第2話

「貴方が好きです。私と付き合ってください」


二人以外誰もいない空き教室


静謐な、カーテンを揺らす窓から侵入する風が頬を撫でる午後の空気の中、竜蔵はクラスメイトから告白を受けていた。


彼女の名前は凪芝早苗なぎしばさなえ。竜蔵とはただの席が隣同士であった関係でしかなかったが、以前から彼女のアプローチはつづいていた。竜蔵が一応籍を置いているテニス部に、彼女も所属していたからだ


「い、べつに今すぐ応えなくてもいいからっ!放課後この教室で、また!」


顔が紅潮してその言葉すらもうまく紡げなかったとわかるほど緊張しているとわかる早苗。想いを伝えることができた達成感で答えを聞いていないにも関わらず、顔が喜びにほぐれているが、竜蔵は残酷にも振るつもりでいた


理由は単純な話で、彼女に危害が及ぶかもしれないからだ




***


西宮学園は中高一貫だが、1年生から6年生と中等部高等部問わずそう表現する。竜蔵は2年生、姉である竜香はもう通っていないが所属していたら6年生、つまり高校3年生になっていただろう


中等部は昼間の休憩時間が高等部より多く90分もある。食事を終えて教室へ戻ろうとしたタイミングで早苗に声をかけられたわけだ


彼は残された休憩時間に、次の授業の教室で物思いに耽っていた。もちろん、告白のこと…ではなく全く別のことだ


「よぉ」


そんななか、竜蔵は坊主頭の堀の深い男子生徒が後ろからどつくように自身の肩をたたくのに気付いた


「また物憂げな顔で考えこんでどうしたんだ?そんなだからメスガキどもがお前をほっとかないんだぜ」


佐々木信二ささきしんじ。竜蔵の“雄一”の男友達である彼は竜蔵よりはるかに頭がよく、運動神経も抜群で、身長も高かった。テストステロンの数値では竜蔵が勝てるはずがなく、188cmと157cmでは同じ性別か疑わしいほどあまりに剥離がある


そんなアベコベな二人だが、竜蔵は彼とは相性がいいと勝手に思っている


「いや、シェイクスピアのことを考えていたんだ」

「シェイクスピア?お前にしてはまた随分と文学的なことを考えるんだな。頭悪いくせに、気になるところでも見つけたのか?」

「うん、今回の授業では出てこなかったけど彼の代表作にマクベスがあるだろ。その有名な序盤の一節にきれいは汚い、汚いはきれいという科白があるじゃないか。今更ながらあれはどういう意味だろうと思って」

「戯曲のマクベスか。あれは英語に訳すとFair is foul, and foul is fair.となる、随分婉曲的な言い回しだと思わないか?なぜClean is dirty, and dirty is clean.と言わない?つまりこれは大きな意味で解釈をしろってことだ。いいことは悪いこと、悪いことはいいこと。このように訳せば忠誠心溢れた知将マクベスが一転して愚かな裏切り者になった末路も相まって理解できるだろ?」

「なるほど。劇の展開を暗示していたわけか、さすが佐々木だ」


竜蔵は笑顔で振り向いて後ろの彼に言うが、そこには冷たい虚空だけが広がっている


「それより、ほんとは“そんな糞ほどどうでもいいこと考えている場合じゃないんじゃない”か」

「え…」


彼の顔が復活したが、それは顔だけで首から下は存在していなかった


「一人でなに話してるの?」


海底あかりが手慣れたような様子で彼を指摘する。そう、佐々木信二なんて少年は、この世には存在していなかった


「あぁ。そうだった」


竜蔵はいくつかの精神疾患を抱えているが、代表的なのがタルパ…つまり二重人格だった。自閉症持ちでその特異な容姿から小学校でひどいいじめを受けた彼は、精神分裂の果てにそのいじめっ子の人格を生み出した


彼の中の佐々木は、日中活動し、夜になると夢の中に現れるが、他人の介入によって症状を緩和することができる。毎回のようにこうして佐々木との対話を防いでいるのがあかりだった


「うん、そうだ。ストーカーのことについて話そうと思ってたんだ」


だがそんなことは関係ない。竜蔵は、佐々木という相談相手を欲しがっていた。首から下が復活し、目つきの鋭い美男子が現れる


竜蔵は嬉しげに莞爾かんじと微笑んだが、当のあかりは心底不快そうに彼を見ていた


「そうだったな、お前には病的なストーカーがいる。それの対処ができていない現状、告白を受けるなんてどんな苦難が待ち構えているかわからん。お前にしちゃ賢い選択だ」

「そう、どうすればいいの」

「そんなの、見つけ出してあのおっかないねぇーちゃんに売ればいいだろ。俺を殺した時みたいに」


瞬間、竜蔵の背中には凍土が生まれたかのような悪寒が走る。こうなると俯いて、ただ押し黙ることしかできない


「かか、まぁ気に病むなよ。俺はどうせお前の一部なんだから、恨むことなんてできねぇよ。自己問答で黙るなんてとんだ大馬鹿だ。解決策を早く考えようぜ」


ストーカーは無言電話と置き土産を中心に嫌がらせをしてきていた。もちろん精神病による幻覚や幻聴の類でもなく紛れもない物証もある。警察に突き出せば一発で付きまといだと判定してくれるだろうえりすぐりの変態行為ばかりだ


