第3話
車の中から写る景色がいつもとは全く違うことに竜蔵は気付いた。母の骸と見た時と同じように、風景は色あせ、目に映る映像は灰色へと変わってしまった
自分は近しい人が無惨にも殺された時、視覚からショックを受けるタイプらしい。そんなことを思いながら竜蔵は先ほど起きた凪芝早苗の殺人について考えていた
そう、殺人だ。自殺のように見えた彼女の遺体だが、彼女の首には明確に何者かの手によって絞殺されたという手形のよる“しるし”が残っていた
犯人は黒板に悪趣味な詩めいたものを書いた奴であろう。だが、彼女を殺す動機や、詩がどういった意味を示すかも一切不明だ
殺人事件では必ず3の鉄則がある。Who How Why、誰が、どうやって、なぜ。現代社会の無動機殺人や快楽殺人にはwhyの部分は当てはまらないこともあるが、殺人の手段とそれを行った理由は、必ず最後の犯人にたどり着く手段となる
心理学の世界では、細かい部分のhowとwhyを追求しながら犯人の実像を描くことで事件解決に導く。プロファイリングという手段だ。物的証拠とは違う、何を指し示しているかわからない曖昧な痕跡をつなぎ合わせて犯人の外見的特徴を追求する。最もアメリカの機関がこの手段を用いるのは犯人が州境を超えた連続殺人を起こした場合だけだが
「おそらく、これからも死体は出るでしょうね」
車内で隣に座るあかりが目をつぶりながらそう言い切った。考えが腑に落ちた様子で一つ一つ確認するように説明し始める
「まず犯人だけど、凪芝早苗の知人であることは明らかね。かなり親しい間柄だったんじゃないかしら、紫色の手形が残るほど強く締め付けられているというのに、本人の腕や手にはもみ合いによる痣や内出血が一つもない。至近距離に接近されることを許して、首を絞められてからも抵抗できる間もないほど動揺が広がって殺されるまで何もできなかったのよ」
憶測による主観が強いものの、彼女は早苗の遺体を全裸に剥いて解析を始めようとしたほど熱心だった。竜蔵の制止がなければあのまま自己流の捜査を続けるその熱意による見解には、一考の価値がある
「そして第二に、思わせぶりな詩の内容だけど、あれはマクベス第四幕の三人の魔女が言う最初の科白ね。ぶち猫が三度鳴き、ハリネズミが三度に一度鳴く、怪物のハーピーが時間だと雄たけびをあげ、地獄の釜が開かれる」
「魔女の科白通りに事を進めていくのなら三回、殺しは起きるわ。そしてThrice and once、そしてその中の一回に、えも言えぬ
「それをやって何の意味があるんです?」
純粋な疑問だった。ほぼあかりによる妄想にしろ、そんな連続殺人が起きた場合、動機もプロファイリングもあったようなものじゃない。竜蔵のような巻き込まれた無知蒙昧な市民はどうすればいいのか
「マクベスが王冠を手に入れる。つまり一種の儀式行為なのよ、他人を犠牲にした」
「お嬢様、そろそろ目的地に到着いたします」
「わかったわ、感謝しなさいよ榛村。私があなたの家も何もかも、流れる血液までがどんな型で今までどんな人生を送ったかも知っているのだから、こんな提言ができたのだから」
事件が起きた後、あかりは家まで送ってやろうと言いだした。海底家がどんな稼業をしているのかは知らないが、彼女に付き添う黒服の執事たちは皆強面で餃子耳であり、とてもじゃないが堅気でないのは明らかだった
今竜蔵が乗っている黒のスポーツセダンもアメリカ製の高級車であり、重厚で鈍重そうな見た目とは裏腹にハイパフォーマンスモデルだけあって低音のうなり声をあげながらスーパーカー並みのスピードを出す化け物だ。特徴的なグリルはさも威嚇するようで、内装のウッドパネルはラグジュアリーな造りで、あかりが関東最大のヤクザの会長の孫であるという噂は否定できなかった
そんな彼女が言うのなら、あかりが竜蔵の過去も血液型もすべて知っているという今の発言は真実なのだろう。竜蔵は己の人生の恥部をしられていることに少し辱めを覚えるが、しかし今更だと思った。母親にレイプされていた事実なんてすでに隠すことでもない
「到着しました」
黒服の執事が無機質な表情でそういう。あかりの緋色の瞳が竜蔵の住まう居住区を写していた。薄汚いマンション、薬物中毒者、売春婦が立ち歩く貧民窟、これが竜蔵が住む世界で有機野菜を食べて、長期休暇にはヨーロッパにある別荘へ行く西宮学園の生徒達には想像もできないだろう。Ⅳ区の現実、竜蔵は彼女が何を想っているのかわかるはずもないが、今までの付き合いで、彼女は何の感慨も抱いてないことは薄々勘づいていた。彼女の眼に入る他者は階級問わずすべて醜い家畜で、雄一ある事実は自分が支配者であるということだけ。独裁者、自己愛性人格障害。そんな様子で不安妄想に駆られないのだろうか、
そんなことを考えながら、竜蔵が車から降りるとあたりが騒がしいことに気づいた。人影が異常に多い。マンションにいる住人が殆ど全員外に出てきていた。何事かと思い、近寄ると、普段エントランス口で眠ってばかりいるジャンキーが狂喜乱舞しながらこう叫んでいた
「殺人だ!」と
