第4話 バグ(虫食い)
次の日の8月21日日曜日、早朝から、高橋は猛烈に動きだした。
まず、小西真希の自転車を車に積んで例の場所で処分した。その自転車自体はどうも小西本人のものではなくて、彼女がどこかで調達してきたものであった。この点からは、高橋には絶対に疑いがかからないのだ。
次に、あの応接室に、徹底的に掃除機をかけ、チリ一つ、髪の毛一本落ちてないように、掃除をした。
そこから、高橋は、あの橘という男から、昨日、聞いたばかりの方法で死体の隠蔽工作に取りかかったのである。
……夜、8時15分、ようやく総てのケリをつけて、高橋は自宅に帰った。一切の目撃者はいないのだ。まずもって、このことがバレる心配は100%ないであろう。
しかし、そのために高橋は、小西真希に続き、あと一人、全く今回の事件に関係のない人間を一人殺害してしまったのである。正に「殺人罪から逃れるための殺人」を行ったのだ。勿論、その新たな犠牲者の家族も近いうちに、騒ぎ出すであろうが。
しかし、小西にしろ、新たな犠牲者にしろ、ある方法でこの世から完全に消え去ってしまったことだけは完全なる事実だったのだ。
高橋は、帰りにコンビニで買った、安物のウィスキーの派手なラベルをしげしげと眺めて、
「やった、やったぞ!これで俺は、絶対に安全なんや。まずもって、警察がどれほど捜そうとしても、探し出せるものではない。砂浜の中で、一粒のダイヤを探せるものか。
わはははははははははは…」、と高橋は大声で笑ったあと、ウィスキーをストレートであおった。そして、ばたんと居間の上に敷いた布団の上に倒れ込んだ。
またも泥のように思い体を感じながらも、今までの疲れがどっと出たのか、直ぐに、寝入ってしまったのである。
次の日の朝、午前8時23分に、D中学校に出勤した高橋に、直ぐに、小西真希の担任の横山から、小西真希が、三日たっても家に戻ってこないことから、両親が心配になって警察に捜索願いを出したという話を聞いた。
そこで、学年主任も含め、学校に出勤している先生達だけで緊急の職員会議を開いた。校長にも、事情を説明して至急、学校に来てもらうよう連絡した。
高橋は、既に完全に落ち着いていた。ここ二三日の狼狽ぶりが嘘のようであった。それもその筈である、高橋には、ほぼ絶対的な確信をもって、小西真希及びそれに関連した善意の第三者の死体を、この世から完璧に抹殺するこに成功したからであった。
よほど詳しいDNA鑑定でも実施されない限り、二人の死体は、発見しようがないのだ。しかも、二人の死体は、誰が考えてもまさかそんなところにあるとは、考えつきもしないところに隠蔽できたのである。
いくら警察や家族や親族の人間達が騒ぎ出そうが、びくともしないのだ。
高橋は、教頭の威厳をもって、学年主任の先生や担任の先生、更に、その時出勤していた三年生の担任の先生全員に、小西の友人関係や彼女の泊まっていそうな所の捜索を命じたのであった。
だが、そんなところを例え血眼になって探したとしてみても、絶対に、発見できないことも、また、高橋は十分に承知していてのことなのである。高橋は、まるで、名役者になった気分で、この絶対安全な役を、粛々と演じていたのだ。
高橋は、小西真希の両親にも、会いに行った。どうしても連絡がとれなくなった彼女の行方に対し、高橋は、それとなく、大都会への家出をほのめかした。それは、かって、高橋が彼女に個別面談をした時に、彼女が、それとなく言った言葉を記憶していたからであった。
その言葉に、彼女の両親も、
「そういえば、東京に大変憧れていましたから、もしかしたら……」と、まず、母親がその考えに同調した。
これは、高橋にとっては好都合で、万一、小西真希の東京への家出説を、両親が信じてくれれば、警察のほうの捜査も、家出人捜査となり、警視庁と連携して、そちらのほうに目が向いてくれるだろう。そうなればなるほど、自分への嫌疑も捜査も減っていくのだ。
高橋は、正に、勝利を確信していた。完全犯罪の完成である。
いや、その時点まで、高橋は、この殺人事件(二人の殺人事件)が、迷宮入りとなり、このまま治まっていくものと、確信していたのである。
コンピュータプログラミングの世界で、OSやソフトに欠陥があることを、バグ(虫食い)というらしい。
あの、気ぜわしい一日から約一週間ほど後、始業式の始まる前々日の8月30日火曜日の夜8時丁度に、一本の電話が高橋の家にかかってきた。
それは、あの橘という男からで、この前の小説の進捗状況をそれとなく聞いてきたのである。
「いやあ、それが、橘さん。折角、あんな大それたトリックを考え出してもらって大変に恐縮しているのですが、それが、あの小説『けだるい殺人者』の執筆意欲が、急激に衰えてしまったんです」
