第18話

金曜日の卒業式まで、あと4日となった月曜日。


その日、私は朝から調子が悪かった。


熱があるとか、頭が痛いとかお腹が痛いとか、そんなんじゃないんだけど。


なんか、言葉で言い表すことができないくらい、すごく不安な気持ちなの。


熱もないのにお母さんが学校を休ませてくれるわけないし、私は家を出て、学校へ向かった。


そういえば、マリンと最後に学校で会った日の朝も、こんな感じだったな。


あの日、休み時間に私ではなく、隣のクラスの子と遊んでいるマリンを見て、私はイライラが我慢できず、マリンを傷つけた。


叩いて蹴って、ベンチに置いてあったマリンの服まで捨てちゃった。


最低だよね。


そんなの、ちゃんと分かってるよ。


分かってるってば。


でも今考えてみても、あの日、なんであんなにイライラしてたのか、なんでそこまで酷いことができたのか、それは私にも全く分からないの。


マリンが言った通り、隣のクラスの子と私と3人で遊べば、それでよかったのに。


あのとき私は、自分でもわけがわからないくらい、怒りや悔しさ、悲しさで頭が真っ白になって、気がついたらマリンを傷つけてたんだ。


先生からもお母さんからも、「なんでそんなことしたんだ」って散々聞かれたけど、そんなの私が私に聞きたかった。


自分で自分の行動をコントロールできないことが、気が付いたら周りの人を傷付けてしまうことが、私にとってどれだけ怖いことなのか、たぶん、いや絶対、私以外の人は分かってくれない。


私、このままでいいのかな。


イライラしたらすぐに誰かを傷つけちゃうし、悪気なく言ったことで誰かを怒らせちゃうこともしょっちゅうある。


私、このままでいいのかな。


いいわけないよね。


''自分らしく生きる'' ''自分を好きになる''って決めてからも、ときどき私はこんなことを思って、不安で不安でたまらなくなるんだ。


マリンは私から離れるために、2学期から別の学校に転校しちゃった。


結局、謝ることも、お別れの挨拶もできなかった。


一人でそんなことを思い出しながら歩いてたら、余計に気分がしんどくなってきた。


学校まで、あともう少しで着く。


学校に着いたら、ナオちゃんに会える。


ナオちゃんに会ったら、きっと気持ちが落ち着くはず。


いつも、そうだもん。


私は足を速めた。


学校に着いて6年3組の教室に入ると、ナオちゃんは先に登校していた。


「ナオちゃんおはよう!」


私はエネルギーを振り絞って、明るく挨拶した。


「ルナちゃんおはよう」


ナオちゃんはいつも通り穏やかな笑顔で返してくれて、その笑顔を見ると私の気持ちは少し落ち着いてきた。


いつも、ナオちゃんは私を支えてくれる、大切な存在。


ほんと、大好き。


「ねえ、放課後一緒に遊ぼうよ。今日はお母さん、お昼から仕事で家にいないから、遊びに行っても怒られないの。優鈴公園でブランコしよ」


私はナオちゃんを誘った。


「ごめん。今日は、ちょっと無理なんだ」


ナオちゃんは申し訳なさそうに謝った。


「なんで?」


「前の学校の友達が今日誕生日で、ちょっとプレゼント渡しに行く約束してて」


そうなんだ!


じゃあまた今度ね。


いつもみたいに、心の調子がいいときの私なら、そう言ってすぐ納得できるはずなのに。


それなのに。


「えー、でも卒業まであとちょっとだよ。遊びたい」


「ごめん」


「ねえ、今日遊びたい」


「じゃあ、明日はどう?」


「今日じゃなきゃダメなの」


「でも、今日はもう約束が......」


「イヤだ。ぜったいぜったい、今日じゃなきゃイヤ。ねえ、ナオちゃんってば!」


ああ、もうイライラする。


明らかに困った顔をしてるナオちゃんにもムカつくし、本当は明日でいいのに、なぜか今日にこだわっちゃう私には、もっともっとムカつく。


こんな自分、好きになれるわけない。


こんな自分、だいっきらい。


私の気持ちなんか誰も分かってくれない。


私の生きづらさは誰も理解してくれない。


ねえお母さん、私の話聞いてよ。


なんで、いつもそんなに冷たいの?


