ダークトライアド
黄田田
Case 1 第二の殺人
第1話
“きれいはきたない、きたないはきれい
濃い霧と濁った空気の中を飛んでいこう”
──ウィリアム・シェイクスピア『マクベス』
十月十一日、
内容は生活費に余裕ができたのでもう仕送りはしなくてもいいという旨と、できるなら戻ってきてほしいという要望
昨年の四月に失踪した父に向けての手紙だった。宛名に旧拠点の番地と郵便番号を書いて切手を貼り、封締めをする
I区から遠く離れたⅣ区からの手紙だが無事に届いているだろうか、竜蔵はここの
郵便局の職員の勤務態度を訝しみながら返事が来ない理由は別にあるだろうと諦めた様子で消沈した
「どうせ返事なんて来ないわよ。あいつは私たちを捨てたんだもの」
姉の
まだ希望を捨てたくはない竜蔵はその意見に反論したくなったが、実際に手紙が無視されている現状父が戻ってくる可能性は限りなく低いだろう
そこで溜息をつきながら小さく伸びをして、登校の時間が迫っていることに気づいた。まず時計に目が行く。デジタル式の腕時計は幼いころ父に買ってもらったものだった
時刻は午前七時半、支度をするにはちょうどいい時間帯だ。カビが生えた林檎をかじりながら水場の方へ
割れた鏡には人形のように整った顔が写っていた。竜蔵という無骨な名前の割に本人は華奢で小柄なので少女にしか見えない。彼はそれを気に病む様子も見せずに手を熱心に洗う
幽霊のような手。もともと極端に色白なことも相まって血色が悪いときは本当に死体のように見える。鳩血色の瞳も銀色の髪もその色素の薄さが原因で派生したものだ、それで何度か疎まれ、気味悪がられたが本人は生来のものなので仕方がないとまったく気にも留めていなかった
浴場に入り今度はシャワーを浴びる。ほっそりとした少年のような体つきに少女のような柔らかな肌。彼にとってあばらが浮いた貧相な体などどこが魅力的なのかがわからないが、竜蔵の出会った女性の殆どがこの子供体型に執心していた
歯磨き等の支度を終え、外に出ようとしたが姉に呼び止められ竜蔵はしぶしぶ竜香の口に軽い接吻をした。頬を上気させ興奮した姉に舌まで入れられそうになったが何とか振り払い戸口の方へ
外に出ると悪臭が鼻についた。このⅣ区のマンションはお世辞にも上等とは言えず放置されたゴミや得体のしれない腐敗臭、はてやマリファナ等の芳醇な香りが貧民窟の鉄筋コンクリートの檻の中で充満している
夏などはひどい有り様で竜蔵は部屋の中でも悪臭に耐えるため、消臭剤を何個も設置するはめになった
エレベーターは故障しているため階段で3階からロビーまで降りると、偶然301号室の隣人であるツインテールとショートボブの少女ら
「あっ、榛村じゃん。相変わらず男のくせに長い髪ね。あんたもこれから学校?」
「長くしないと姉さんに殴られるから」
隣の愛奈が年上なんだから敬語使わないとダメだよと仇花を注意する。大人びた外見から予想できないがこの二人は小学生なのである
だがまともな教育を受けていない子供が成長不十分な中学生など敬えるはずもなく、仇花はどこか喧嘩腰で目を吊り上げながら小悪魔的な笑顔で竜蔵に接近した
「ババァがいってたよ。お隣に住む中学生の竜蔵くんは誰にでも体を売る淫売なんだってね。すっごいいい具合だったって!今度アタシにもヤらせてよ、たっぷりチョーキョーしてやるからさぁ」
ババァとは彼女の母親のことだろう。二回ほど売った記憶があるが行為のことはすぐに忘れるようにしているのでプレイの内容は覚えていない。変態的な内容だった気がする
竜蔵は無視して逃げるようにマンションを出た。キャハハと狂気じみた黄色い笑い声
ここで弱いことは罪なのである。早く金を溜めて保護者の承認が必要ない未成年者二人でも契約できるマトモな住居を探す必要があった
温暖化のために10月だというのに通りはやけに生暖かく、配給の時間と被ったからか人々でごった返していた
「インフォマニア」という新種の覚せい剤が流通しているせいか、ほとんどが麻薬中毒者のようで、目が虚ろだ。関わらないようにして地下鉄の入り口へと向かった
このあたりでは地下鉄の路線は地上に出て高架線の下を行き来している。いつものこととはいえ地下鉄に乗るために階段を昇るというのは、少し奇妙な状況である
Ⅳ区からⅠ区までの直通する路線は存在しないので普通はいくつか乗り換える必要があり、地下鉄を利用してⅡ区まで移動したあとそこから国鉄でⅠ区の目的の駅まで行くことができる
ちょうどやってきた車両に乗り込むと通勤時間帯なので非常に混んでいた。Ⅳ区に住む学生は少ないので竜蔵のように制服を着た人間はいない。くたびれたスーツを着たサラリーマンや出勤前からもう作業服に身を包んでいる肉体労働者、果てや虚ろな目つきで朝帰りをするジャンキーでひしめき合っている
以前車体の中央で揺られていたら痴漢されたことがあったので竜蔵は扉の前で何とか手すりを掴み自分の世界にふけることにした
