第5話 対決

 その年の秋、10月29日土曜日の午後、リフォームが終わったばかりの高橋の家に、橘は招待されていた。


 高橋の、家の改築祝いだという。招待客は、橘一人であった。例の応接室には、如何にも高そうな寿司と、酒の肴と、ビールや酒が置いてあった。




高橋は、妙に、上機嫌であった。




「まあ、見てください、男所帯のままでは、あまりに台所が汚なかったもんですから、少々、金はかかりましたが、ほら、こんなに綺麗になりました」


   


「それは、よかったですね。それにしても、この応接間や居間には、腐るほどの本が置いてありますねえ、さすが、先生は読書家です」


「まあ、それほどでも。で、今日、橘さんをお呼びしたのは、この前、執筆を中断していたあの小説『けだるい殺人者』の下書きが、だいたいですが、完成したので読んで頂きたかったからなんですよ。家の改築祝いは、どうでもいいがです」




「ほう、先生は、もうあの小説は当分は書かれないと思っていたんですが、その後、また執筆を開始されたんですか?」


「そうです、今度は、主人公のサラリーマンが、殺してしまった妻の死体を、ほぼ完璧な方法で処理、隠蔽するんです。




 まあ、その死体隠蔽のトリックは、橘さんのアイデアが基本ですから、ほら、著者名のところは、原案:橘優一郎、作:神田川渉、となっているでしょう。




 で、今度は、この小説で一気に新人賞でも狙おうかとも思っているんですよ。まあ、取らぬ狸の何とかとは思っていますが」




 神田川渉とは、江戸川乱歩の名を真似た高橋良介のペンーネームであった。


 今度の小説は、A4版の用紙で八十枚近くもある。四百字詰め原稿用紙に換算すれば、三百二十枚近い大作となっていた。


 


「私のトリックを活用されたとすると、あの山奥の斎場を利用した死体処理の方法ですね」




「そうです。主人公でもある妻殺しのサラリーマンが、犬か猫のペットの死骸を抱えて、斎場に車で駆け込むんです。橘さんの言われたとおり、斎場によっては、人間の死体のみならず、ペットの火葬も受け付けてくれるところがあります。これは、私が市役所に電話をして実際に確認しました」




「そうです、そのアイデアは、私が経理顧問をしているある清掃請負業者の社長から、聞いた話がヒントになっておるがです。


 ご存じのように、全国の殆どの斎場は、人里離れた山奥の中にあります。


 しかも、斎場というのにも、高橋が言われたとおり、人間の死体のみを扱う斎場もあれば、ペットの死骸や、病人の着ていた衣類や布団等の汚物類の焼却まで行ってくれる斎場もあるがです。




 で、まずペットの死骸の焼却してくれる斎場を事前に探しておくのです。例えば、私らの住んでいる市営の斎場は、のペットの死骸の焼却も請け負ってくれていた筈です。


 で、ペットの死骸を抱えて、夕方前に駆け込めば、周囲には誰も人、つまり目撃者はいません」




「そのとおりです」




「しかし、通常ならば、この場合は役場を通してから火葬の受付処理をしてくれと、まず、係員は言うでしょう」




「その通り。そこで、殺人犯のサラリーマンは大事なペットだからと言って、係員に現金数万円を握らせるのです。




 係員も人間ですし、これが人間の火葬なら、死亡診断者の提示やその他、色々と面倒な書類や手続きを要求するでしょうが、まあ、ペットの火葬だと言われれば、疑いもなく閉じかけた斎場のドアを開けるでしょう。




 で、そのサラリーマンは、ペットの火葬の仕方を一部始終見学します。つまり火葬炉のスイッチの入れ方、切り方等々を横でじっと見て覚えておくのです」




「そう、それも、現在の火葬炉はコンピュータ制御の高性能のものですから、スイッチをポンと押すか戻すかだけの、ごく、簡単な操作で済むがです。この話も、私は、清掃請負業者の社長から、じきじきに聞いたのですから間違いはないでしょう、で、犯人は、持参したペットの火葬が終わったあと、その係員を、隠し持った金槌か何かで一撃する、と、こういう手筈ですね」




「ええ、ほとんどそのとおりです。まあ、若干、橘さんのアイデアと違いますのは、この小説に出てくるサラリーマンは非常に気が小さいので、まず、ペットの火葬が終わったあと、ナイフで係員を脅し、自分の妻の死体を完全に焼却してしまうのです。




 つまり、ペットと妻の死体と、二回、その火葬炉の操作方法を確認する。で、その後、その係員の首を締めて殺害し、その係員もまた完全に焼却してしまうんです」




「あとに残った骨は、残骨を入れる袋に入れて、斎場の横にある納骨堂の中に入れて隠す。その後、犯人は斎場のドアを閉め、何食わぬ顔で、職場に復帰すると、こういう話ですね」




「そうです、まあ、こんな風に書いてしまうと、何だ、こんな簡単なことだったのか、と一般の読者には思われるでしょうが、これは、コロンブスの卵と同じような話なんです。殺害された妻や係員は、完全に焼却され骨だけになってしまっているんですからね」




「ともかく、高橋先生の力作を、読まさせて下さい」




橘は、一気に、その小説を読んだ後、




「ふうー。こりゃ大作だ。読んでいて、気分が悪くなってくる程ですね。




 でも、先生、この小説の中身は、前にも言ったように、殺害時の描写といい、死体処理の時の斎場の係員との一言一言のやりとりと言い、あまりに真に迫っていますね。まるで、本当に、殺人事件を起こした人間じゃないと書けない程の中身じゃないですか」