って、お母さんは今関係ないし。


イライラと寂しさと悲しさと不安で、頭の中がぐちゃぐちゃになって、爆発しそう。


苦しいよ。


私、もうダメだ。


気がつくと、体が勝手に動きはじめていた。


私の両腕は、私の机の椅子をゆっくりと持ち上げた。


だめ!


やめて!


心の中で私は私に精いっぱい叫ぶのに、体は全然言うことを聞いてくれない。


''ルナ、だめ!落ち着いて!''


なんか、マリンの声が聞こえた気がする。


空耳だよね。


もうこの学校にいるはずないんだから。


全部、私のせいだ。


私は気がついたら、持ち上げた自分の椅子をナオちゃんに向かって投げつけていた。


スローモーションの映像を見ているみたいに、椅子はゆっくりと宙を舞い、椅子の足はナオちゃんの右眼に命中した。


教室が「ギャー!」という、ものすごい悲鳴に包まれた。


もしかしたら、私も叫んでいたのかもしれない。


「ちょっと!なにしてるのルナ!落ち着いて!」


後ろの席にいた、いつもクールなセイラが、ものすごい大声で叫びながら、背後から私を抱きしめて身動きがとれないようにした。


「うるさい!やめて、痛い!」


「痛いのは吉成くんでしょ!誰か、先生呼んできて!すぐに!」


「もおおおおおっ、ウザいっ!セイラだいっきらい!セイラ死ね!!!」


「私、まだ死なないから!ねえ、落ち着いて!急にどうしたのよ!」


「うるさい!死んで!死ね!あああああもうっ!離してよおおおおおっ!」


私はセイラに押さえつけられながら、''あああああ!''とか''ぎゃあああ!''とか、とにかく大声で叫ばずにはいられなかった。


ナオちゃんは右眼を抑えながら、黙ってその場にうずくまっていた。


リア、ハルキ、ヒナタが駆け寄って、ナオちゃんに声をかけている。


「どうしたんだ!ルナ!落ち着きなさい!」


東川先生は叫びながら、ただごとではないといった様子で、教室にずかずかと入ってきた。


6年1組の瀬山先生と、2組の梨田先生も入ってくると、2人はナオちゃんのほうに駆け寄った。


「セイラ、ありがとう。もう、ルナから離れて」


東川先生は、セイラを私から引き離した。


「ルナ!朝からどうしたんだ。落ち着こう。今週末は卒業式だぞ」


先生はそう言いながら、セイラに代わって私の体を押さえた。


ああ、この展開、マリンのときと一緒だ。


私はまた、とんでもないことをしてしまったんだ。


やっとそのことに気付いた私は、焦りとイライラから、なおさら大きな声で叫びまくって暴れることしかできなかった。


5年生の先生まで教室に入ってきて、東川先生と一緒に私を取り押さえた。


東川先生と、5年生の先生2人、あわせて3人の大人に取り押さえられ、私はもう逃げられないと分かってたけど、それでも精いっぱい、先生たちを払いのけようと叫びながら暴れた。


「暴れても無駄だぞ。小柄なルナには、先生3人なんか敵うわけないんだから。落ち着け!落ち着いたら、先生たちとゆっくり話そう」


「もおおおおお!だまれ!先生もみんな死ね!だいっきらいいいいい!」


私は叫びながら暴れながら、廊下に引きずり出され、6年3組の教室からすぐ近くにあるエレベーターに乗せられて、1階の誰もいない空き教室へと引きずられていった。


また、お母さんに怒られちゃう。


ナオちゃんにも、絶対嫌われた。


私の人生終わったかもな。


そんな絶望的なことを考えながら。


でもね。


こんなにたくさんの大人たちが、必死で私のこと構ってくれてるのって、初めてかも。


私はどこか冷静に、そんなことも考えてたんだ。

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