***
殺されたのは赤ん坊だった。生後間もない幼い身体が無惨にも絞殺された状態でマンションの中庭部分に遺棄されていたのだ
母親が嘆き悲しみながら、遺体を抱いていた。父親が無力感をかみしめた様子でどこかに電話していた。おそらく研究室の連中を呼ぶのだろう、ここスラムの住人はたとえどんな理由の死体であろうと、状態がいい限り近くの大学病院に新鮮標本として売るのが通常だ
しばらくすればこの場の雰囲気に似合わない白衣を着た連中が黒い霊柩車でもって入ってくるだろう、まるで死肉につられたハゲタカのように。自分ももし死んだら彼らに胃の腑まで分けられてホルマリン漬けにされてしまうのだ
そんな理由で竜蔵は彼らを嫌悪していた。いや、ここにいる連中の誰だって忌避する。明日の死は恐れていなくても、皮膚科の素材の一つになってしまうのはごめんだ
初子の死というだけあっていつものどこかのジャンキーがくたばったという通例ではなく寂寥感ひろめく
「ふん、自分で何も努力せず他者から消費するだけで墜ちるところまで墜ちた爺がこんなよくできた造りの、世界の仕組みをよく馬鹿にできるわね。弱肉強食はこの世の常、他者に施しだけで甘えて生きる酔っ払いなどチンピラにアルトラ振るわれてしまえばいい」
「じゃぁ、俺はもう帰るから」
今日は二回も殺人事件に立ち会うなどおかしな日であったが、姉はそんな些細ごと気にもしないだろう。夕飯を作るのに遅れたらまたひどく殴られるという確信があった。老人に暴言を吐くあかりにそう言って部屋に戻る
しかし、そんな中竜蔵はある妙なものを発見した。このマンションは中心にある中庭を経由して各部屋に続く階段を昇る必要があるのだが、竜蔵の住まう301号室に続く階段にまたしても妙な詩が血文字で書かれてある
死体が発見された中庭の雑草が鬱蒼と生い茂った部分の近くに文字があるのだから今まで誰も気が付かなかったのだろう。詩の内容はこんなものだった
「Thrice and once the hedge-pig whined.」
ハリネズミが三度に一度鳴いた。なるほど、あかりの予想はどうやら当たっていたらしい。もしマクベスの魔女の科白通りに殺人が起こるのだとしたら、これが二度目の殺人なのだろうか
だが、誰が、何のために。それは一切不明なままだった。事態が全くつかめていないのに、事件は次々と起こっていく、間違いなく悪い兆候だった。竜蔵がいる場所で殺人が起こっている時点で犯人は彼と関係のある人物であろう。もしかしたら例のストーカーが犯人かもしれない。だとしたら厄介なことになったと彼は思う。ただでさえ危険なストーカーが連続殺人鬼だなんて、どんな怪談だ
「気になるの?アタシたち知ってるわよ。山下朔太を殺した犯人を」
竜蔵がびくりと背中を振るわせて視線を上げるとその階段にはいつのまにか鈴森仇花と千崎愛奈の女子小学生二人組が立っていた
「そとばはえこーしゃの数だけ建てられる。知ってる?人って首を絞めるとたとえ赤ん坊でも老人みたいな呻き声をあげるのよ、すごいでしょ」
「仇花ちゃん、何ですぐいっちゃうのそういうこと?」
竜蔵はその発言に驚きはするが二人のそろった深紅の瞳を見て、真意をつかみあぐねていた。二人が殺したともとれる内容だが、普段の悪質な素行ぶりから全くの嘘でもおかしくない
「その手の冗談は面白くないよ」
「嘘じゃないわ。ちゃんとこの手で殺したもの、けいれんから死後こうちょくの過程まで観察したし、ちあのーぜげんしょうだって見たわ」
仇花の吊り上がった瞳が一段とまた狂気に染まっているのがわかった。このツインテールの悪魔は、本当に人を、赤ん坊を殺したらしい。異常に震えている腰巾着の愛奈の様子から、彼女も共犯でおかしくない。まさかこんなところで犯人を見つけてしまうとは
「一応法治機関はこのⅣ区にだってあるんだぞ、ギャングが蔓延ってようとそのギャングにお前らの愚行を報告して処刑するって方法もある。なんにせよ、堂々と犯行を言いふらさないと気が済まないのはガキらしいな。とりあえずお前らは親に捨てられているから言っても意味がないし、通報して…」
「親にすてられてるのはお前もだろ?このオカマ野郎、普段無口なくせに追いつめたと思ったらくどくど喋りやがってなにさまのつもりー?愛奈、やれ」
「う、うん」
取り出したのは鈍色の鈍器…鉄バットだった。少女とはいえ竜蔵は157cm、武器もちの上、二人がかりとなればあっという間に気絶させられてしまう
「…この、くそ…」
畳みかけるように鳩尾にバットが炸裂する。紅潮した顔で興奮している二人。殺人の次は強姦に手を染めようと思っていた彼女らは近所に住む元御曹司をターゲットに決めた。ダウンした竜蔵を二人でかついで302号室に持っていく
「このクソホモ、ヒョロヒョロのくせに顔だけはいいからいつかペットにしたいと思ってたのよね」
夜のとばりが落ちた濃い闇の中、精神病質を持った女子小学生による凌辱劇が幕を開けようとしていた
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます