第六話 敵
しばらくして、姉のナナリーが五歳の誕生日を迎えた。
俺がもう少しで三歳になることを考えると、ナナリーとは二つ違いらしい。
朝からリザとセーラは家の飾りつけなんかの支度で忙しく、邪魔者の俺とルーズ含め、本日主役のナナリーの三人は、セーラの「グリヘイブ家のお誕生日はー、お昼にパン料理を外で食べるのがー、伝統なのよー!」という初めて聞いた伝統により、村の中心地までパンを買いに行くことになった。
ルーズによると、セーラはその時の気分で伝統を作る趣味があるらしい。
お使いは、何のイベントもなく終わり、ナナリーはルーズと手を繋ぎ、俺は肩の上に座りルーズのつむじを眺めがら家へと向かっていた。
村の中心と家の間には両隣が森の林道がある。
車が二台ほど通れる広さだ。
ここを通り抜ければ家が見えてくる。
かなり長い道のはずだけど、前世では見れなかった大自然を見ているだけで、時間が潰せた。
「お父様、あたしもう五歳よ!お姉さんなの!だからそろそろ魔法教わってもいいよね?」
「ん、まだ早いんじゃないか?もっと大きくなってからでも」
「早ければ早いほどいいの!あたしがナディーの手を直してあげるの」
アンタのため、あなたの将来のために、と前世で何度も言われ、嫌いだったはずのその言葉とは違って聞こえた。
「ナディーのためか、そうか。よし分かった。帰ったらお母さんと相談してみるか」
「っ!ありがとうお父様!」
ナナリーはまだ五歳で、今の発言の本意は分からないけれど、ナナリーの優しさが身に染みる。
俺にとって姉という存在は、完璧で、常に比較される恐怖の対象だ。
そんなこともあって、ナナリーに対して苦手意識が多少ある。
ご機嫌を取ろうとセーラから離れたりなど、色々気を使ってきた。
前世の関係を引きずって相手を見てしまう。
今日はそんなこと忘れて、純粋な気持ちで盛大にお祝いしよう。
ナナリーを喜ばせる方法を考えながら、今日のパーティー会場、自宅の方へ目を向けた。
「なにあれ、家の方から煙が」
異変に真っ先に気づいたのはルーズの肩の上にいた俺だった。
「あれは、まさか!ナナリー、ナディーと一緒にさっきの店まで戻るんだ!あとで迎えいにいく!いいか?森には入るなよ」
俺を肩から下ろすと、俺たち二人を安心させるように目線を合わせてくれた。
「ど、どうしたの?煙が出てるのって、もしかしてお家から?」
「多分な、でも大丈夫だ。何があってもお父さんがみんな助けるから」
真剣な声で、俺たちを安心させ、ルーズは家へと向かっていった。
火事だろうか?
「よし!大丈夫だよ、お姉ちゃんに任せてついてきて!」
「う、うん」
ナナリーは俺の手を握り、迷いもなく来た道を歩き出した。
ルーズの肩の上から見える景色と、今見えている景色が全く違うせいで、違う道を通っているみたいだ。
ナナリーの自信満々な表情から正しい道で間違いないのだろう。
よくセーラと一緒に買い出しに行っているくらいだし、ここはお姉ちゃん、ナナリーを信じるしかない。
自信に溢れていたナナリーの歩みがピタリと止まった。
休憩だろうか?
ナナリーは静止したまま、握る手は汗ばみ、震えはじめた。
「——魔獣がいる」
「魔獣?魔獣ってなに?」
俺の手を引っ張り、すぐ近くの岩陰へ一緒に隠れた。
「魔獣はお父さんがお仕事でいつも戦ってる、怖くて、強い生き物なの」
「え!お仕事ってそんな事してたの?」
「そうだよ!だからたまに大怪我して帰ってくるでしょ?」
ルーズのあの傷は魔獣が原因だったのか。
リザやセーラ、それにルーズはどうして魔獣について話してくれなかったんだ?
忘れていた?いや、そんな危ない生物なら必ず説明していたはずだ。
説明をしなかった理由は、必要が無かった?
そもそも俺の体はまだ三歳に満たない。
呪いについて秘密にするくらいだから、セーラとルーズは年齢的な理由で話さなかったんだろう。
リザは、俺の生活圏内には現れる事は絶対にないと思った、とかだろうか。
とりあえず、今はこの場を離れるべきだろう。
見つかり、攻撃を食らえば子供の俺たちは即死に違いない。
そもそも魔獣についての知識が皆無なのが不安でしょうがない。
まずは、魔獣の様子を確認するか。
「あ、顔出しちゃダメ!」
ナナリーの声がする。
だけど、目の前に見える魔獣とやらの見た目に圧倒され、何を言っているか聞き取れない。
あれが、魔獣?
あんなのから、逃げられるのか?
成長した熊より遥かに大きい。
デカいネズミ?いや、顔だけ虎のように凶暴で目は、三つ。
それにツノが――
「ナディー!」
俺を呼ぶナナリーの声で魔獣の三つ目の内の一つがこちらを捉えた。
目が合った瞬間、あまりの恐怖に自分が死んでしまう想像をしてしまった。
初めて感じる、確かな死が、魔獣の動きを遅く見せる。
「キャキャキャキャーーーキーーーー」
車の急ブレーキのような叫び声に、思わず目を閉じ耳を塞ぐ。
叫び声が収まり、やっと目を開けた時。
魔獣は砂埃を巻き上げ、こちらに向かって来ていた。
今すぐ逃げださないとナナリーも俺も、確実に死ぬ。
ナナリーの腕を掴み、走りだそうとしたが、ビクともしない。
「どうしよナディー、立ち上がれないよ」
ナナリーは完全に力が抜け、座り込んでしまっていた。
全力で走り出そうとしても、二つ上のナナリーを引っ張り、逃げ出すことが出来ない。
死ぬ。
今、俺に出来ることは。
無意識に全魔力が腕へと移動を始めていた。
前世のおれだったら、自分だけ逃げていたかもしれない。
でもそれじゃ俺は変われない。
俺の右手を直すと言ってくれた、優しいナナリーをこんなところで死なせたくない。
覚えている魔法は光を放つ魔法、その一つだけ。
初めて使った時は失敗したけど、あれから魔力をかなり溜め込んだんだ。
きっと成功するはず。
呪いのことなんか後回しだ。
拳を魔獣へ向け魔力を開放した。
「あああああああ!光れええええ!」
全身の力が抜けた。
魔法を使い、自分の中から大量の魔力が無くなったのを感じたが、何も起きなかった。
俺の叫び声で魔獣一瞬足を止めたが、何も起きないと分かると再び動きだした。
「あぁ、ごめん、ナナリー」
気を失い、せめて気づかない内に死にたかった。
でも魔力量が増えていたせいか、魔法を使った後も気を失うことは無かった。
徐々に近づいてくる死に怯えながら、目を閉じ、ただ待つことしかできない。
魔獣の足音が消え、辺りは静まり返った。
痛みは感じなかった。
(なんだ、死ぬときは一瞬で、痛みは感じないのか)
「ナディー、ナディー!魔法!?使ったの?体大丈夫!?」
ナナリーの声が聞こえる。
(あれ、俺、死んで......ない?)
「ナディー、もう大丈夫だよ。ナディーが魔獣やっつけたんだよ」
「え!?」
目を開くと魔獣の体には書斎と同じような大穴が空き、動きを止めていた。
光を放つ魔法は失敗したみたいだったが、別の何か分からない魔法は成功したみたいだ。
「な、なんだ、っは。よかった。生きてる」
「っう、うぅ。うあーーん。ナディっ、ごめんねぇ。何も出来なくって、ごめ、ごめんねぇ」
ナナリーは泣きながら俺を包み込むように抱きしめてくれた。
体は俺より大きいが、まだ小さな子供だ。
俺が感じた恐怖の何倍も、怖かっただろう。
まぁ、結果生きていたんだ。
まだ子供なんだから、そんな事で謝らなくたっていいのに。
ナナリーを慰めようと、手をナナリーの背中に向けて大きく伸ばした。
「あれ?腕が、動かない」
魔法を放った右腕の感覚がなくなっていた。
「怪我、しちゃった、の?」
ナナリーは抱きつくのをやめ、俺の体に怪我がないか確認し始めた。
右手の黒いアザの範囲が広がり、右腕全体が黒く変色していた。
そうか、魔法を使うとこうやって症状が悪化していくのか。
でも、ナナリーを助ける事が出来たから後悔は無い。
それに解呪のために魔法を勉強してくれるみたいだしな。
「そこの坊や。怪我はないか?」
もう一歩も動けない、そう思っていると丁度良く助けが来たらしい。
女性にしては低く、芯はあるが、抑揚のない声だ。
振り返れば見たことのない女性が立っていた。
逆光のせいで顔はよく見えない。
唯一認識できた彼女の長い髪の色は、赤く光り輝いていて、まるで炎のように燃えて見えた。
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