もちろん現実逃避のためだ。母が生きていたころ、スロベニアにある父方の祖母の家に言って森で共に駆けまわったことを思いだす。若く、精神が少し未熟だった彼女は子供と一緒になって遊ぶタイプであり、天真な笑みを見せながらまるで少女のように走り回っていた
潔癖症な父と姉はそれを見て、露骨に嫌そうな顔をしていたが竜蔵にとっての原風景はいつまでもこの景色だった。母もいて、父もいて、姉も日の下を歩いていた誰も欠けない牧歌的な風景。無菌でなくても幸せだったあの頃、もう二度と手に入らないと思えると追憶にも力が入る
だが、そんな白昼夢にも似た空想に耽っていると頭をガツンと鈍器で殴りつけられたような衝撃と恐怖が一気に伝搬する。目の前の豚面の男に体をまさぐられたのだ
堂々と服の下に手を入れて腹を撫でまわすその態度には竜蔵は感心すら覚えるが、人が鼻息を立てながら欲情している様は慣れていてもいまだに震えを隠せない。体格が二回りも違う相手なのだ。恐怖を見せれば見せるほど男はそれを愛くるしそうに腰の下の汚いものも起こしながら竜蔵の身体を貪った
なぜ、自分よりはるかに小さくて、弱い相手に獣欲を向けられるのか。竜蔵には理解できない。自身の飼っているペットがどれほどかわいいからといいといって犯そうと思えるか?たとえ同種の生物だろうと大人と子供では体と精神に明らかに隔たりがある、いわば異星人と対峙するようなものだ。それを相手にセックスしたがることは、もはやノイローゼの一種であるとしか思えない
母もこのタイプだった、だから姉に殺されたのだ
なんとか耐えて目的地の駅までつき、階段を更に上がって、外に出るとⅣ区とはまた変わった都会的な喧騒と雰囲気に身を包まれた。ここⅡ区は商業の中心地とされているが、お世辞にもテナントに貼られた看板が購買意欲を誘うとは思えなかった。誇大広告の類は景観を損ねる
そこで竜蔵は少し歩いた後また駅舎に入り、最寄り駅まで直通の路線に乗った。運よく座ることができそうだったので椅子の端に座り、しばし揺られ、Ⅰ区まで移動した
窓の外から見える景色は、天文学的地価を持つⅠ区だけあってそれなりに豪勢でありそこでは老舗である巨大百貨店や、今売れているモデルの美麗な写真が大きく張られた化粧品店が写る景色が広がっている。車内は香水の香りが鼻につき、匂いから背けるように見た大通りの巨大な路地とタイル張りの床はどこか外国めいていた
それからしばらくたつと、ようやく目的の「冬美台駅」に到着した。都心と中核市の間にあるここは、駅周辺は商業地となっているが、郊外は高級住宅街が並ぶ場所となっている
そのため、竜蔵の通う私立西宮学園には資産家の子弟や華族の末裔などが通っている。中高一貫校ということもあり御曹司やお嬢様などが一合に会す場所なのだ
「ごきげんよう」
校門に入ると濡れ羽色の髪色をした上品な乙女が、いかにもお嬢様な
「どうも」
こちらは、やる気のない返し。この女子もなんらかの要人の子女なのだろう、竜蔵は表向きホテル経営者の御曹司ということになっているが社長の母は死に、金を持った父は消えたので実際は貧民も貧民だ。反感を買った場合命はない
「…」
「おはよう。きょうはいつもより遅いんだね」
少し肌寒い玄関を通り、日光が差し込む教室へと入ると数少ない彼の友人である
艶のある茜色のロングストレート。細く整った鼻梁に、きめ細かな肌。これまた貴族然とした風姿の美人である
惜しむらくは、その赤碧玉を想わせる瞳が、嫉妬で虚ろに染まっていることだろうか
「今日は、少し用事があって遅れた」
「用事?あの気狂いの姉に犯されてたんじゃないの。それかあの貧民窟でまた襲われたか、今日の榛村はまたいつもより淫臭であふれてるんだもん。アバズレ共の香りがアタシの鼻を穢すのよ、鬱陶しい」
「おれ、シャワーは浴びたよ」
「そう、今度みたいにまたキスマークをのぞかせてアタシをムカつかせたら今度こそ半殺しにしてやるから」
西宮学園は、元々は上流階級の子女を育成する女学院であったが、時代に即し、開かれた教育の場を作るため共学となった。しかし、まだ共学になってから日が浅く、男子生徒の数は圧倒的に少ない。なので竜蔵のような男のいじめられっこはなかなか目をかけてもらえない立場にあった
海底あかりは表向き友達が多い外交的な性格に見えてその実、ひどい癇癪持ちであった。特定の人物には執着しはじめるとその人が少し自分の理想にそぐわないことがあるだけで怒り狂い始める
あかり自身にロリショタコンの気はないものの、清純だと思っていた男友達が、実際は売春を重ねる不良だと知った時、彼女は発狂した。それはもう眼を見張るレベルで、竜蔵を殴り、壊し、徹底的に痛めつけて、これ以降二人の関係は支配者と隷属した奴隷となり、竜蔵は無事いじめられっこまでスクールカーストを落とすことになったのだ
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