「橘さんも、人聞きの悪いことを言われますえねえ。それやったら、私が、実際に、人を殺して、その死体を斎場で焼却処分したように聞こえるじゃないですか?」と、高橋は冗談ぽく言った。




 すると、橘は、ゆっくりとした口調で、次のような話を、し始めたのである。




「そこなんですけど、高橋先生。先生が、前に、私に『けだるい殺人者』の下書きを見せてくださったその次の日から、市役所の斎場担当の係員が、行方不明となっているがです。勿論、この話は、新聞には出ていませんけど、奇妙と言えば実に奇妙な話ではありませんか?」




「はあ、そうですか。まあ、それは、多分、その係員には、多額の借金か何かあって、それで雲隠れしたんじゃないんですかねえ」、と、またも、冷や汗をかきながら、高橋は言った。




「いや、その係員は、市役所の職員じゃなくて、市役所から委託を受けた清掃請負業者の職員なんです。で、私は、その会社の経理顧問をしていて、社長とも懇意にしていますが、そんな借金の話など無かったと聞いているがです。本当に不思議な話ではありませんか?どうです?」




 高橋は、徐々に、いらだってきた。橘は、一体、何を言いたいのだ。例え、斎場の係員がいなくなったとしても、それは、小西真希の死体と同様、既にこの世には存在しないのである。焼却して骨だけになった後、金槌で粉々に砕いて、山や川に散骨したのだ。もはや誰も探し出すことなど不可能なのである。




 しかし、高橋は、やはり、ここで橘という男の存在が、緻密にプログラミングされた自分のソフトにとって、致命的なバグになる危険性を察知したのだ。


 あのセメント袋を買っておいてよかったと内心思った。やはり、橘も、処分しなければならない。そのために、コンクリート製の大きな床下収納をわざわざ台所に作ったのだ。いざとなれば、橘を叩き殺して、床下収納の中に放り込み、セメントで固めてしまおう。




「それに先生の学校の小西真希ちゃんは、どうなったがです?彼女は、もう見つかりましたか?」




「いや、警察にも頼んであるがですが、まだ、見つかりません」




「そうでしょうねえ、多分永久に見つからないでしょうねえ。きっと彼女も、この世には既にいないんじゃないんですかねえ?」


「なんちゅうことを言われるがです。私は、彼女の学校の教頭ですよ。彼女の無事を信じて、毎日、色々なところに出向いているがです。ダラ(馬鹿)なことを言わんといて下さい」




「いや、私は、実に面白い偶然を発見したがです、いいですか、高橋先生。まず8月の下旬、小西真希ちゃんが行方不明となりました。多分、その次の日、先生は、顔色を変えてこの私に、死体の隠蔽方法はないか?と、この小説の書きかけの原稿を持って現れた。私は、そこで、斎場を利用した死体隠蔽方法を教えた。更にその次の日、今度は、市役所の斎場担当の係員が失踪です。偶然と言えば、あまりに偶然が重なり過ぎては、いませんか?」




「わ、私が、か、顔色が悪かったのは、ガンノイローゼになったからで、ちゃんと、市民病院のカルテにも残っている筈です。そんな偶然だけで、人を判断するとは、あまりに非道い話じゃないがですか」




「では、斎場の職員が失踪したその日の午前中に、先生が市内のペットショップで、一匹の猫を買われたのも、やはり、偶然なんですか?そのペットの猫は、今、何処におるがです?」




 高橋は、真綿で首を絞めらるように感じてきた。こいつ、橘は、相当に知っている。探偵でもないくせに。いや、橘はもともと探偵小説、推理小説で賞を取るのが夢だと、常々言っていたから、ある意味、玄人の探偵にも近い存在なのだ。




「何と言われても、知らないもんは知らんがです。それに、そこまで言われるんやったら、納骨堂の中の残骨を、警察に引き渡して、DNA鑑定でも何でもしてもらえばいいでしょうが」




「そりゃ、無理でしょうね……。これほど理屈詰めで計算した死体隠蔽のトリックですよ。


 わざわざ、後で足が着くように、焼却後の骨を納骨堂には隠さないでしょう。私が言った「木を隠すなら林の中」の例え話は、後で、証拠を探すために敢えて言ったがです。この私やったら、金槌で粉々に砕いて、山か川に散骨するでしょうね。全く証拠が残らないようにね」




 図星であった!




 高橋は、この時、今まで漠然と心に秘めていた殺意を、明確に意識したのである。橘も、この場で殺してしまわなければ、自分が危ない、と。




「き、きさまも、小西と同じで、私をハメるつもりやったんか。こうなったら、二人殺すも三人殺すも同罪や。橘、覚悟せいや!」と、タンスの横に隠してあった太い鉄パイプに手を掛けた瞬間、橘は次のように言い放って、高橋の次なる動きを止めたのである。




「はい、ダーメ、駄目。こーれ、何だか分かりますか?」と、橘は、実にけだるい口調で言った。映画『バトル・ロワイヤル』の中での「北野武」のような口振りであった。そして、橘は、ネクタイピンと胸元のボールペンを指さしたのだ。




「はい、これ、見てのとおりの超小型CCDカメラと、集音マイクと、無線装置でーす。秋葉原で買ってきたもんでーす。高橋先生、気が付きませんでしたか?今までの話は、総て、無線で録画・録音されています。万一、私に何かあったら、今までの話は即警察へ行くようになっているがです。




 先生には、離婚したとはいえ、二人の娘さんがおられますが、万一、こんな話が世間一般に漏れたら、こんな田舎のこと、二人の娘さんはかわいそうじゃありませんか?それに、弟さんと妹さんも、みんな学校の先生でしたね」




「うっ!」と、高橋は、ここで全く動けなくなってしまったのだ。


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