「それは、また、何で。この前は、一日の猶予もないような口ぶりだったじゃありませんか?」
「そ、そこなんですけど」と、高橋は、嫌な人間から電話がかかってきたもんだと思った。
しかし、完全犯罪として、あの事件をこのまま遂行していくには、是非とも、ここで、橘を説得しなければならない。それにしても、綿密に組み立てたてられたプログラムにも、小さなバグがあったのに気が付いたのだ。
「じ、実は、あの後も、どうしても体調がよくならないものですから、市民病院で精密検査を受けてきたがです。
でも、お医者さんは、首をひねって何処も悪くないというがですよ。それでも、私、自分の体調が優れないと、この前の喫茶店でのように声を大にして何回も何回も訴えたところ、ははは、これが笑っちゃう話なんですがね、若い先生でしたが、多分ムッとされんでしょう。
貴方は、ガンノイローゼだとか何とか言って、馬に喰わせる程の薬を出してくれたんです。
ええ、勿論、私も、カッとしたんですが、騙されたつもりで、その薬を飲んだら、あれ程、焦っていた自分の心が妙に落ち着いて、多分、その薬の効き目なんでしょうが、下手な心理療法より効いたんです。自分は、心理学については、相当の自信を持っていたんですが、その自分自身が、ガンノイローゼだったなんて、ほんと、笑っちゃうでしょう。
で、そのように心が落ちつくとともに、あれ程、焦燥感に襲われて、書こう書こうと思っていた例の小説を書く気が急に萎えてきてしまって、まあ、前のように、定年まで書けばいいやという気になってしまったんです。
そういう訳で、橘さんには悪いがですけど、今、小説の執筆は中断しておるがです。
勿論、もし、その小説を発表する時は、原案は橘さん、文章は私ということにして、共著にして発表したいと、考えているところながですよ。まあそういう訳でどうかよろしく」
「そうですか」と、電話口での、橘の口調は、それ程、怒ってはいなかった。
しかし、橘という男は、ここで、高橋があの悪夢からようやく忘れかかっていた人間の名前を出してきたのである。
「ところで、話は、変わりますが、高橋教頭先生、確か、小西真希という名の中学生は、先生とこの学校の生徒だった思うんですが、小西真希ちゃんの行方は、その後、どうなったんですか?」
「こ、小西真希を、どうして橘さん、知ってらっしゃるんで?」高橋は、またも、冷や汗をかきながら聞いたのである。
「いや、私の職業柄、小西真希ちゃんのお父さんとは、知り合いでして、昨日、会ったら、自分の娘が行方不明だと、非常に心配しておられたもんですから」
「そ、そうでしたか。私も、教頭として、せいいっぱい、彼女の捜索に当たっているんですが、何分、札付きの不良少女だったもんですから、多分、東京にでも家出したんではないか、とも考えているんですが……」
そう、返事しながらも、高橋は、やはり、ここで橘の存在が、コンピュータソフトのバグのように、自分が行った完璧な完全犯罪遂行の唯一の障害になることに、気が付いたのである。こいつは危険な奴だ、何とかしなければならない、と。
「明後日は、始業式です。学校が始まれば、彼女の友達だった子らにも、総動員をかけて、もっともっと広く探し出します。なーに、きっと男友達のとこにでも泊まっているのかもしれませんし、まあ、そんな心配は無用だとは、私自身では思っているんですが」
橘からの電話が終わったあと、高橋は、小西真希の、日本人離れした程の肌の色が白いむちむちとした長い両足や、異様に短いスカートと、その、奥に見え隠れするレースの黒い下着、そして、ぞんざいに大きく開かれた両足、ズボンのベルトを思わずはずして下半身を出してしまった自分、………、一千万円を用意しないと強姦で警察に訴えると騒ぎ始めた小西の、まるで鬼のような形相、スマホで本当に警察に電話しようとした小西、無我夢中で彼女の首を絞めた自分の両手、を、またも、DVDの早送り再生のように思い起こしていた。
「ち、ちくしょう、あれは完全な罠、罠だったがや!」
次の日の8月31日水曜日。高橋は、本当に市民病院へ行って、ありとあらゆる体調の不良を大声で訴えた。で、橘に言ったとおり、ガンノイローゼと診断され、沢山の薬ももらった。これは、昨日の話のつじつま合わせでもあったのだろう。
しかも、高橋は、そのまま知り合いのリフォーム業者に電話して、台所のリフォームを頼んだのである。で、自分も、その足で、ホームセンターへ行って、大きなセメント袋を数袋買ったのである。
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