第28話 君に届いてほしい想い

「エントリーナンバー41、森野つばめさん。関東代表。」

 とうとう私の名前が呼ばれ、舞台に一歩踏み出す。紹介アナウンスとともに客席から拍手が起こるが、その中に一際大きな音を出して輪を乱している拍手が聞こえる。きっと裕子だ。空気も読まずに体育会系らしく一生懸命手を叩いて。今頃周りの子に注意されてるんだろうなぁ。うん、大丈夫だ。裕子の拍手を聞き分けられるくらいには余裕がある。

 ピアノの前に腰掛けて演奏前に一呼吸を置く。私は幸せ者だ。山石君や裕子や私に関わってくれた人みんなのおかげで今日ここに座ることができてるんだから。思えば、体育の先生にも大感謝しなきゃだね。口が軽いのが玉に傷だけど、意外とターニングポイントにはいつもあの人が関わってるんだよね。音楽の先生も応援してくれてるし、小学生の頃のピアノの先生にもあいさつに行かなきゃな。裕子と一緒に来てくれた子達もいるし、客席にはたくさん応援してくれる人がいるんだろうな。あぁ、本当にありがたいなぁ。もう私1人の体じゃ溢れ出してしまうほどに幸せに満ち満ちている。

 そっか…こういうことか。山石君は悪いものを自分の中に溜めて相手にぶつけるって言ってたけど、私はこれなんだ。みんなにもらった抱えきれないほどの幸せや感謝を音に乗せるように演奏しよう。そうして、客席や配信で聞いてくれてる人みんなに届けてもらうんだ。そしたら、きっと山石君や今までお世話になった人のところに返っていってくれるはず。そうやって私は、私のピアノをみんなに届けるんだ。

 静かに鍵盤の上に手を置き、1曲目を弾き始める。なんとなく山石君がイメージに浮かんでくる曲だ。ゆっくりなテンポの中でも、一音一音を際立たせることが重要になってくる。やっぱり、おっとりしているようで芯がしっかりしてる山石君にぴったりだな。山石君らしさを表現してると、自然と曲の雰囲気が出来上がっていく。ここでも山石君に助けられてるなぁ。って言っても、きっと本人は何にもしてないよとかって言いながら頭かいて照れくさそうにするんだろうけど。

 届いてほしい。いや、届けよう。溢れ出るこの気持ちを。目の前で聞いてくれてる人みんなにも、病室で聞く配信でも。この想いが届くように、山石君のために、彼がここにいるんだって伝えるためにも。

 もう滑り出しで不安になることもなく、最後まで一音も気を抜くことなく想いを込めて弾き通すことができた。

 想いの強さが響きに表れたのか、今まで練習した中でも1番豊かに音色をつむぎ出すことができた。渾身の演奏になのか、思いが溢れ出たせいなのか知らないけど、感情が高ぶって涙がこみ上げてくる。それをあとちょっとのところで我慢しながら、流れを切らないよう2曲目、3曲目と続けて、想いを込めて弾き続けた。最後の曲の、最後の小節の、最後の一音まで自分の中にある想いを絞り出すようにして、全力を出し尽くして弾き切った。

 全部出し切った……全部全部すっからかんだ。満足感からしばらくその場を動くことができなかった。まだまだ演奏の余韻に身を浸らせていたかったけど、一呼吸おいてから立ち上がる。その瞬間、静寂に包まれていた客席から、地鳴りのように喝采する拍手の音の波が覆いかぶさってきた。その中には聞き覚えのある女の子の叫び声も混ざっていた。裕子、めっちゃブラボーって言ってるけど、女性にはブラバーって言うんじゃなかったっけ。まぁ、どっちでもいいけど。

 もう終わってしまったんだ……終わってしまうと、長かったはずの準備も含めて一瞬だったような気がするのはなんでだろう。やり尽くした自信と終わったことへの安心が一番強かったけど、かなり個人的な想いを演奏に込めてしまったことに対する評価がどうなるのか、期待するような心配するような気持ちも浮き沈みしてくる。

 この演奏は、想いは……みんなに届いたんだろうか。何よりも……山石君に届いただろうか。

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