竜蔵はこれまでの人生で両手では数えきれないほどの変質者と遭遇してきているが、このストーカーの蛮行はその中でも群を抜いて悪質かつ大胆だった


12歳になるころには両親の不和が原因で引退しているが、竜蔵は小学生時代、その容姿の天稟てんぴんからジュニアアイドルとしていて活動していた歴史がある


ストーカーはその時代の写真を中心に、ほかのグラビアの露骨に性的な写真とコラージュさせた、いわゆるアイコラを玄関先につるしたり、どこで手に入れたか竜蔵のメールに送ったりとやりたい放題だった


「それで、お前はそいつと一回直で対面したことがあったんだろ?その時顔は見なかったのか?」


そのストーカーは何かしらの理由で携帯や固定電話からは電話をかけてこなかった。必ず公衆電話から無言電話をしかけてきた


そのため竜蔵は公衆電話からの非通知着信をすべて着信拒否に設定し、それで無言電話の件は一時解決にはなったのだが、ある日“仕事”終わりの夜に竜蔵が帰路につくと、携帯に大量の着信があった。留守電を確認してみてもすべていつもの無言電話で時たまに吐息が聞こえるだけ


非通知設定からの着信ということになっていたので竜蔵は不思議に思った、公衆電話からの連絡は届かないはずだ。どうやって着信拒否を突破したのだと


そんなことを考えながらマンションの前、街灯が一つしかない坂道に入ると突然チャリンという音と共に軽い金属片が足元に転がってきた


10円玉だった


「見つけたぁ!」


狂気に染まった瞳、その瞬間竜蔵の意識は途絶えた


「それで気付いたときには道端で倒れていたと、まったくその時顔くらいちゃんと見ておけよ」


呆れた佐々木は特徴である丸刈りの頭を撫でた後、竜蔵の携帯を奪い取った、着信履歴を確認するためだ。最も、あかりのような第三者からしてみれば竜蔵が勝手に携帯を落としたり、拾ったりする奇妙な所作にしか見えないが


「本当だ、これが本当なら奴は固定電話を使って、お前に連絡したってことだぜ」

「でも非通知だったよ」

「家電でも非通知になるときくらいある。つまりストーカーはお前に家で電話したあと、すぐに外に出て逢いに行ったってことになる」

「つまり、ストーカーはお前の近所に住んでいるやつだ」




***


放課後、竜蔵は早苗を振るために先ほど告白を受けた空き教室へ再び向かおうとしていた。廊下の窓からは眩しすぎるくらいの夕陽が入り、床を橙色に照らしている


日没前の最後の輝きだ。これより太陽が沈み夕闇が訪れ、逢魔が時となるだろう。外で部活動にいそしむ生徒らもそろそろ運動を切り上げようとしている


竜蔵の傍らには相変わらず佐々木と、なぜかあかりもついてきていた。竜蔵はついてこないでほしいとあかりに小さく警告したが、そこはいじめっ子といじめられっ子の関係。有無を言わさず自分を同行させた


竜蔵は早苗とは一年から教室部活動共に同じということもあって、そこそこ親しい間柄だったが、本人がどこに住んでいるか、小学校はどこに通っていたか、などの個人情報は一切聞いていなかった


本人も話す気はなかったようだし、竜蔵も聞く必要がなかった。だが今になってもっと彼女のことを知っておけばよかったと、後悔することになる


教室は夕陽の濃すぎる赤、そしてそれが産む影の黒で、妖しく彩られていた。カラスの鳴き声がして、中央に目をやるとそこには奇妙な果実がぶら下がっていた


竜蔵の全身の毛が逆立ち、胸の内に激しい錯乱が起こった。白い脚が、つま先をたてるように伸びきっているが、その先端が地面からは離れている


早苗の縊死体が、虚ろな目で下を向きながら、教室に存在していた。竜蔵の意識がかすむのと同時にやぶ蚊のプーンという羽音と、カラスたちの喚く声が異常に大きく聞こえた


教室の黒板には血文字で「Thrice the brinded cat hath mew'd」とある。恐ろしい喜劇はまだ始まったばかりだ


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