――自分はここで冬羽とわと死ぬのか?





 誰も気づいていないが、バッテリーの残存電力量はわずかに増加していた。

恥力ちりょく」と名づけられているが、ジェネレータはすべての感情に反応する。ただ、恥がその他の感情を圧倒するほどの効率を示すというだけだ。


 目前に迫る死の恐怖、ささやかな期待とそのもたらした後悔。

 そして冬羽とわを絶叫させたなげきさえも。

 非情なジェネレータはエネルギーへと変換した。


 一拓いったくが強い恐怖心を抱いている間は、ジェネレータが動き続ける。

 もっとも、死に直面したときの感情でさえ、微増程度。ゲージを輝かせ、【ゴダイヴァ】を戦わせるにはあまりにも不足していた。





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