第20話

ルナは朝陽のまぶしさに目を覚ました。


ベッドから窓の外を見上げると、雲一つない青空が広がっていた。


今日は卒業式だ。


1階の台所でお母さんがガチャガチャと音を立てながら洗い物をする音が、2階のルナの部屋まで響いていた。


ルナの卒業式に行くつもりだったお母さんは、仕事を休みにしていた。


ふと、部屋のハンガーラックに吊してある、ベージュのワンピースが目に入った。


ボレロとリボンがセットになっているそのワンピースは、ルナの叔母が卒業式用にと貸してくれたものだった。


中学1年生の子どもがいる叔母に、お母さんが直接貸してくれないか頼みに行ったそうだ。


本当なら、今日はこのワンピースを着て卒業式に行くはずだった。


でも、それはもう叶わない。


「卒業式には行かせない」というお母さんの考えは、ナオに椅子を投げつけたあの日から変わることはなかったし、ルナ自身も「卒業式には行かない」という意志は揺らがなかった。


ルナは、ナオに椅子を投げつけたあの日を最後に、学校には行かず、ずっと自分の部屋に引きこもっていた。


ナオやセイラや他のクラスメイトたち、そして先生たちに、散々迷惑をかけたのだ。


みんなともう一度会う勇気などなかった。


あんなことしなければ、今ごろ普通に学校に行けてたのに。


卒業式にも出れたのに。


ルナは、改めて自分のしてしまったことを振り返ると、苦しくて苦しくて胸がつぶれそうで、なにもやる気が起きず、ただただベッドにもぐって涙を流す毎日だった。


だけど―。


せっかく叔母が貸してくれたワンピースを、1度着るだけ着てみたい。


そう思ったルナは、ゆっくりと起き上がり、パジャマを脱ぐと、ラックに掛けてあるハンガーからワンピースを外して、ゆっくり袖を通した。


鏡にベージュのワンピースを着たルナが映る。


結構、似合ってるかも。


そう思ってちょっとだけ嬉しくなると同時に、改めて卒業式に行けないという悲しさが押し寄せてきた。


ルナは部屋にあったピンク色のデジタルカメラを手に取ると、ワンピースを着たまま、階段を降りてお母さんがいる台所へと向かった。


「お母さん、おはよう」


ちょうど洗い物を終えたお母さんが、ルナのほうを見た。


ワンピース姿のルナを見ると、ちょっとだけ驚いた顔をした。


「ねえお母さん、卒業式は行けないけど、この服で写真だけ撮りたい。いいでしょ?」


ルナはそう言うと、カメラをお母さんに手渡そうとした。


「撮るのは勝手だけど、今忙しいから。セルフタイマーにしたら自分で撮れるやろ」


お母さんはそう言って、カメラを受け取ってくれなかった。


お母さんに、撮ってほしいの。


もう少しで言葉が出そうだったけど、直前でルナは声を押し殺した。


仕方ないよ。


お母さんは忙しいんだから。


わざわざ私のために、叔母さんにワンピース貸してって頼みに行ってくれただけでも、感謝しなきゃ。


ルナはそう言い聞かせながら、デジカメのセルフタイマーを10秒にセットして、リビングのダイニングテーブルに置いた。


10秒もあれば、余裕を持ってポーズを決められるだろう。


白い壁の前に立って、無理に笑顔を作ろうとしたそのとき。


ピンポーンと、家のインターホンが鳴った。


こんな朝早くから、誰だろう?


ルナは不思議に思いながらモニターを見てみると、そこにはランドセルを背負い、紺色のスーツを身に纏った、ナオが映っていた。


「ウソ......。ナオちゃん!ナオちゃんだ!」


ルナはリビングを飛び出して玄関に駆け出し、裸足のまま玄関のドアを開けた。


「急にごめん。ルナちゃんと一緒に卒業式に行きたくて......。迎えにきた」


ナオは、走って来てくれたのか、息を切らしながら答えた。


お母さんも、いつの間にか玄関に来て、ルナの後ろに立っていた。


ルナは振り返って、お母さんの顔を見た。


「わざわざ家まで来てくれたんやったら、断るわけにいかんやろ。お母さんは後から行くから」


お母さんは静かにそう言うと、少しだけ微笑んだ。


お母さんの笑顔を見るのは、3年前にお母さんとお父さんが離婚して以来、初めてのことだった。


今日のお母さんの笑顔を、私はきっと、一生忘れない。


「ナオちゃん、本当にごめんなさい。すごく反省した」


家を出たルナは、学校へと向かいながら、ナオに謝った。


「怪我もなかったし、もういいよ。それより、ずっと休んでたから、心配した」


「私のこと、心配してくれてたの?」


「もちろん。卒業式も来ないんじゃないかと思ってた。でも、最後はやっぱり来てほしかったから」


「それで、わざわざ家まで来てくれたの?」


ナオは小さくうなずいた。


「ねえナオちゃん、やっぱり私は自分のことが好きになれない。すぐにイライラしちゃって、周りを傷付けちゃう自分が大嫌い。空気読めないって言われちゃう自分が、大嫌い。自分を変えたいのに、全然変えられない。生きるの、しんどくなっちゃう」


ルナは涙声になった。


「僕もそう」


「え?」


「こだわりすごい強いし、変わってるって言われることも多いし、自覚あるし。生きるのしんどいって思うこと、結構ある」


「えー!ナオちゃんもそんなこと思うんだ。びっくり」


「でも生きてたらしんどいことも多いけど、嬉しいこともたくさんあるから、生きるの結構好きだと思う」


「嬉しいことって、たとえば、どんなこと?」


「空が綺麗なこととか、ちょっと笑えたこととか、給食に好きなメニューのエビフライが出たこととか、あと......」


「あと?」


「ルナちゃんと出会えたことも」


ナオは恥ずかしそうにそう言った。


ルナはその言葉を聞いて、たまらなく嬉しくなった。


「私も、ナオちゃんと出会えたことが、今までの人生で一番嬉しかったこと!ナオちゃん、大好き!」


そして、ナオちゃんのおかげで、お母さんの笑顔を今日3年ぶりに見れたことも、私にとって本当に本当に嬉しかったことだよ。


「なんか、嬉しいこと考えてたら、生きるの楽しくなってきたー!」


笑顔が戻ったルナは、明るい声でそう言った。


「これから生きるのしんどくなったときは、嬉しいことを探すってルールにしよ」


ナオの言葉に、ルナは大きくうなずいた。


「うん、約束!どっちがたくさん嬉しいこと探せるか、勝負ね!」


そんなことを話しながら歩いていると、あっという間に小学校の校門が見えてきた。


ルナは、4日ぶりに校門をくぐった。


6年3組の教室の窓から、1人の女の子が顔を出していた。


セイラだった。


「あ、みんな!ルナが来たよ!ナオと一緒に!」


窓からルナの姿を見つけるなり、セイラは校門からも聞こえる大きな声で叫んだ。


いつもクールなセイラがぴょんぴょんと跳びはねながら、教室にいる皆に向かって叫んでいる姿が見えた。


そしてセイラは再び教室の窓から顔を出すと、ルナに向かって大きく手を振った。


ルナは、大きく手を振り返した。


「卒業式だね、ナオちゃん」


「そうだね」


「卒業おめでとう、私たち」


「うん、おめでとう」


「今までありがとう」


「ありがとう」


「中学校でもよろしくね」


「よろしくね」


「じゃあ、行こう!」


ルナとナオは、校門をくぐり、6年3組の教室に向かった。

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