6 愛の口づけ

「おや、どうされました、セニョリータ?」


 情熱のフクヤマンは作業を終え、水でも飲もうと事務所へと急いだ。両手につけた軍手を外す。ふさふさの胸毛の一部が少し焦げたことを気にしながら、腰につけた赤いバンダナできらきらと胸毛をぬらす汗をぬぐった。


 小高い丘を登り切り、ぐるりと正面を回ったところで事務所の入口に立つ者の姿をとらえた。


「……これはこれは」


 ふっ、と美しく笑い、口にくわえた赤いバラの花を指に取り、くるくると回して見せた。

 そこに立つのは「カクヨム市ボウリングセンター」と印字されたシャツを着たプロボウラーははこだった。

 ははこはきりりと鉢巻きを締め、鋭い視線で情熱のフクヤマンを見つめた。


「一体、どういうことなの⁉」


 いらだちを隠せず、情熱のフクヤマンに詰め寄った。


「あなた、わたくしの家を急いで修復するっておっしゃったじゃないの!」

「ええ、セニョリータ。今も全力で再建に励んでおりますよ」

「嘘おっしゃい!」


 ははこは、ぴしっ、と、自分の家があった高級住宅地の一角を指さした。その地域はジャイアント・タカヒト氏によって破壊された家がたくさんあり、建設中のまま放置されていた。


「見てごらんなさいよ! 昨日まではあんなにたくさんのゾンビたちが来ていたのに、今日はもぬけの殻じゃないの!」

「そんなに怒らないでセニョリータ」


 情熱のフクヤマンはそのふさふさの胸毛を見せつけるようにプロボウラーははこの面前に立った。ははこは至近距離でその美しい胸毛と、「サイズは大」を見せつけられ、わずかに頬を赤らめた。それでも気丈に口を開いた。


「ここで一句。


 君知きみしるや なきあとのこる 資産税しさんぜい


(あなた、取り壊された家の固定資産税がどれほど高額になるか、おわかりなの?)」


 情熱のフクヤマンは、美しく笑った。


「では、謹んでお返しいたします。


おぼえたり ざいおいし 資産税しさんぜい


(覚えていますよ、そして、無くなった財産が負った資産税は、あなたを追いかけます)」


 プロボウラーははこの全身に稲妻のようなものが走り抜けた。


 なんということ……!


 まじまじと情熱のフクヤマンを見る。


 この句に込めた、無い家にかかる資産税を泣きながら払う悲しみを理解し、さらに、おいし、には「負いし」と「追いし」を掛けて、「事情は理解しているが、払うものは払え」、という意味を含めてくるなど……!


 改めて情熱のフクヤマンを見る。


 俳句に精通しているだけではない。この甘いマスク、ふさふさと美しい胸毛、立派な胸板。そして、「サイズは大」。


 そんなプロボウラーははこの視線に気づいたのだろうか。情熱のフクヤマンは突然指先でもてあそんでいたバラの花を口にくわえ、ははこの腰を抱いた。


「なっ、何をなさるの?」


 突然どこからか、ラテンのリズムが流れて来た。情熱のフクヤマンは、片手でははこの腰を抱いたまま、もう片方の手を取り、右に左に華麗なステップで踊り出す。ははこはそれに翻弄され、右に左に向きをかえられ、宙に放り上げられた。


「ちょっとあなた、何するの!」

「わかりませんか、踊っているのです!」


 それぐらい知っとるわ! と返す間もなく、最後にくるくると回された。しかしポーズを決めて顔を近づけられたときには、すでに情熱のフクヤマンに魅了されていた。

 気がついた時には口から愛の一句がこぼれ出ていた。


うばわれし こころなり 血潮ちしおごと


(私の心はあなたにうばわれました。そう、血潮ごと。何かのたびに身体からほとばしり出る血液のように、私は、あなたを思っております)」


 情熱のフクヤマンは口にくわえた花を空中に放った。


貴方あなただけ とわにもたし その姿すがた


(貴方だけをずっと見ていたい。その姿を)」


 プロボウラーははこの瞳がうるんだ。そしてダメ押しのもう一句。


がひとみ うつしたいのは 貴方あなたのみ


(私の目に映したいのは、貴方だけです)」


 これ以上、言葉はいらなかった。ふたりはしばし見つめ合った。ははこが口づけを待つように目を閉じた。フクヤマンも顔を近づけた。けれど、その唇がははこの唇に重なる、というその時動きを止めた。


「どうなさいましたの?」

「風が……」


 プロボウラーははこもそれに気づいて動きを止めた。ふたりはしばし見つめ合った。ははこの表情がわずかにこわばったのを情熱のフクヤマンは見逃さなかった。


「もしや、あなたもご存じなのですか、セニョリータ」


 情熱のフクヤマンの驚いたような声に、ははこは小さく頷いた。


「そのことは、幼い頃より何度も聞かされてまいりました」

「では、もしやあなたも……」


 小さく頷く。


 その瞬間、抗えない運命、のようなものを感じた。


 ふたりは、熱い口づけを交わした。

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